2019年12月8日日曜日

初めてのスタジオでのレコーディング!

今日は、ギーター・ジャヤンティーという、
バガヴァッドギーターのお誕生日です。

そんな吉兆な日に、バガヴァッドギーターの練習用Youtubeビデオの録音をしに、
チェンナイの Krimson Avenue Studios というスタジオに行って来ました。

今まで録音はずっと自分の部屋で試行錯誤を重ねながらやってきて、
それなりの数の動画を既にYoutubeに上げて来ている中、
わざわざスタジオを借りてまで?と、
スタジオの道のりのUberタクシーの中でさえも考えていたのですが、
実際にスタジオに来てみて、担当の技術者と話してみて、
来て良かった!と思いました。とにかくやってみた価値はあった。

「ギーターのチャンティングの練習用のYoutubeの音源を作りたい」
と初めて会った技術者に言って、すぐに分かってもらえる。
「シュルティをヘッドフォンで聴きながらチャンティングしたい」
と言うと、自分のお気に入りのタンプーラBOXや音源はあるのか、
自分のいつものシュルティは何か?(AとかA#とかBとか) とか、
ちゃんと分かった質問が返って来るし、
「いや、特に。」と言うと、
タンプーラの音源を用意してくれて、私の音域に合ったシュルティを見つけてくれて、
それをヘッドフォンから流してくれる。
ここまでのステップに5分くらい。
日本じゃ、「????」って感じで、ぜんぜん話が進まないようなことでも、
さすがインド、文化の土壌がしっかりあるので、私にはやりやすい。

しかも、あとでオーナーの人と談話していて教えてもらったのですが、
担当の技術者の人は、シャバリ・マライの祭祀の息子で、
彼自身もシャバリでプージャーの全行程が出来る人なんだって!
やっぱり、宗教的に清潔な人々に録音を担当してもらえるのは、
本当に安心!
チェンナイに滞在している間に通って、ギーター全18章など、
たくさん録音したいと思いました。

自分の部屋で録音するよりも、音質が断然良いのは当たり前ですが、
チャンティングのみに集中できるのはありがたいです。

スタジオの費用も、日本やロサンゼルスに比べたら、破格に安いですしね。

全て込々の値段で、出来上がりのファイルのストア先アドレスをメールで送ってくれて、
と話が速い。気に入った。

全てアレンジして同行してくれた清美さん、ありがとうございます!
一緒に来てくれた、フランスのレユニオン在住の9歳のテーちゃんも、
レユニオンの音楽の先生に教えてもらったタミル語のムルガン(だったっけ?)の歌を
可愛い声で披露し、技術者のお兄さんがサービスで録音・編集してくれました。
最初は照れていたけど、やっぱりスタジオで歌うのはいい経験。
「これからいっぱい練習して、また来年も一緒に来ようね!」と約束しました。。

 

2019年12月5日木曜日

インド人達よ!といつも心の中で叫んでいること。


インド人がインド人に私を紹介するとき、
いつもこういう台詞を聞かされる。

「彼女はパンディット(伝統的な学識者)なんですよ!」
「いや~凄いね~。じゃあサンスクリット語で喋ってみてよ」

もういい加減こういうのはやめて欲しい。

謙遜しているのではなくて、
私という変わった存在を、
既知の箱に押し込めようとするのはもうやめて、

自分達の文化の理解の為にも、
何が起きているのか、既知の箱から飛び出して考えられるようになって欲しい。

私が人生の健康寿命を呈してサンスクリット語文法を教えているのは、
パンディットになるためではありません。
当たり前だろ!?そんなことも分からないの?ほんと馬鹿じゃない??

インドの豊かな文化の継承の為のセーヴァーに、残りの人生を呈している、
と言えるように頑張っているのです。

私がプージヤスワミジから教えてもらったセーヴァーに対する姿勢への理解は、
プージヤスワミジの教えに深く触れた人でないと分からないのだと思います。

そして、
サンスクリット語の会話力のみで、私の知識を計ろうとする、
その幼稚な認識から、そろそろ卒業しましょうよ。。

会話とかいう語学を勉強しているのではありません、私は。
インドの伝統的な文献を勉強している人は、
サンスクリット語文法の言語学的側面にもっと意識を向けるべきです。
さらに、言語学の体系を、メタ言語で教えている、
スートラというシステムに、脳みそをアラインさせるべきです。

サンスクリット語を勉強している人の中でも、
スートラの勉強の価値を理解している人は、ほんの一握りですね。

スートラを勉強している人達も、ヴリッティを丸暗記するという、
思考停止をさせる勉強法に陥っているという惨状です。

私みたいな外国人女性が、サンスクリット語文法を教え、
教科書を何冊も書き連ねている中で、何を伝えようとしているのか、
インド人達よ、目を開けて認識してよ!


