2017年7月17日月曜日

インドの伝統的な、「結婚している人の、きちんとした格好」

白一色が清廉としていて、
色もの・光ものは、チャラチャラして見られる?というのが、
日本人の感覚ですが、インドの感覚はかなり違います。

結婚しているのに、未亡人や尼が着るはずの白の簡素な装いは、
不吉とされますし、
「最近のスピリチュアル・ファッションね」というのがインド人の本音です。 

伝統的なインド人の、
「まともな家庭人女性・クラシックな既婚女性」
のポイントを以下にまとめました。

1.髪の毛は真ん中分けで、クンクマを付ける。

2.髪の毛は後ろで三つ編みし、香りのよい生け花を飾る

3.額にクンクマを付ける

4.22カラットの金のピアス、鼻ピアス、バングルを付ける

5.マンガラ・スートラ(結婚式の時に与えらえるネックレス)を付ける

6.発色の綺麗な、清潔なサリーを着る。
(毎日2回、洗濯されてアイロンされたものを着ます。)

7. 足元のアンクレットや指輪は銀。


頭の天辺から足の先まで、 これらは全て、マンガラ(吉兆)なアイテムです。

結婚している女性は、これらのひとつでも欠けていると、
だらしない、という印象を与えるそうです。
特に昼寝の後はこれを完璧に保つのは大変、という愚痴を聞かされますが、
そこは、義務(Duty)ベースの文化なので、好き嫌いに関わらず、義務としてこなします。

女性はそのまま女神さまの表れですから、
女神像に毎日捧げるものと、全く同じアイテムを揃えるのです。

富と繁栄、パートナー、安心、快適さ、成功、などを追求できる、
唯一のアーシュラマが、結婚して家庭人として暮らしている時期です。

逆に言うと、家庭人に富と繁栄を追求してもらわないと、
他の誰も追求する人がいないわけですから、
家庭人は、家庭だけではなく、地域や国家の大黒柱という義務があります。

ゆえに、家の中も、自分の身体も、しっかりマンガラ(吉兆)アイテムを揃えて、
ラクシュミーをしっかり味方に付けなければなりません。

面倒くさいから、という怠け心で、ご神体に捧げものを怠るのが良くないのと同じですから、
アラクシュミー(ラクシュミーの姉、不幸・不和などを司る女神)が来てしまいますよ。


ダクシナ、ダーナ、ビクシャー等の言葉の使い分け方

ダクシナ、ダーナ、ビクシャ―、
これらの言葉は、伝統文化の理解において重要なキーワードであり、
単に「参加費」「授業料」「お金を渡すこと」という言葉と置き換えて使えばよい、
というものではありません。

ダクシナとは何か、ダーナとは、ビクシャ―とは何か、
正しく理解することが、受け取った知識の正しい理解にも繋がるので、
理解が深められるよう、説明を試みてみますね。

ダクシナ

・ プージャー、ホーマ等、お祈りの儀式をしてもらったとき、儀式をしてくれた祭司へ、
・ ヴェーダとそれに関する文献の教えを授かった時、先生へ、
儀式や教えをを完結させるために不可欠な要素のひとつがダクシナです。

「任意で与える」という態度とは違う点において、ダクシナとダーナは違います。

また、「プージャリさんへのダクシナ」スワミジへのダクシナ」「~先生へのダクシナ」 と、
ダクシナは、知識を持った特定の人に宛てられるものです。

尊敬を表すための、象徴的・儀式的な行為です。

祭司や先生など、知識を持っている人に敬意を持って渡すものであり、
お給料やチップではありません。
自分が雇い主のような態度や、お金あげてやってる、
という風にならないように気を付けましょう。

