2019年5月24日金曜日

「ビッグクエスチョンズ 哲学」にある20の問いへの、ヴェーダーンタ講師からの回答

ビッグクエスチョンズ 哲学 
サイモン・ブラックバーン (著)



哲学に関する、20の根本的な問い=ビッグクエスチョンをまとめた本です。
本書に収められている20の問いだけを書き出して、
ヴェーダーンタの視点から答えてみました。

*以下の文を読んだだけで、ヴェーダーンタを分かったような気分になったり、分かったような話をしたりするのはやめてくださいね。ヴェーダーンタとは、真実を知りたいと思った人が、教えの主題と教え方の手法を正しく知る先生から、きちんと学ぶものです。
この文章に限らず、私が公に発表している文章は全て、ヴェーダーンタを学ぶきっかけになれば、と思って書いています。


1.精神とは何か?

自分という言葉の本質的な意味である、
「意識という存在」のことを、
人々は知りたがりますね。
人間は皆、それについて、もともと無知であるし、
それを知るための適切な知る手段が無い。

自分という確たる存在があって、初めて疑問を持てたりするのに、
自分という存在の本質を知らないがゆえに、
自分という存在は、その存在自体が、疑わしい、疑問の対象になってしまうのです。


2.人間性は変えられるか?


人間は、生まれてきて、物理的に成長するだけではなく、
精神的に、より人間らしく成長する可能性を持っています。
人間らしく成長するかしかいか、それを自分で決めるために、
自由意志を与えられています。
また、成長を促すための方法も、ヴェーダの中で与えられたいます。
人間のゴールは、人間として成長すること。

ユートピアについて書かれていますが、
自分が人間として成長することであり、他人を良くさせて満足しようとするのは、
迷走する宗教が危険な方向に走るのに、よくありがちなパターン。
そういう宗教を信じている人は、自分が満たされていないから、
他人に強制・矯正を強いるのです。


3.私たちは自由なのか?

自分という存在は、本質的に、ありとあらゆる制限から自由ですが、
それに関して無知であり、知る手段を持たないことから、
本質的に不自由である、身体や心が自分の本質だと誤認識して、
「私たちは自由なのか?」という哲学的な疑問を持ったりします。


4.私たちは何を知っているのか?


あなたたちが既に知っていることは、この世界の相対的なことばかりですから、
知っていることより、知らないこと、つまり、
「私たちは何に無知なのか」を知った方がいい。

「無知の知」の極意です。

もともと、自分の本質を知らないし、知る手段もない、
という事実を知れば、
では、どうしたら知れるのか?
なぜ、知らないといけないのか?

何が事実として正しいのか?
自分は本質的に、救済なんかを必要としている限られた存在なのか?
神様にお願いして、天国にでも連れて行ってもらわなければいけない、
そのような惨めな存在が自分の本質だ、と教える聖典を信じる意味があるのか?
とか、きちんと考えた方がいい。


5.私たちは理性的な動物か?


大きな個人差があります。私「たち」と一括りにするのは無理があります。


6.自分に対して嘘をつけるか?

自分が間違ったことをしている場合、
その事実を知っている自分からは逃れられない。
という状況がまずありきで、
そのうえで、自分を騙すことができるか、という意味でしょうね。

自分がされたら嫌なこと、例えば自分や自分の家族を殺されて食べられるとか。
そんな行為を自分が他にしているとき、
「でも~、そうじゃないと私幸せになれないもん」と自分に言い聞かそうとしても、
混乱した価値観の中にいることで、自由な自分をより見づらくしているし、
他を傷つけないと幸せになれない、というとても惨めな自己認識を持っていることが、
とっても惨めである。


7.どうして社会は存在するのか?

社会でも人でも何でも、世界にあるものは全て、
自分が消費するだけではなく、貢献者の立場になるよう努力しながら、
自分を成長させるために使うのが、賢い人の、世界との接し方です。


8.理解し合うことはできるか?

無知な人間同士が分かりあっても無益である。
変わりゆく実態のない現象を分かりあうことは、ひとときの安心しか生まない。
それはプルシャールタにはなり得ない。


9.機械は考えることが可能か?


この疑問と答えが、自分の幸せの向上にどの程度貢献するのかが疑問。

人間の身体や心も機械的だけど、スークシュマ・シャリーラの有無が違い。
与えられた情報から、与えられた判断基準に基づいて判断を下し、
与えられたアプトプットの方法で結果を出すのがコンピュータの仕事。


10.なぜ私たちは道徳的なのか?


自分が傷つけられたくない、という知識は全ての生き物がもっている。
自分と同じように、他も傷つけられたくないのだ、
という知識を先天的に持っている生命体を、ヴェーダでは人間と呼びます。


11.絶対的なものは存在するか?


相対的なものを相対的と呼べている、
自分という存在のことを、大概の哲学者・宗教者は見逃しています。


12.時間とは何か?

