2020年10月18日日曜日

ビルゲイツや落合陽一さんのような大きなヴィジョンを持って世界を動かす人にヴェーダのヴィジョンが伝わりますように。

ヴェーダーンタやサンスクリット語を教えていると、
どうしてもタイトルが「インドの智慧」「インドの伝統」のように、
「インドの~」になりがちですが、
教えている内容は完全にユニヴァーサル(普遍的)な内容です。

「自分がこの宇宙から分離・孤立・対立した存在だ」 と自己認識していて、
そんな自分が受け入れられない自意識を持っている人間という生命体に対してヴェーダは、
「この知的に組み立てられている宇宙の全ては、知識の表れであり、
その宇宙として表れている全知識が存在している意識があなたなのですよ」
という教えを理解するための準備として必要な自由意志の使い方も教えてくれています。

ここから見て分かるように、ヴェーダの教えは、
国籍やジェンダーはもちろん、思想や宗教をも超えた、
全人類、いや、宇宙人にでさえ普遍的なテーマを扱っています。

この宇宙から分離・孤立・対立している小さな自分を補完する為に、
社会的地位や経済的安定、人間関係による承認などを追いかけ続けても、
自分が自分の事を正しく知らない限り、自分は満たされません。
追いかけ続ける過程で、社会も環境も、あらゆる生物と無生物は破壊され続けます。

インドでは、このような知識に対して政治や経済のトップの方々が敬意を払います。
モディ首相が良い例でしょう。スワミジにも会いに来られていました。
スワミジも、人々の手本となる社会のリーダーがこのような知識を持つべきだと、
バガヴァッドギーターを引用して、インドでVIPと呼ばれる人達のための
キャンプ(集中勉強会)を開催されていました。

プージャ・スワミジが去った後、日本で教えるようになっても、
以前と同様、毎日ヴェーダーンタとサンスクリット語を教えながら学び、
「सर्वे भवन्तु सुखिनः(全ての人が幸せでありますように)」と、
世界の平和を祈り続ける生活を続けていて思うのは、
世界のこれからを真剣に考え、想い描き、引率して行く、
未来のあり方に影響力のある人々に、
例えば、ビルゲイツさんや、日本なら落合陽一さんのような方々に、
経済成長や自国ファースト的な思想に収まらない、
もっとトータルなヴィジョンを持って活躍してもらう為にも、
この知識を知ってもらいたい、ということです。

トータルなヴィジョンとは、この宇宙の全てという仕組みの中で、
人間として何を得るべきなのか、与えられたものをどう活用するべきなのか、
人間の根本的な問題と、それへの根本的な解決、
という普遍的で包括的なヴィジョンです。

「インドの~」と言った途端、インドに興味のない人は去って行ってしまうので、
上に書いたような、普遍的なテーマに集中して議論を進める本を書いてみたくなり、
同志の方々に手伝ってもらいながら、ゆっくりと進めています。
本を読んだだけで理解できるものではありませんが、話を聴こうと思うきっかけとして。

内容はユニヴァーサルだけど、それがインドの伝統文化の中で教え継がれているので、
やっぱり、きちんと学ぶには、インドの伝統的な学ぶ環境が必要になります。

世界のより良い未来を自分事として考えていることを常としている、
論理的思考能力に恵まれていて、行動力もある人なら、
インドで2週間くらいのキャンプに(ちゃんと)参加出来たら、
しっかり地に足の着いたトータルなヴィジョンを持って帰ってもらえると思います。
(プージャ・スワミジも、全体像をコミュニケートするのに最低限それ位あれば、
といったようなことを以前キャンプで仰っていました。)

日本ではまだまだ、先入観のせいか、「インドの哲学」や「ヨーガのゴール」のように、
「インド」や「ヨーガ」という狭い枠組みの中にヴェーダーンタを当てはめようとしてしまっているのでは?という傾向が強いですが、そうしているうちはヴェーダーンタをちゃんんと理解できません。