直接教えを受けたことが無い先生でも、ナマスカーラ(挨拶をして尊敬を表す)時には、
花と果物と共にダクシナも用意して籠にのせて捧げます。

また、アシュラムや会場などの運営費や宿泊費・食費などはダクシナとは言いません。
普通に、寄付・ドネーションと言えば良いでしょう。


ダーナ


自分が与える義務の無い人々に、一歩踏み出して与える行為。

家族を養ったり、社員に給料を与えたり、何かを得た対価を支払ったりするのは、
扶養義務、支払い義務を果たしているだけで、ダーナではありません。

サンスクリット一日一語にも詳しく説明しています。

しなくてもいいところをわざわざ意思を使ってするのがダーナなので、
その点で、ダクシナとダーナは違います。

文献で教えらている方法でダーナをする時は、
それはプンニャを得るための祈りの行為ですから、
儀式と同じように、もらってもらう相手、もらってもらうもの、場所や時間など、
全ては神聖なものであり、与える側の人は、敬虔な態度で臨みます。


ビクシャー


家庭を持っていない、勉強に専念している人、
つまり、サンニャーシンとヴェーダの学生(ブランマチャーリン)に対して、
勉強をし続けてもらうために、食事を提供することを、ビクシャ―と言います。


ビクシャーのスポンサーをすることを、アンナ・ダーナ(食べ物の分配)と言います。

ビクシャーを与えることが出来る、唯一の立場にいるのが、家庭人(グラハスタ)ですから、
キャンプの時など、家庭人でもビクシャ―を体験して食べることは出来ますが、
家庭人までビクシャーを当てに生きるようになると、文化的な社会が崩壊してしまいます。
という点は、スワミジがよく指摘していましたね。


ダクシナ、ダーナ、ビクシャー、そして運営費など諸々、
これらを総称して、寄付ということも出来ますね。
お礼やプレゼントはそのままの呼称で良いでしょう。

いずれも、消費者から貢献者へという自己成長を後押しする
象徴的なステップです。

日本の寄付に対する感覚に関して一考


日本人の感覚では、寄付という行為は、
「お金を有り余らせている金持ちだけがするもの」
「庶民にはどうせ無理」のような、ちょっと悲しい認識があるようですが、
いつかドネーションをする為のお金があり余る日を待っていたら、
どんなにお金持ちになっても、自己成長するチャンスは一生来ないでしょう。

所得額が問題ではなく、人の為に一歩踏み出したかどうか、それだけです。
一文無しの生活をしている人でも、分け与えることを知っている人は世界中に沢山います。

余ったもの、要らないものをおすそ分けしているのは、不用品を処分しているだけで、
「与える時にはベストなものを」という精神とは違いますね。

自分がやっていると人のことも見えてきますが、
実際にダーナをしている人は皆総じて、
「やろう」と決めて、工面して実現されているものです。

経済状況がまずありき、ではありません。
所得の無いサンニャーシンやブランマチャーリンでも(こそ)ダクシナやダーナの価値を知っていて実践しているので、
結局はその人の価値観において優先順位がどうなっているか、だけです。
経済状況はその後からくるものです。

2017年7月13日木曜日

アヌナーシカとアヌスヴァーラの違いについて

年末のパーニニ文法講座の準備会で出て来た、
「アヌナーシカとアヌスヴァーラの違いは?」
という、よくされる質問について、さきほどさっと返答したものを、
ここでもシェアしますね。
サンスクリットを長年勉強していても、疑問のままとなっている人は、
インド人でさえも非常に多く、疑問とさえ気づいていない人も多いので、
見直してみてください。
https://panini-japan.blogspot.in/