時間を対象化している、時間の中にいない、この自分とは何か?
に疑問の焦点を絞ることをお勧めします。


13.世界が世界であり続けるのはなぜ?

変化し続ける世界があり続けるのを、
変化しないで見続けている、この自分という存在が何者なのか?
ということのほうが、もっと大事な疑問。


14.なぜ何もないのではなく何かがあるのか?

何を否定しても、自分が絶対的に存在してしまっているからです。


15.空間を埋めているものとは?

空間は、時間は、どこに存在しているか?
全ては時空の中に存在するけど、
空間や時間を対象化している自分は、空間や時間の中にない。
直径0ミリの「ここ」、長さ0秒の「いま」は、自分という言葉の意味。
身体や心は時空の中にあれども、それを対象化している自分はその中にいない。
空間はひとつ。全宇宙空間はひとつ。
それは、自分という存在に、存在を得て、存在している。


16.美とは何か?


自分の心のありかたと対立しないもの。



17.神は必要か?


全てをひっくるめて、ひとつ、「全て」という概念で認識できなければ、
その全ての真実の話も、それが自分であるという話も、
ゆえに、自分という存在が完全に自由な存在であるという話もできない。


18.すべては何のためか?

自分の本質を知るためにある。


19.私にはどのような権利があるか?

権利というのはどうか知らないけど、
人間として生まれてきたら、
人間らしく成長できる「可能性」(ダルマ) と、
人間らしく成長した心によって、ヴェーダーンタという知る手段を使って、
完全に自由である自分を知れる「可能性」(モークシャ)があります。
人間らしく心を成長する方法は、自分の義務を果たすことだから、
次に、私の義務は何か?という問いが続くべきです。


20.死は恐ろしいものなのか?


「死=非存在」だと混乱している哲学者は多いけど、
死とは、身体に属するもので、
自分という存在のレベルに属するものではありません。




2019年5月21日火曜日

ムンダカ・ウパニシャッドのバーシヤのクラス&予習方法について

今回も、主催者の方々と参加者の方々の祈りとご協力のおかげで、
ムンダカ・ウパニシャッドとパーニニ文法の2日間のクラスにて、
充実した時間を皆さんと一緒に過ごすことができました。


ウパニシャッドの勉強がこの日本でできるなんて、
しかも、バーシヤまでしっかり勉強できるなんて、
全てのグレースの結集に他なりません。有難い。


南インドに居た頃に、オンラインのクラスにて、プージヤスワミジのムンダカの本に沿って、日本の皆さんと2度ほどゆっくり勉強しました。
そのときの資料として、バーシヤ全てのパダッチェーダと日本語訳を作っていました。
そんなことも忘れていて、今回またいちから作り直そうと思っていた矢先、
自分のコンピュータから見つけ出して、昔の自分に感謝しました。


小冊子として印刷してクラスで使ってもらっているようです。
本という形になると嬉しいですね。


予習方法について


時間が限られているがゆえに、クラスの進行速度は正直かなり速めです。
ゆえに、予習・復習が大事となります。
バーシヤの中のムーラ(マントラ・原典の言葉)をハイライトしておきましょう。
私がパダッチェーダをして日本語訳を書いたファイルが、共有フォルダにあるそうですから、それをプリントアウトするなりして参考にするのも良いでしょう。

ウパニシャッドというものは、日本語訳を読んだり、サンスクリット語を自分で訳したりして勉強できるものではありません。ゆえに、皆さんとシェアしているこの原稿のファイルは、私のムンダカのクラスに参加している方のみを対象としています。これだけを読んで独学しようとしたり、クラスに参加されていない方にシェアすることは一切お避け下さい。

2019年5月16日木曜日

池田晶子が鮮やかに書き出す、哲学の限界

彼女の本はいくつか読んでみましたが、
ヴェーダーンタの視点から見たら、
この本は哲学の限界を良く表していると思います。

彼女が明確にしたくてずっと考えていた主題は、
そっくりそのままヴェーダーンタの主題として明確にされていることから、
彼女が生きている間にヴェーダーンタに「正しく」向き合えなかったことはとても残念ですが、それも残酷な人生の運命。
運命とは、自分の思考に支えられた意思によって行われた行動の結果によって形成されているのだから、誰も責めることは出来ません。。



残酷人生論 池田晶子(著)


ヴェーダーンタは、「宗教の哲学的側面」と言うことも出来ますが、
しかし、ヴェーダーンタは、哲学でも宗教でもありません。
ゆえに、ヴェーダーンタを勉強すると、哲学とは何か、宗教とは何か、
というのがくっきり分かります。

哲学とは、私の本質、世界の本質、神とは何か、などといった、
普遍的な真実を知ろうとすることから始まり、それについて憶測することです。
宗教は様々な定義が可能ですが、信じるしかないもの、という点では、
どのような定義でも概ね共通しています。