ちなみに「ヒンドゥー教」と言って、他の宗教と横並びにしている人も、
インド人でもそれが普通な位に普通にいますが、ヴェーダの教えをその枠組みに当てはめようとしているうちは、きちんとした理解は絶対に無理ですね。「ヒンドゥー教は宗教ではない」と言われる所以です。
あとついでに、ヴェーダの知識をきちんと学ばずに、”先進国”の価値観押しつけで、
インドで支援、協力、慈善活動をするのは、お金をばら撒く以外に誰の役にも立ちません。
そしてもうひとつついでに言っておくと、
インド社会が問題だらけなのは、本人たちのヴェーダの知識の無理解によるものです。
まずインド人にしっかり学んで欲しい。だから私はインド人にサンスクリット語文法を教え、彼らに自分達の文化に誇りを持ってもらい、理解を深めてもらうことが、
自分の役割だと思っています。

話を本筋に戻して、
「インド」や「ヒンドゥー教」や「ヨーガ」などの条件に拘わらず、
幸せを求めている全ての人に、そして多くの人々を良い方向へ導ける、
普遍的でトータルなヴィジョンを探求している影響力のあるリーダーの方々に、
ヴェーダのヴィジョンが伝わりますように。
既にヴェーダーンタを勉強している方々にも、先入観にとらわれず、
今勉強していることは、インド的な趣味やヨーガに限定されたものではなく、
全世界に普遍的なことなんだよ、という明確な理解と自覚を持って、
同じ思いを共有していただきたいなと思っています。

ナヴァラートリーの夜に、女神に祈りを捧げながら。。

 

リシケシのアシュラムにて、私の編んだナンディ―のお召し物に、
スワミジが気づいてくれた時の写真。

2020年10月17日土曜日

ナヴァラートリー・プージャー

今日からナヴァラートリーです。毎晩白い本にあるデーヴィーのシュローカを唱えると良いですよ。

 地域にもよるみたいですが、一般的には最初の3日間はドゥルガー、次の3日間はラクシュミー、最後の3日間はサラッスヴァティーを崇めると言われています。

こちらに一般的なデーヴィーのシュローカを紹介します。
 
सर्वमङ्गलमाङ्गल्ये शिवे सर्वार्थसाधके ।
शरण्ये त्र्यम्बके गौरि नारानणि नमोऽस्तुते ॥
sarvamaṅgalamāṅgalye śive sarvārthasādhake |
śaraṇye tryambake gauri nārānaṇi namo'stute ||
 
 
日本で教えていて痛感するのは、やっぱり子供の頃から、このようなお祈りのフォームに親しみ、訊けば大人がきちんと意味を教えてくれる環境が大事ですね。本当の人間の文化とはそういうものです。
 
プージャーも、インド好きの大人の為だけではないので、近くにお子さんがいれば、是非誘ってあげてください。
 
サラッスヴァティー・プージャーの祭壇に置く本も、ヴェーダ関係だけでなくても良いのですよ。国語算数理科社会、全ての知識はサラッスヴァティーです。子供の頃から、あらゆる知識や学問は神聖であることを教えてあげてくださいね。

ヴィシュヌ・サハッスラナーマのクラス

ヴィジャヤ・ダシャミーという、物事を始めるのに最も吉兆な日から、
ヴィシュヌ・サハッスラナーマ(ヴィシュヌ神の千の名前)の勉強会を始めます。

初日: 2020年10月25日 (日)

11:30~12:30
(ランチはベジでお願いします。)
14:00~15:00
 
ヴィシュヌ・サハッスラナーマ・ストートラムのチャンティングと、
ひとつひとつの名前の意味を見ていきます。 
約170以上のシュローカ(節)を含むストーットラム(節の集まり)なので、
全ての言葉の意味を見ながら勉強すると、3か月程かかると思われます。

次の週からは、毎週土・日にクラスをします。
土曜日 11:30~、14:00~
日曜日 10:00~、11:30~、14:00~
 
ZOOMへのリンクはこちらです。(ミーティング ID: 978290416、パスコード:918979)
 