--------------------------------------------------
अनुनासिक の定義:
1.1.8 मुकनासिकावचनोऽनुनासिकः।
口と共に、鼻によって発音される音が、अनुनासिक です。
つまり、अनुनासिक とは鼻音のこと。
ञ् म् ङ् ण् न्, अँ आँ इँ etc. です。
--------------------------------------------------
अनुनासिक と अनुस्वार の違い:
अनुनासिक は鼻音、鼻に掛かった音。ある音の形容詞ですね。
अनुस्वार は、それ自体がひとつの音です。ṃと表記される、半拍分の長さの音です。
अँ = 鼻に掛かったअの音。ひとつの音。1拍。
अं = 鼻に掛かってない अ というひとつの音の次に、अनुस्वार (ṃ)という別の音が来ている、ふたつの音の表記。1拍+0.5拍。
--------------------------------------------------
धातुकोशः でのअनुनासिक
धातु の前後に、अनुनासिकの母音を付加することにより、そのधातुが、どのように扱われるかを表すことが出来ます。つまり、धातुにくっついているअनुनासिकの母音は、धातुの取説のような働きをしています。
取説の取説!は、धातुकोशः の最終ページにまとめてあります。
--------------------------------------------------
धातुकोशः の最終ページで、分かり易いものの例:
例えば、
धातु に付いているअनुनासिकの母音が、アヌダーッタ(下線のついている母音)の場合、
そのधातुは、能動態の時にはआत्मनेपदをとります。
ダートゥの説明についている、Aというやつですね。
धातु に付いているअनुनासिकの母音が、スヴァリタ(上に縦棒のついている母音)の場合、
そのधातुは、能動態の時にはआत्मनेपद、परस्मैपदの両方をとります。
ダートゥの説明についている、Uというやつですね。
それ以外の場合は、そう、ダートゥはPとなります。

「バガヴァッドギーターの教える『カルマ・ヨーガ』というライフ・スタイルは何か」 2日間キャンプ

ओं श्रीगुरुभ्यो नमः ।
この度、良きご縁に恵まれ、
金沢のヤンララさんのところで、
来年の1月27日(土)28日(日)の週末に、
バガヴァッド・ギーターの教えを皆さんとシェアする運びとなりました。
https://www.yanglalah.com/workshop-bhagavadgita-medha-michika-ji/

伝統に基づいた教えを勉強したいと願う人達と共に、
教えをシェアできる機会を作ってくださった、
金沢ヤンララ主宰の明美さんに感謝しております。

「カルマ・ヨーガ」も、独り歩きしている言葉の代表例ですね。
アシュラムでのタダ働き?外向的な人の為のPath?
結果を期待せずに行動をすること?
仕事や家庭を放ったらかして、好きなことをすること?


プージャ・スワミジはいつも、彼の下で学んだ生徒に対して、
「あなたがやって来た場所に戻って、やって来たことを続けなさい」
と仰います。

今まで居た場所や、今までやってきたことが嫌で、インドまでやって来て、サドゥーからの教えを乞うて、家族や仕事という日常生活から離れたアシュラムで生活しながら勉強したのに、
また同じところに戻るの?

バガヴァッド・ギーターで教えられているカルマ・ヨーガの意味を理解できたなら、今まで日常だった家庭や社会での義務の意味が完全に変わるはずです。

カルマ・ヨーガは、バガヴァッド・ギーターを特別なものにしている、重要なトピックです。バガヴァッド・ギーターの教えるカルマ・ヨーガの意味を理解していなければ、バガヴァッド・ギーターを理解したことにはなりません。

カルマ・ヨーガを理解するには、自分を一人の個人たらしめている、自分か関わっている、この世界の全てとは何か?そして自分とは何か?さらに、自分は結局何を求めているのか?という根本的な主題ついて正しく知らなければなりません。

何をやっても、どれだけのものを手に入れても、どれだけのものを手放しても、いつまでたっても何かを探し続けている自分がいるのは、世界や自分や自分の欲しいものについて知っているつもりだけど、実は間違った認識をしているだけで、正しく知っていないからなのです。

あらゆる経験を通しても、身体を曲げ伸ばすヨーガをしても、瞑想のプラクティスを続けても、これらの根本的な主題についての答えに気づくことは出来ません。なぜなら、あらゆる経験は、これらの根本的な主題について、知る為の手段ではないからです。

これらの根本的な主題について知る為の手段が、ウパニシャッドという文献です。バガヴァッド・ギーターは、ウパニシャッドと同じ主題を扱い、さらにその主題を正しく知るのに必要な、精神的に成熟したマインドを準備するための手段も教えています。