2019年12月2日月曜日

インドの文化から学べること

プージヤスワミジの生誕地であるマンジャクディで、
同じ先生を持つ先輩スワミジのシヴァプラカーシャーナンダ・スワミジによる、
2回目のBrahmasutraのBhashyaキャンプが無事終わりました。

プージヤスワミジからヴェーダーンタのクラリティーをきちんと受け継いだ、
生まれも育ちもヴェーダ文化の教養の高い博識あるスワミジから、
ヴィヤーサのスートラ、ヴィッディヤーランニャのニャーヤマーラー、
そしてシャンカラーチャーリヤのバーシヤを、一言一句解説して教えてもらえ、
伝統の先生方と同じ言葉で同じ意味を味わえるのは、本当に有難いことです。。


ヴェーダーンタのヴィジョンをクリアーにするために、
このような勉強が必ずしも全ての人にとって必要ではありません。

ヴェーダーンタの文献を正しく教えられる先生に出会い、
その先生について、きちんと学べること。
自分が貢献者となることを選びながら、クリアに理解できる心を育てること。
これさえあればもう何も要りません。

キャンプでご一緒したのは、バンガロールに行くたびにお世話になっている、
熱心にヴェーダーンタを勉強されているブランミンの奥様方達。

先日の日本のキャンプで、インド料理のクラスをしてもらうよりも、
食べ物に関するインドの宗教的清潔さ(例えばこんなこと)を学んで欲しい、
と切に生徒さん達にお願いした際、「どこに行けば学べますか?」と訊かれました。
こういうことは学校で教えてもらったり、文献を読んで学ぶものではなく、
先祖代々宗教的清潔さについて教えてもらっている人々と一緒にいて学ぶものです。

しかし、インドに長年住んでいても、インドの文献を長年勉強している人でも、
実際は、こういった宗教的な習慣について無知な人が殆どなようです。

何が言いたいかというと、ヴェーダの知識の伝承というものは、
ヴェーダの知識の伝承を担当している人々から直接学ぼうとしない限り、
どれだけ文献を覚えても、たとえどれだけ彼らと一緒に時間を過ごしていたとしても、
学べるものでは無いのだな、と実感したということです。

文献はサットヴァな文化の中で教え継がれている、ということです。

インドに何年も居て、いろんな人に会って、いろんなことを学ぶ人は多いですが、
裏路地の食堂でノンベジ食べてお酒飲んでボリウッドに詳しくなる人もいれば、
ブランミンの先生の下で同じような生活様式をしながらヴェーダの詠唱を学ぶ人もいます。

「インドに来たならスラム街を見ないと本当のインドを知ったことにならない」
という人がいますが、スラム街なんて世界中どこにでもあるのだから、
私なら、せっかくインドに来たのなら、
インドならではの、ヴェーダのヴィジョンにもとづく文化と、
その文化を受け継ぐサットヴァな人々(それをブランミンと言う)
に触れて欲しいと思います。

同じ「聖典」を何年も勉強しているといっても、
お酒を飲んでノンベジ食べて呪術的なことに専念していく人もいれば、
(まさに、ギーターの教える、タマス・ラジャスな祈祷ですね。。)
カースト差別を教えいる!という解釈ができる文章を漁り続けている人達もいるし、
(ヒンドゥー嫌いの政治家から資金を得ている人達。本当に時間の無駄)
タンクトップを来てヨガを一日中してセルフィーに映った自分を見ている人もいるし、
ヴェーダーンタを勉強して、聖典が教える自分の本質を見ている人もいます。


サットヴァ、ラジャス、タマス。
サットヴァの質が高い人のあり方を、ブラーンマナと言います。
同じ世界を見て、何が見えるのか、
インドを見て、文化に触れて、聖典に触れて、何が見えるのか。
どれだけインドに居ても、どれだけ聖典を勉強しても、
自分がサットヴァの質を高めていこうとしない限り、見えるものは限られます。