テキストはこちらからダウンロードできます。
"Download Now!"をクリックしてください。
 
YouTubeでチャンティング用の動画を作りました。ご活用ください。
 
 
尚、Muktiさんのサンスクリット語文法クラスが、いつものクラスの前にあります。
クラスの理解につながるので、是非参加してみてください。
10月25日(日)9:30~特別プージャー、10:00文法クラス
次の週からは毎週土曜日10:00~ 
詳しくはMuktiさんのページを参照してください。

2020年10月15日木曜日

踊らされる必要ない。

 ごくごく稀にある、「顔が見えない相手だからこういうこと言ってくるんだよね?」という知らない人からの書き込みについて、

「全ての人の意見は尊重すべき?」
「削除やブロックすると偏狭になってしまう?」

今まではこのようなモヤモヤがありましたが、そもそも話し合いの姿勢とマナーでコメントされていないので、話し合うのは無理ですし、話し合いを始めても、余計に炎上させてしまいます。

そういう書き込みが何パーセントなのか、下にシェアしている落合陽一さんのように、もし集計して統計を出してみたら、ほんとに無視できる程の数はなず。それに踊らされて、SNS自体がネガティブな場所になってしまうのは勿体ない。
やっぱりSNSは素晴らしいツールです。上手く使えば。

私は政治家でも公人でもなく、私のタイムラインは私的なものなのだから、私の理想なSNS利用法を妥協する必要は無いと思うようになりました。

・自分が個人的に好きで使っているSNSなのだから、タイムラインは自分でデザインする。シェアしたいこと・したくないことは、私が決める。

・他の人を混乱させたり、自分が不快に感じるものなら、さっさと削除・非表示・ブロックすれば良い。

・私と違う意見や私の批判を論じたいのなら、自身のタイムラインで存分にすればよい。

・以前よくあった、知らないオジサンからの、上から目線承認欲求丸出しの的外れなお説教を、傾聴してあげる義務は私には無い。奥さんにでも話を聞いてもらえばいい。

そう思うようになりました。

https://note.com/ochyai/n/nbde00e33a354

2020年10月7日水曜日

週末のお祈りのクラスを終えて。。

2020年4月から、日本各地でのクラスがキャンセルになったのをきっかけに、
「じゃあ、何か出来ることをしましょう」という気持ちと、
各地の主催者の方々の温かいご協力のもと、
毎週末、忙しい合間を縫ってでも参加される熱心な参加者の方々の熱意に支えられ、
赤い本と白い本のお祈りのシュローカと、解説のコラムの全てを、
先週末に勉強し終えることができました。
本当にとても充実した時間を過ごすことができました。
また機会が巡って来れば、同じことをしたいと願っています。
 
今回学んだことを復習しながら、是非お祈りの習慣を毎日の生活に取り入れて、
勉強を続けてください。

朝起きてお風呂で体を清めた後すぐや、就寝前などに、
「何がどうなって欲しいか」というサンカルパをしっかり立てて、
自分のために、周りの人のために、そして生き物全てのために、幸せを祈る。
何に祈っているのか、何の為に祈っているのか、
祈っている自分と、祈りの対象との関係は?
サンスクリット語のお祈りの言葉は、人生で一番大切な、それらの答えを教えてくれています。
 
今週から週末のクラスは一旦休憩し、 
10月25日の吉兆な「ヴィジャヤ・ダシャミー」の日に、
ヴィシュヌ・サハッスラナーマのクラスを始めたいと思います。
 
クラスの詳細は近日中にブログでお知らせしますね。
 
それまでは、これからも安泰に実りある勉強が障害なく続けられるよう、
自分の心と身体が、周りの生き物全てが、大自然が、味方をしてくれるよう、
お祈りを続けていてください。。 

 
全てに感謝を捧げながら。。。
 

2020年9月30日水曜日

10月のお祈りのクラス(ZOOMの待機室が有効になりました)