その手段が、カルマ・ヨーガというライフスタイルです。

それは、ヒマラヤの山奥に逃げ出すことではなく、今ここにいる自分に与えられた、家庭や社会での役割を、正しい姿勢を持って、果たすことだと、クリシュナはアルジュナに教えます。正しい姿勢とは、「この世界の全てとは何か、そして自分とは何か、さらに、自分は結局何を求めているのか」というトータルなヴィジョンに基づいた、自分と世界への理解です。

バガヴァッド・ギーターでは「カルマ・ヨーガ」という言葉がクリシュナ自身によって何度も教えられています。その正しい意味を教え継ぐ、伝統の教授法に沿って、カルマ・ヨーガの意味の理解を深めましょう。

2017年7月11日火曜日

サンスクリット語集中講座2017のご報告

Mukti先生サンスクリット合宿のご報告です。
サンスクリット語集中講座2017 

「こんなに分かっていいの!?」「世界が変わった!」
といったフィードバックが得られるサンスクリットの講座なんて、
素晴らしいですね!これからもどんどん開催して欲しいです。

単に言語だけを学習するのではなく
(だから無味乾燥でお堅い感じがするのでしょうね)、
文献に対する姿勢、そして、
文献の知識の伝承を支えてきた文化も学べるので、
Mukti先生のような伝統を知る先生から学べる生徒さんは、
とても幸運です。

2017年7月7日金曜日

サンスクリットの知識とコンピューターの知識

こんな便利なツールを見つけました。
https://www.avashy.com/hindiscripttutor.htm
サンスクリットの表記として主に使われている文字である、
デーヴァナーガリーの書き順・発音を紹介しているサイトです。
テストのコーナーも面白いですよ。

もちろん、サンスクリットに限ったことではないのですが、
この数年で、オンラインで入手できる、デジタル化されたサンスクリットの資料・教材が一気に増えましたね。

サンスクリットの知識と、コンピューターの知識を、
両方持ち合わせている人材は常に不足していますが、
そんな人材がこれからもっと増えると、
もっと楽しいことがいっぱい起きそうなのにな~
といつも思っています。

パームリーフもそうですが、紙の文献のほうは、
絶版ばかりで古くなるだけなのは悲しいですが。。

でも、これは私がいつも言っていることですが、
ハードディスクにどれだけ資料を貯め込んでも、
自分の頭の中で、何かが起こらなければ意味は無いのですよ!

2017年7月6日木曜日

月下美人が開花しました。

プージャ・スワミジのクティア(住居)の庭にあった、
ブランマ・カマル(ब्रह्मकमलम्)、日本名・月下美人は、
メモリアルの改築の為に一時避難し、
その一部を私が昨年引き取り、お世話をしてきて、。
昨夜、初めて私のところで開花したので、写真をシェアしますね。
















2017年7月2日日曜日

「ヨーガのゴール」?

毎朝すれ違う孔雀さん
  
「ヨーガのゴール」という言葉が独り歩きしているような気がします。

まず、「人生のゴール」が明確でなければなりません。
ヨーガとはその手段です。

しかし、混乱し切った価値観の中で、何がゴールで何が手段なのかが、
ごっちゃになって分からなくなっているのが、地球上の全人類ほぼ全員です。

ヴェーダやギーター、タットヴァボーダ等の経典は、人生のゴールを明らかにするものであり、
さらに、そのゴールを得る為に必要な、24時間365日のライフスタイルも教えています。

そのようなライフスタイルを、ヴェーダーンタではヨーガと呼びます。
それは、一般的に使われているヨーガの意味ではありません。

このように、まず経典によって「人生のゴール」を明らかにし、
それを得る為の手段として、自分の人生を生きる、という姿勢がヨーガ、
という位置づけを認識せずして、


「アーサナ等のヨガのクラスの先にあるゴール」というゴール設定をしていたのでは、
どこに辿り着くか分からなくなってしまいます。

この点において、多くの人が、「ヨーガのゴール」という言葉で混乱しているように見受けられます。



「人間として生まれて来た意味・ゴール・得るべきもの」について、
真剣に考える人に対して、「それはひとつしかない、それはあなた自身です」
と教えてくれるのが、ウパニシャッドです。
タットヴァボーダは、ウパニシャッドのエッセンスをわかりやすくまとめた本です。