2019年11月30日土曜日

「セーヴァー」について。

私の先生であるプージヤ・シュリー・スワミジ・ダヤーナンダ・サラスヴァティが起こされたAll India Movement for SEVA。
人間の本当の豊かさをひとり一人が自分の立場で発見できるよう、
個人・企業・国家のレベルで、セーヴァーを実践できるように作ってくれたインフラのひとつです。
セーヴァー(SEVA)とは、一歩踏み出して、手を差し伸べること。
自分に与えられたものを、それを必要としている人に与えること。
与えられる機会も含め全ては与えられているという事実が、
事実として分かるには、人間に与えられている自由意志を使って、
他の痛みを減らす行動の選択を続け、
自分に与えられた能力と時間を他の幸せに役立てる行為を選び続けるしかありません。
セーヴァーは、21世紀により本質的に豊かな社会を築くための共通のキーワードになり得る言葉です。。

ヴェーダーンタの紹介文

 
自分とは、この世界とは、本質的に何なのか?
という人間の根本的で最終的な問いは、
永遠の謎でもあります。
 
なぜなら、それを知る由が無いからです。
 
色形を知るには目という知る手段が与えられ、
味を知るには味覚という知る手段が与えられ、
知覚を元に推測をするという論理的思考も与えられていますが、
この身体と心を対象化して見続けている、自分という存在にが何なのか、
それを知る手段は、この身体と心には備わっていません。
 
だから、自問自答しても、雲を掴むような、
答えになっているのかいないのか分からないものしか得られず、
「凡人には知り得ないのさ~」でお茶が濁されます。
 
ヴェーダーンタは自分の本質を知る手段であり、
自分の本質とは、自分が求めているものの全てだった、と教えています。
 
それってどういうこと?それって本当?
本当だったら、これ以上いいことは無いんだけど、
なんか、全然しっくり来ない。。
 
じゃあ、完全にしっくり来るまで、
しっくり来ない原因である混乱した現実観を気長に解きほぐしていくのが、
ヴェーダーンタの学びです。

2019年11月24日日曜日

聖典に対する一般的な混乱

先日SNSのどこかで、だいたいこんな感じの内容の投稿を見かけました。

教えの伝統の中でヴェーダーンタを勉強している人なら、
どこがおかしいか、分かるはずです。 

~~~~~~~~~ヨーガの聖典であるバガヴァッドギーターは、
「自分と自分でないものを混同するな」と説いている。
例えば、自分と自分の収入、学歴、職歴、、、
でもそんなこと、ギーターに教えてもらわなくても、
自分でちょっと考えれば分かること!
~~~~~~~~~

どこがおかしいか、分かりましたか?

ウパニシャッドやバガヴァッドギーターを「勉強」している人々の中でも、
それらがプラマーナであるということ、
そもそもプラマーナとは何かということ、
をきちんと分かっている人は、なかなかいません。

聖典と呼ばれる文献は、生きた先生から生徒への「教えの伝統」と必ずセットで教え継がれています。
どんなに文献にかじりついても、この知識の伝承の中で学ばなければ、
自分勝手で意味のない解釈になってしまいます。

どこかのヨガスクールなり哲学のクラスなりで「刷り込み」されてしまったら、
後できちんとした教えを聴いても、なかなかきちんと頭に入らないものです。

だから、ヴェーダーンタを勉強する人は、インド哲学に対する刷り込みから自由な、
まっさらなマインドで聴く姿勢を持っている人が望ましいです。


さて先の文、どこがどうおかしいのでしょうか?

まず、ヴェーダーンタは「汝~するなかれ」といった、
「しろ、するな」の命令を教えるものではありません。
厳密に言うと、ヴェーダのカルマの部分でさえも、
「しろ、するな」と言っているように見えて、実は、
「こうすると、こうなるよ」という事実しか教えていません。

自分を自分でないものと取り違えている、というのは、
人間のみならず、生きているもの全てに共通する大前提です。
気づいていない人は多いですが、自分の経験に照らし合わせたら、
「ああ、言われてみればそうだ」と分かる筈です。
経験で分かることは、ヴェーダというプラマーナの対象の範囲ではあり得ません。

ヴェーダーンタ・プラマーナの対象は、
「じゃあ、本当の自分は何なのか?」
だけです。

それを知る術が、経験の中には無いからです。
自分の顔が自分で観れないのと同じです。
見たり聞いたりという感覚以外に、鏡という別のプラマーナが必要です。
そこの辺りに分別が無いので、古今東西人々は、瞑想を含めて、経験を追い求め続けているのです。それをサムサーラと呼びます。。