ナマステ、

お知らせ: ZOOMが9月末に発表したセキュリティ対策機能として、クラスに入る前に「待機室」に入ることが必要となりました。ログインしてから、少しお待ちいただく必要があります。
 
サンスクリット語の祈りの句のチャンティングとその意味を学ぶオンライン・クラスを続けて来て、白い本も残り僅かとなり、「ギーター・ディヤーナ」と、15章の復習だけになりましたね。
10月3・4(土・日)で終了することになると思います。(終わらなかったらその次の週も。。)
 
4月から始めた、赤い本と白い本を勉強するお祈りのクラスは、とても実のあるものとなりました。またいつか良い機会が巡って来たら、また同じクラスをしたいと思っている程です。。

先週のクラスでも話しましたが、この経験的な現実の、真実性(リアリティ)を問うとき、『リアリティ迷子』にならないよう、必ず軸とするべきことが、イーシュヴァラの理解です。それは、ひとつの知識体が、物質として、法則として、状況として表れている、というただただ事実にもとづいた、この世界と自分の理解です。
そのイーシュヴァラを、全てに認識するための方法が、お祈りという形で、人間の出現とともに文化として与えられています。

ゆえに、祈りについて学び、祈りのある生活をすることは、ヴェーダーンタの正しい理解にはもちろん、この世界と調和して関わりながら平安に暮らして行くことにも、必要不可欠です。

このことは、日本でヴェーダーンタを教えるようになってから、日々より強く認識するようになっています。

祈りは、自分にとっていいことでも嫌なことでも、24時間365日にイーシュヴァラを認識するためにあります。ゆえに、祈りをバイパスして、イーシュヴァラと関わることをバイパスして、全ての本質は自分の本質であるという理解、すなわち、アドヴァイタの理解など、絶対にありえないのです。

クラスの時間割は以前と同じです。

毎週曜日と曜日
クラス① 10時~11時
30分休憩
クラス② 11時半~12時半
お昼休憩(お昼ご飯はヴェジタリアンでお願いします)
クラス③ 14時~15時
全て日本時間
 
ログイン情報は以前と同じです。
ZOOMのMeeting IDは、978-290-416
リンクは、 https://us02web.zoom.us/j/978290416です。 

(先日、パスコードの設定をしましたが、やはり待機室の機能にしました。) 
 
白い本のお祈りの勉強が終わったら、週末のクラスはいちど休憩して、できれば10月25日(日)のヴィジャヤ・ダシャミー(विजयदशमी [vijayadaśamī]  )という吉兆な日に、新しいクラスを始められたらな~、と思っているところです。
来週には決めて、告知をしますね。
 

皆さんとご一緒に勉強できるのを楽しみにしております。。
 


2020年9月10日木曜日

覚書: 平和を願う祈りの中の言葉の成り立ちについて

赤い本にある、平和を願う祈りの中にある言葉について質問があったので、シェアしますね。

全体的な文章の意味や、単語の意味は本にもありますし、詳しい説明は何度もクラスでしてきましたが、これから機会があれば何度でも説明します。。

「न्याय्येन [nyāyyena]」という言葉の成り立ちについて:



न्याय्य [nyāyya] という言葉は、न्याय [nyāya] という言葉から派生しています。

まず、 न्याय [nyāyy्a] とは、「適切な」「反していない、間違っていない」という意味です。そこから、論理に適った、こうなれば必ずああなる、みたいな意味にもなります。
नियमेन ईयते । अभ्रेषे
नि + इण् + घञ्       3.3.37 परिन्योर्नीणोर्द्यूताभ्रेषयोः । ~ घञ् भावे
नि + ऐ + अ           7.2.115 अचो ञ्णिति । ~ वृद्धिः
नि + आय् + अ       6.1.78 एचोऽयवायावः । ~ अचि संहितायाम्
न्याय                     6.1.77 इको यणचि । ~ संहितायाम्

