祈りの意味について理解を深めることは、
ヴェーダーンタの正しい理解に必要不可欠です。
ヴェーダーンタを哲学の一派ぐらいに見做してお祈りを見下しているうちは、
この宇宙全てとの正しい関りが持てず、
自分という存在は、この果てしない宇宙の中で、
自分以外の全てのものに圧迫されている、
ちっぽけな存在でしかあり得ません。
そんな人にとって、「tat tvam asi」の意味は、
哲学の格言のようにしか聞こえないでしょう。
ヴェーダーンタの理解は、それを学ぶ人の、世界との関わり方と直結しています。
なぜなら、ヴェーダーンタの理解とは、
この世界の全てと自分との関係は何か、を正しく理解することだからです。