私のクラスと、ヴェジタリアニズム

もっと多くのノンベジの人に向けて話をしないと、意味ないじゃないか!
と、先生・先輩スワミジの方々から言われます。

私は2005年くらいからエコベジ(環境を考慮したヴェジタリアニズム)を
広めるべく、ネット上で発信をしていましたが、すぐに気づいたのは、
共感してくれる人が既にヴェジの人ばかりで、これじゃ意味が無い!ということでした。

 

私のクラスに来る人には、ヴェジタリアンであることと、
祈りのある生活をしていることをお願いしていますが、
現代日本のような場所に生まれて来たら、もともとヴェジであることすら難しいですし、
自分できちんと納得してヴェジになることを選べるようになるためには、
私のクラスを何度も何年も(人によってそれぞれですが、)聴かないと、
なかなか分からないと思います。
私のクラスで一度でもヴェーダのヴィジョンを聴いたら、
これまでの世界観が根底から揺さぶられるはずですし、
その人のこれからの人生はもう同じものでは無いと確信を持っています。
食べるという行為は、世界に対する自分の姿勢を最も顕著に表している行為ですから、
食べることに関しても、客観的で思いやりのある理解が少しずつでも深まっていくはずだと信じています。
その人が少しでもヴェジに代表される思いやりのある選択が出来るよう、
私が何か手助けできるなら、何年でも何十年でも話し続けるつもりでいます。
その人がヴェジの選択を出来る日が、今世でなくて来世やそのまた来世であっても、
私はその人を祝福します。

プージャスワミジに私は、ヴェジタリアニズムを日本で広げたいというサンカルパを、
ことあるごとにもシェアして、ブレッシングを頂いているのですが、
ヴェジの人だけに話していたら、ヴェジタリアニズムは広げられません。
ウパニシャッドのクラスは、完全ヴェジの人にしか教えられませんが、
ヴェーダの文化についてのクラスは、ヴェジタリアンに対して決めつけやジャッジメントを持っていないオープンなマインドの人なら誰でも来て欲しいと願っています。

「禁止されているから」という恐怖でヴェジになるのでもいいですが、
ヴェーダーンタを勉強する人なら、きちんと自分の知性を使って、
なぜヴェジなのかをきちんと理解して、自分の自由意志をきちんと使って、
ヴェジになってもらわないと、ヴェーダーンタの理解は無理です。

先日頂いたメールが素晴らしかったので、ご本人の許可を得てシェアしますね。
食べることを変えるだけで、世界観にこんなにもトランスフォーメーションが起きるなんて!と驚き感動します。。


以下メールの抜粋ーーー

実は、私はみちか先生のクラスを受け始めてからもこれまで、動物を食べることをやめられずにいました。

でも、(サンスクリット語を教えられる生徒)さんに初めてクラスをしていただいた日、「私は家にいながらヴェーダンタもサンスクリット語も勉強できる環境を与えられているにもかかわらず、この世界に何にもお返しできてない…」と、自分がすごく情けなくなりました。

それで考えた結果、もう自分が食べるためにほかの生き物を苦しめるのをやめるのが、今の私にできる最大限の恩返しだと思い、菜食にしました。

その後、たくさんの心の変化がありました。
今まで共感できなかった人たちの行動や態度を理解する姿勢を持てたり、

スーパーに並ぶお肉やお魚を見たとき「もう食べなくてもいいんだ」とホッとした気持ちになったり、

中でもとても印象的だったのは、「(たとえノンベジが)好きでも食べない」という選択肢があったことに気付いたことです。


こういった気付きを通して、「食べる」という行為が、人生全般あらゆる場面に「好き、嫌い」の価値観をこんなにも増幅、波及、浸透させていたのかと、とても驚きました。


それから、
頑張っている人や困っている人を応援しようと思えるようになり、少しですが毎月寄付できるようになったり、

今までとれなかった行動がとれるようになりました。

この前の台風19号では、私の身近な地域で大変な浸水被害がありました。

行動を起こすことをしばらく迷っていましたが、自分に与えられた環境を生かして何かしてみようと思い、生まれて初めて周りの人に声をかけ、支援物資や募金を募りました。

些細なことかもしれませんが、今までの私だったら、他人事として口先でだけ心配し、このような行動は決して選択できなかったと思います。


先生がいつも、アヒムサーやダルマ、セーヴァーについてお話して下さるおかげです。

確実に、日々、自分と世界との関係が変わっていくのを感じます。

毎日忙しく活動できることが嬉しく、ありがたく感じます。
ー抜粋以上ーーーー

2019年11月22日金曜日

マンジャクディでの時間の過ごし方

プージャスワミジの生誕地である、クンバコーナム近くの小さな村で、
先輩スワミジの2週間キャンプに参加しています。

ブランマスートラ・バーシャのクラスは毎日4クラス。
チャイは毎日3回出してくれます。
夕方はプージャスワミジのサットサンガ(Q&A)のビデオを皆で観ます。

牛さんは毎日触り放題です。
日本でも、牛さんがもっと生活の中にいて、毎日世話したり触ったりできたら、
皆がもっと大事なことの方向に知性を使えるようになると思うな。。