न्याय [nyāya]という言葉から、次に、न्याय [nyāya] から離れていない」、つまり、「公平な、正義のある」といった意味の言葉が作られます。
न्यायाद् अनपेतम्

न्याय + यत्            4.4.92 धर्मपथ्यर्थन्यायादनपेते । ~ यत् तद्धिते
न्याय् +               6.4.148 यस्येति च । ~ भस्य लोपः तद्धिते
न्याय्य


दुःखभाग् [duḥkhabhāg] という言葉の成り立ちについて


भाग् [bhāg] の原形は、भाज् [bhāj] で、भज् [bhaj] という動詞の原形から造られています。
「~भाज् [bhāj]」という複合語になると、「~を得る者、経験する者」となります。

दुःखं भजते इति दुःखभाक्
भज् सेवायाम् (1U) to accept, experience, possess 

दुःख + ङस् + भज् + ण्वि        3.2.62 भजो ण्विः । ~ सुपि
दुःख + भाज्            7.2.116 अत उपधायाः । ~ वृद्धिः ञ्णिति 
दुःखभाज्

दुःखभाज् + सुँ
दुःखभाग्                8.2.30 चोः कुः । ~ पदस्य अन्ते च






2020年8月27日木曜日

ヴァルナと現代の日本社会

ヴァルナの話をするときは、現代インドの混沌をJustifyするために話しているんじゃなくて、ヴェーダの教えはユニヴァーサルなのだから、どの世界にも見受けられる人間や社会の問題を明確にあぶりだせる枠組みとして捉えてもらうように努めています。
が、なかなか先入観を強く持たれていて、難しいですけどね。 

ヴァルナについて学ぶポイントは、
  • 自分のサットヴァ性質(グナ)を高めることへの価値観を見出す 
  • 生まれや職種が何であれ、自分のグナをサットヴァにすること、ダルマ・モークシャのプルシャアルタは完全に可能であると理解すること
  • 自分の社会の問題を見出すきっかけになる。

これを読んでいる方は、サットヴァ・ラジャス・タマスと、ヴァルナについて既によく知っていることを想定していますが、一応、簡単に説明すると:
サットヴァと呼ばれる質が高いとき、心は明るく知性が発揮され、幸せに感じる
ラジャスという質が高いときは、欲求か強く行動的になる
タマスという質が高いときは、無知の闇に包まれ、怠惰になる。

この3つの性質(グナ)のバランスによって、4つの人間のタイプ(ヴァルナ)がある。
ブラーンマナ: サットヴァ > ラジャス > タマス
クシャットリア: ラジャス > サットヴァ > タマス
ヴァイシャ: ラジャス >  > サットヴァ
シュードラ: タマス > ラジャス > サットヴァ
人間の成長とは、サットヴァの性質を上げて行くこと。これは、生まれや職業に関わりなく、個人の努力の問題。

このヴァルナの分類は、職業(社会への貢献のし方)と、その職業を決める生まれにも使われる。 性質(グナ)を忘れて、生まれや職業の区別にばかり固執しているから、それが差別になり、社会問題になっているのだと思います。 
グナやヴァルナについて、ちゃんと勉強しないから、こうなる。としか言えません。

人間も動物の一種ですから、タマスやラジャスに流れる自然な傾向を持っているので、人間らしくあろうとすれば、自由意志を使って、サットヴァを選び取る必要があります。
(インドに生まれたからって、皆がこのような教育を受けているわけでは無いし、知っていても、自由意志を使う必要があるので、出来ているかは別の問題。

知性が要求されるヴェーダの文化よりも、世界の終わりなどの恐怖を煽る宗教が凌駕するのは、無知な人間として自然なこと。



現代の社会問題は、ヴァルナという枠組みから見ると、何が根源なのかはっきり見えてきます。 

祈ることが軽んじられ、人間が一番で、人間以上の力などないという傲慢。 
(ブラーンマナを尊重しないことから。ブラーンマナなのに尊重されないことをしているから。)