ウパニシャッドが教える知識を、きちんと理解できる心を育てるために、
必要な修行は、天から自分用にカスタマイズされて与えられた、
家庭や社会での、その時その場所での役割です。それを、ダルマと呼びます。

自分の身に起こる全ての出来事、自分に関わる全ての人々、
自分の中に表れる全ての感情、嫌なことも悲しみも、全ては、この宇宙の在り方の表れであり、
自分の心を宇宙サイズに大きくしてくれるために与えられた、
精神成長の為のギフトである、という理解と姿勢を持って、
 日々の生活を丁寧に、自分と周りに誠実に生きていく、そのようなライフスタイルが、
バガヴァッド・ギーターなどの聖典で教えられている、ヨーガの生き方です。


ゆえに、スタジオで行われているアーサナやプラーナーヤーマ等のヨーガと、
生き方としてのヨーガを混同していると、訳が分からなくなってしまいます。


ヨーガの生き方の中で、心身の健康維持、リラックス、集中力の向上において、
必要であれば、アーサナやプラーナーヤーマ、瞑想などの、一般的にヨーガと呼ばれている
テクニックを取り入れると良いですが、
そのテクニックとしてのヨーガ=(イコール)ヨーガの生き方ではありません。


ヨーガという言葉は、ヴェーダーンタを勉強していく上で、混乱の根源となっているので、
一度、ヨーガという言葉を完全に忘れて、真っ白な心でヴェーダーンタの言葉を聴かなければ、
混乱に混乱を上塗りするだけの結果になってしまいます。

2017年7月1日土曜日

日本で勉強できるということ

11月27日~の飯能での1ヶ月のキャンプは、
告知後間もないですが、既に満席だそうです。
https://terakoyahanno.blogspot.in/2017/06/medha-michika.html

私にとっては予想外だったので、このように一緒に勉強できる多くの人々とに恵まれたことに、嬉しくびっくりしております。
(私はいつも、主催者の方とふたりだけでも、しっかり勉強できれば、それだけで素晴らしい大きな実りだと思っています。)

ヴェーダーンタを深く勉強したいと志す人々がこのように集まって、
伝統に沿った教えを一緒に学ぶという運びになれたのは、
知りたいと真に願う人に勉強をする機会を与え続けてきた、
恩師プージャ・スワミジのご意思の賜物です。

スワミジの教えを受け継いで既に日本で日々献身的に教え続けておられる先生方に支えられ、
こうやって皆が集まれる環境を提供して下さっている主催者の方、
お世話をして下さっている方々、皆に支えられて、
このように勉強できることに、感謝が尽きません。

人類の歴史の中で途切れることなく教えを継いで来たリシ達のブレッシングが、常に私達にありますように。。

2017年6月29日木曜日

カースト制度について(3)

 皆が自分に与えられた義務(スヴァ・ダルマस्वधर्म)を果たしているから、社会全体が機能している、ブラーンマナがブラーンマナとして行動してくれているおかげで、クシャットリヤがクシャットリヤとして役目を果たしてくれているおかげで、と皆がお互いのあり方にお互いに依存している、という意味で「お互い様」ですね。

「生まれはクシャットリヤだけど、がんばって、自分の運命に逆らって、ブラーンマナの地位を達成したぞ!これぞ成功だ!これが自由だ!」といった、日本では美化されている下剋上的なアイディアではないですね。自分の義務を放棄して、他の仕事に就くということは、つまり他人のするべき仕事(パラ・ダルマपरधर्म)を奪い取っている訳で、それは推奨されず、個人や全体の不安や恐怖を招くもの(भय-आवह)と教えられています。

Medhaみちかの関連サイト