 スワミジが好きなパーリジャータがホールの周りに植えてあります。

今朝はホーマとタントラの儀式をしていました。

毎朝、早朝に玄関先が綺麗に掃除されて、吉兆の印であるコーラムが描かれます。

マンジャクディにも孔雀がいたとは。

インドの犬は道の真ん中で寝ます。完全な信頼。

2019年11月21日木曜日

ヒンドゥーの祈りの儀式の意味

この1、2年、各地で何度か、ヒンドゥー教のお祈りの儀式(プージャー)の、
ひとつひとつのステップにある意味を教えるクラスを何度か開催してきました。
小冊子も作りましたが、意味をきちんとまとめて本に著すべきかなと思っています。

ヒンドゥー教のプージャーは、この世界を客観的にトータルで認識するためにあり、
ヒンドゥーの神々は、信仰の対象のみで終わらず、理解の対象であるのに、
お祈りの儀式なんて、おまじないぐらいにしか認識されていないのが現状です。
もっと多くの人が知ってもいい事実なのに、知られなさすぎで勿体ない。

内田樹さんという人のインタビューに、
「(ユダヤ教の)儀礼の効能」という興味深いタイトルのページがあったので
読んでみると、儀式を毎日やっていれば自分の信仰心に疑いを持たずに済む、
ということだそうで、それだけかい!?とがっくり来ました。
https://www.toibito.com/interview/humanities/science-of-religion/1006/2
世界の宗教についてそこそこ知っていると期待されているような人物なのでしょうけど。。

ハーバードで東洋哲学を教えている先生の講義をまとめた本に、
孔子は、先祖供養の儀式をするように、日々の生活を送るように教えているけど、
実際その儀式がどのようなものなのかが現在は分からない、
といった内容があったように記憶しています。
是非ヒンドゥーの儀式の方法と意味から学んで欲しいと思いましたね。

クラスで実際に話すのが一番いいのですが、どうしても特定少数になりがちなので、
もっと多くの人にヒンドゥー教の真髄について知る機会を提供するには、

本を書くのが一番いいのかな、と思っています。

2019年10月21日月曜日

ディーパーヴァリー


今、ラーマーヤナ原文のラーマがアヨーディヤーに帰って来る場面を読んでいます。

स्वागतं ते महाबाहो कौसल्यानन्दवर्धन ||
इति प्राञ्जलयः सर्वे नागरा राममब्रुवन् |


 ランゴーリを描いて、ランプを並べて、ラーマの帰還を祝うのは、私達の心の中に、そして社会に、ダルマ(精神的豊かさをゴールに見据えた価値観・秩序)を迎え入れることの象徴です。