学問や芸術・医療から高潔さが薄れ、お金優先主義に成り下がっている。
真実もお金でどうにでも操作されている。(エビデンス作りやファクトチェックにかかる予算を出す人々によって、結果が操作されているなど)
(ブラーンマナとヴァイシャのヴァルナ・サンカラ)
 
政治から正義が失われ、お金やご都合優先主義に成り下がっている。
(クシャットリアとヴァイシャのヴァルナ・サンカラ)
 
大多数のタマスな考えの人が扇動された民主主義。

戦争に関しても、
ブラーンマナ気質の人は、平和を唱え、ペンは剣よりも強いことを唱える役割。
それは理想ゆえに、尊重されるべきこと。それをお花畑だと一笑に付すのは、混乱したタマスな社会。
クシャットリア気質の人は、理想を尊重したうえで、実質的なリスク管理を唱える。
ヴァイシャ気質の人が全ての実権を持ってしまっている拝金主義の現代社会では、民衆は不必要な戦争へと簡単に扇動される。
扇動されて、結局言われるがままに無駄死にするのは、大多数のシュードラ気質の人々。

サットヴァの質を高めることの価値に価値観を持てる教育が必要。


2020年8月10日月曜日

引用元文献「मो. ध.」は何の略?

ブリハダーランニャカ・ウパニシャッド(बृहदारण्यकोपनिषद् [bṛhadāraṇyakopaniṣad])のシャンカラーチャーリヤのバーシヤの中で引用されているシュローカの引用元の短縮表記が「मो. ध.」と見慣れないものだったので、インドの博学な先輩スワミジに訊いてみると、マハーバーラタの別名だそう。普段は「मा. भा.」という表記を見かけますが、モークシャ(मोक्ष [mokṣa] )とダルマ(धर्म [dharma])を教えていることから、このように表記されるとのこと。

文献が何の為にあるのか、こんなにはっきりしていて、明示されているのですね。
見た目は歴史物語ドラマのようですが、のめり込んでいくうちに、ダルマやモークシャについて紹介されていく、という仕掛なのでしょうね。

アルタ(財産・地位・家族などの安心材料)やカーマ(経験的な幸福感)は、人間でなくとも動物でも追及できますが、ダルマとモークシャは人間のみが追求できます。ダルマとモークシャについて知る手段がヴェーダで、マハーバーラタなどのスムルティはそのヴェーダのヴィジョンにもとづいています。

2020年8月6日木曜日

磯野真穂さんのインタビュー「「自分らしさ」は探さない ー 「ありのまま」「あなたらしさ」の落とし穴」を読んで

https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2020/04/post-92684.php?t=1
こちらの記事を読んで、思ったことをコメントしました。
磯野真穂さんがどのような研究をされているのか等の情報は、こちらのリンクにあります。

プージヤ・スワミジの講義に「psychology has no solution」というのがありました。
心理学でも文化人類学でも何でも、学問というものは、事象を観察して得られたデータが全てであるゆえに、問題を体系的に提示することはできても、根本的な解決は提示できません。なぜなら、どのような問題でも、結局最後には、「自分は何者なのか」という問いに還って来るからです。
自分の心理作用も含め、事象は自分によって観察されているものであり、自分自身ではありません。だから、自分自身の意味である「意識」が何なのかがハード・プロブレムであり続けられるのです。

ちなみに、意識そのものである自分自身は何者かなのを知る手段をヴェーダーンタよ呼びます。

「自分は何者なのか」という自分の定義を、自分ではない自分の対象物としている以上、その矛盾に違和感を感じ続けながら生きるしかありません。

ヴェーダーンタまで行かなくとも、インドの「全てはイーシュヴァラである」という祈りの文化のヴィジョンが無ければ、目の前の他人との比較や、メディアから流れてくる広告に押し付けられた消費者として都合の良い価値観の中でしか生きられないし、それを指摘し研究する側も、それ以上の価値観を持っていなければ、答えも見つからず、問題を問題として指摘するしかできない。
このインタビューは、このことを明らかにしている良い例だと思います。

以下、中央寄せにしているイタリック文字は、リンク元からの引用文です。
私のコメントは、「Medha ⇒ 」以下です。

「自分らしく生きる」
周囲の目やしがらみから「自由」になるための価値観として讃えられることの多いこの言葉は一方で、承認欲求を際限なく求めてしまう「罠」にもなる。
摂食障害の当事者の調査・研究を続けてきた文化人類学者の磯野真穂さんは、自著でそう指摘します。
「『自分らしさって何だろう』と自分に注目することは、『他者』に注目することでもあるから」

Medha ⇒ 他者との比較ではない、宇宙の表現としての自分。細胞のひとつひとつも、ポジティブな感情もネガティブな感情も全ては、この宇宙の表れである。こんな当たり前の事実なのに、他との違いの境界線でしか自分を認識できていなければ、見逃してしまう、大事な事実を、ただただ客観的に認識させてくれるための知識を教えるのがヴェーダの文化です。
サンスクリット語の祈りの言葉も、私は宇宙の表現であるという事実を認識させてくれるためにありますね。

──「ありのままでいい」というのは、本人そのままを受容する言葉ですよね。
磯野:そう、とても素敵な言葉だし、本当にそうなったらいいなと思うんですけど。
けれど一方で、「わたしって何だろう」「自分らしさって何だろう」と自分にすごく注目することは、「わたし」を見つめることではなく、実は「他者」に注目することなんですよね。
「自分らしさ」が何かを知るためには、参照点として「他者」を置かないと、比較ができないんですよ。

Medha ⇒ それはイーシュヴァラ(トータルの認識)が無いからさ。
個々の相対的な違いを絶対的な違いだと捉えている以上、違和感と戦い続ける世界に生きるしかない。


磯野:人は生きていくうえで「誰かに認めてもらいたい」という承認欲求が必要ですし、それを求めるのは自然なことです。その一方で、「自分が周りにどう思われているかを意識するのはよくない」「周りに合わせるのはかっこわるい」というブレーキも働く。
なので、普段は「承認」なんて必要ないという素振りを見せながら、一方でそれを満たす、矛盾した振る舞いをせざるを得ないのが現実です。

Medha ⇒ それは自分の本質の知識が無いからさ。
自分が本質的に何者かを人は誰でも生まれつき知らないし、知る由もないから、他人と比較できるこの身体やこの心や器官でしか、自分を認識できない。
でも、自分は本質的にそのような存在ではないから、違和感を持ってもがき続けるしかないのです。そんな制限だらけではない、自分の本質を正しく知るまでは。

磯野:「自分らしさ」の罠を考える上で分かりやすい例が、「就活」の自己PRです。
でもそれは、自分の「商品化」につながると思いませんか?

Medha ⇒ 仕事という役割の中での自分であり、それは自分の表現の、社会の表現の一部でしかなく、自分の本質とは直接関係ない。
勉強仕事ができる・できないという次元でしか、人間を見れていないことに問題がある。
経歴や体形や経験など、自分のあらゆる相対的な属性についても然り。

相対的なものを相対的だと見ている絶対的な自分を見逃しているから、相対的なものが絶対となり、自分という存在が相対的な、他人との比較でしか無くなるのですよ!!!


──摂食障害の当事者のインタビューや調査を続けてこられました。
磯野:インタビューをまとめた本(『なぜふつうに食べられないのかー拒食と過食の文化人類学』)を書いた時には、「やせたい」という気持ちから人は逃げられるのではないかと漠然と思っていました。
でも、どんな社会にもある種の「理想体形」があって、それを参照点に人が動くのは、わたしたちが身体を持って、コミュニティで生きている限り、逃れられない運命なのだと考えるようになりました。
自己管理が称賛され肥満が治療の対象とされる社会で、痩せている体が理想なのはある意味仕方のないことではあります。でもマーケットが過剰にあおっている側面もあるということは、ある程度知っておいた方がいい。