ブログ内を検索

トピック

3年コース (2) AG-デスクトップレコーダー (1) Android phone (1) Brexit (1) Class in English (1) Google Calendar 活用 (1) Lenovoのスマホ (3) monthly bhagavadgita meeting (1) TEDの感想 (1) tokyo (1) Vishnusahasranama Chanting Meeting in Osaka (1) Zoom (1) Zoom Proの購入 (1) Zoomの使い心地 (1) Zoomの使い方 (1) ZOOMの使い方 (1) アシュラム (28) アドヴァイタ (2) アニマル・サンクチュアリ (1) アヒムサー (5) アメリカ (1) アメリカのアシュラム (3) アンコンシャス (1) アンタッカラナ・シュッディ (1) アンドロイド (1) インド (31) インドでのクラス (3) インドのお祭り (4) インドのキャンプのお知らせ (6) インドのスマホ (1) インドの牛 (2) インドの植物 (1) インドの神々 (1) インドの定年退職後の生活 (1) インドの伝統文化 (34) インドの文化 (14) インドの野生動物 (9) インドビザ (1) インド時事 (1) インド旅行 (1) ヴィーガン農法 (1) ヴィシュ (1) ヴィシュヌ (1) ヴィシュヌ・サハッスラナーマ・ストートラ (1) ヴェーダ (5) ヴェーダーンタ (104) ヴェーダーンタ・キャンプ (5) ヴェーダーンタのクラス (2) ヴェジタリアン (3) ヴェジリアン (1) ウパニシャッド (12) ウブド (2) エーカーダシー (2) エコベジ (4) エコ生活 (6) オリッシー (1) オンラインのクラス (5) お祈り (1) お知らせ (2) カースト制度 (3) カーラカ (1) ガネーシャ (1) カルマ・ヨーガ (1) がんばらない (1) ギータープレス (1) ギフト (1) クラスについて (3) クラスのお知らせ (13) グルクラム (2) コインバトール (1) ゴーセーヴァー (1) コーラム (1) コンパッション (3) サラッスヴァティー (1) サンクスギビング (1) サンスクリット (43) サンスクリットのおさらい (2) サンスクリット語 (9) サンスクリット語は死語か? (5) サンスクリット語講座 (14) サンスクリット語文法 (3) ジャリカットゥ (1) ジョーティシュ (1) スカイプ (2) スカイプの録画 (1) スケジュール (1) スピリチュアリティ (2) スピリチュアル (1) スワミジの言葉の訳 (3) セレンディピティ (1) ダーナ (1) ダクシナ (1) ダクシナー (1) タットヴァボーダ (1) タミルの新年 (1) タミル文化 (1) ダヤーナンダ・パンチャカム (1) ダルマ (6) チャンティング (4) デュアルカメラ (2) テンプル (1) ナヴァラートリー (1) パーニニ (6) バガヴァッド・ギーター (14) バラモン (1) バリ (4) バリ勉強会 (3) ビデオ (1) ヒンドゥー (1) ヒンドゥー教 (4) プ―ジヤ・スワミジ (2) ファスティング (1) プージヤ・スワミジ (4) プージャー (4) プラサーダム (1) プラマーナ (1) ブルー・リリー (1) プレゼント (1) ペイ・フォワード (1) ベジタリアニズム (3) ベジタリアン (18) ベジマーク (2) マイソール (1) マハーバーラタ (2) メタ認知 (1) ユヴァル・ノア・ハラリ (1) ヨーガ (9) ヨーガとは (5) ヨガ (9) ラーマーヤナ (1) ランゴーリ (1) リシケーシュ (1) リシケシ (3) レコーディング・スタジオ (1) レビュー (1) 愛されたいという気持ちについて (1) 意識の研究 (1) 英語学習 (2) 園芸 (9) 何をするべきか (1) 科学 (1) 火の儀式 (1) 絵画 (1) 環境 (6) 環境問題 (1) 寄付 (2) 機内食 (1) 祈り (3) (2) 教科書 (1) 偶有性 (1) 経済学 (1) 結婚 (1) 月下美人 (1) 月例バガヴァッドギーターの会 (2) 言語学 (1) 広島キャンプ (1) 広島月1講座 (2) 貢献活動 (2) 国際感覚 (1) 今日のひとこと集 (1) 菜食主義 (2) 思考停止 (1) 私と生徒の書簡より (4) 自己否定 (1) 自由 (1) 自由意志 (1) 質疑応答 (2) 質問 (2) 手作り化粧水 (1) 宗教 (3) 書評 (5) 書評‘ (3) 食べ物 (1) 新宿ヴェーダーンタ (2) 真実について (1) 世界各地でのクラス (1) 千葉のクラス (1) 潜在意識 (1) 存在論 (1) 多田将 (1) 多文化共生 (1) 大阪でのクラス (4) 大阪月2講座 (3) 知らない間に自然とサンスクリット語が出来るようになるシリーズ (6) 池田晶子 (1) 畜産 (1) 長期コース (1) 定期講座 (15) 哲学 (1) 東京でのクラス (6) 東京月1講座 (7) 徳島でのクラス (1) 読書感想 (2) 南インド (1) 日記 (37) 日本 (6) 日本でのクラス (26) 日本語とサンスクリット語と英語。 (2) 日本語のヴェーダーンタ・コース (22) 日本語の文法 (2) 認識論 (1) 廃業 (1) 八支則 (1) 復習マテリアル (1) 福岡月1講座 (4) 文法 (1) 平和 (1) 勉強会 (7) 無知の知 (1) 名古屋でのクラス (3) 名古屋月1講座 (2) 予定 (4) (2) 蓮の育て方 (1)

Medhaみちかの関連サイト