Medha ⇒ 自分の知っている世界が、TVや雑誌の中しかないから。脱毛やダイエットなどの広告の範囲でしか、自分を見れていないから。

磯野:生きるために不可欠な営みであるはずの「食べる」という行為が、「栄養素」などの一元的な情報として扱われるようになる。場合によっては罪悪感のもとになり、その罪悪感に応えるかのように、「ギルトフリー食品」と呼ばれる、太らないおやつまで登場してくる。

Medha ⇒ 食べるという行為は、自分の自由意志を使った世界との繋がりの顕著な例。毎日することから、それが自分という人格を直接的に形成します。
物理的にカロリーやビタミンの事しか考えていない人は、身体が痩せても太っても、人間性は、物理的なことにしか関心の無い人間性です。
他の命を奪って生きていること、それなら、できるだけ命を傷つけなくて済むヴェジタリアンを選ぼう、という思考にまで昇華すれば、物理的な数字に囚われるみみちいくだらない自分から卒業できるはず。


磯野:文化人類学を専門とする私は心を「現れ」ととらえています。世界との接地面に「心」が現れてくる、と見る。
摂食障害の話を聞くと、過去の苦しさと未来の不安が団子状になって覆いかぶさっている感じがする。その未来と過去の断片で押しつぶされて「今」に接地できていない感じがある。
だから「いかに接触するか」「いかに世界とかかわるか」だと思います。

Medha ⇒ 摂食障害に限らず、人間は誰でも、多かれ少なかれ、今目の前にある現実を客観的に見ることを阻む色眼鏡のような主観を通してでしか世界と関われません。
そこを意識して、色眼鏡がかかっていると自覚し、客観的であろうとすることが、人間として成長することです。
客観的に世界と関わる。世界には、目の前の他者も、自分の心身も、含まれている。他者も、自分も、この世界の表現そのものである。この事実を常に客観的に見続けられる、この世界と1ミリのずれもないコンプリートな人間に成長する方法を、ヴェーダは教えています。それが、自分の本質を知る為に必要だからです。


磯野:人は生活上、「母」「教員」「学生」といった、いろんな「役割」をもっていて、その役割に応じたつながり方や生き方をしています。これを「タグ(札)付けする関係」と呼びます。
社会を営む上で、こうした「タグ付け」の関係は必要です。ただ、人間関係が「タグ付け」の関係だけで満たされてしまうと、自分自身まで「タグ」で価値づけ、「こういう"教員"であるべきだ」など決め打ちされた役割に縛られかねない。タグの価値だけでつながった人間関係は、そのタグの価値が下がれば終わりです。

Medha ⇒ 目の前のさまざまな他者に合わせて、さまざまな「役割」を演じている、「母」でも「教員」でも「学生」でも無い、「ベーシック・パーソン」である、自分がいます。この「ベーシック・パーソン」が、世界と関わるとき、目の前にいる他者との相対的な関係で、「母」「教員」「学生」といった役割をこなすのです。
「母」「教員」「学生」といった役割は相対的なものであり、自分は絶対的には「母」でも「教員」でも「学生」でも無い。このことに気づいたとき、では、相対的な自分はさておき、絶対的な自分は何者なのか?という問いが生まれます。
それに完全に答えるのが、ヴェーダーンタで教えられている自己の本質の知識です。

ヴェーダーンタで教えられている自己の本質を正しく理解するには、「ベーシック・パーソンである自分が、イーシュヴァラ(トータル)と関わっている」という認識が、全ての状況において必要になります。
個々の「他者との関わり」の中で一喜一憂するのではなく、「自分とトータルとの関わり」を見据え、全ての状況をあるべきものとして客観的に受け入れ、そのなかで、自分の役割としてするべきことを客観的に(compassionatelyとも言う)判断し、他人に受け入れられなくても、自分が自分を受け入れられる行動を自分が選びとって実行していけばよいだけなのです。
このようにして、自分と世界の現実を客観的に見ることができなければ、そのひとつの本質という現実も見ることができないので。



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