池田晶子という人は、彼女自身が個人的に持つことになって、
自分とは何か?世界とは何か?自分というこの存在とは何か?
といった哲学的な疑問に、自分の「考え」だけを頼りに思考を巡らせる、
という、本来の意味での「哲学」をされている方です。
そして、その哲学思考の過程を文章にされているのですが、
とても筆の立つ方なので、憶測による普遍的真実の問いかけ、という
「哲学」の可能性と限界をくっきり書き出されています。
もちろん、ヴェーダーンタを伝統的教授法に沿ってしっかり勉強した人でないと、
この「哲学の輪郭」は見ることは出来ませんが。

彼女の著書の中で、「思索する」という言葉の英語が、
「投機する」と同じ「speculate」であることに困惑を表しているコラムがありました。
自分のしている哲学と、金儲け目当ての投機という行為が、
なぜ同じ言葉なのだ?ということです。

思索するのも投機するのも、どちらも、
「不確かな根拠に基づいて、思索・推測・臆測する」という点では同じなので、
英語はそのあたりを良く言い当ててると、私は感心したものですが、
真実への問いかけを、「考え」だけに頼って真剣にしている彼女には、
納得いかないのも分かります。

全てを対象化できる、この対象化できない、対象化する必要もない、
「自分の本質」という存在は、対象化できないゆえに、
メタフィジカルな主題となるのは当然だけど、
では、その真実という存在を知る為に、どのプラマーナ(知る手段)を使うのか?
真実について、「知らない」というのが全人類共通の前提にあり、
さらに「知る由もない」というのも前提になっている。
思考を巡らすも、フィジカルなデータを元にしたものしか論理的とは呼べません。
そこから離れて憶測してみたり、瞑想を深めて何かしらの体験を待ってみたりしても、
「speculate」の範疇です。
ゆえに、自分の外にあるプラマーナの必要性を認識すること、
この認識こそが「無知の知」と呼ばれるべきだと、私は勝手に思っています。
普通の哲学者のおっさん達は「身の程を知れ」くらいにしか解説していませんけどね。

彼女が「speculate」に当惑していたのは、
プラマーナの必要性をまだ認識できていなかったからに他なりません。
慶応の哲学科を出ていても、そんなものがあると知る由もないでしょうし、
もし知る機会があったとしても、高慢ちきな人には到底受け入れられません。

彼女は私がインドにいた頃に夭折されています。
ああ、勿体ない。会ってヴェーダーンタの話がしたかった。
でも、彼女の「池田某」と呼ばれる体と心では、
ヴェーダーンタに正しく向き合えることは出来なかったのだろうな、
と思います。
今頃既に、精神性に著しく傾倒した心を持つ体を得ていて、
私のところにヴェーダーンタを勉強しに来る日も近いのでは?
と、残念を相殺するために、彼女が逝き急いだ理由を憶測しています。。。

デリーにて、搭乗を待ちながら。

2019年5月14日火曜日

人間が神になる日 「ホモ・デウス」はまだ読んでいないけど。


ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ(著)




先日、サピエンス全史(上・下巻)文明の構造と人類の幸福
についてのレヴューを書きました。
https://medhamichika.blogspot.com/2019/03/abriefhistoryofhumankind.html
その続刊のタイトルを見て、やっぱりそう来たか!と思いましたね。

ホモ・~ というのは、ヒト科の種類の名前に付く接頭辞。
そこに、デウス、つまり「神」と来た。

本は読んでいないけど、だいたい予想はつく。
つまり、テクノロジー等の発展により、人間が神になる、ということだと思う。
彼の言う神とは多分、何でも思い通りに出来ること。例えば不老長寿とか。

私が指摘したいのは、人間が神に「なる」ということ。
ヴェーダーンタを勉強している人だったら、
それが一笑に付すようなことだと分かるはずですね。

どこまで行っても、自分という存在が小さくて有限だから、
それをどうにかしようとして、あがいている。
たとえ科学的進歩によって不老長寿を手に入れたとしても、
「満たされない自分」「幸せを求めている自分」が、
ずーーーっと続くだけなんだけどね。

ユヴァル君は、仏教に傾倒しているみたいだけど、
ヴェーダーンタを勉強して、実は自分が神だったってことを知ったら、
それはそれは、魂消る(たまげる)でしょうね!

ほんと、世界に誇る知性を持っていて、こんなに分厚い本を書く時間があれば、
ヴェーダーンタを勉強すればいいのに。


2019年5月13日月曜日

アヒムサーとヴェジタリアンについて

先日書いた記事に、追記を書きました。
元の記事はこちら:

お店のキッチン丸一軒ごと100%VEGじゃないと安心できないというのが、伝統的なインド人の心理で、ちゃんとそれに応えているのがインドの文化。

追記はこちら:

アヒムサー(非暴力)という価値観にもとづいたヴェジタリアンの話をしているところに、
最近は、インバウンドの商機としてか、ハラールの話を絡められることが多いのですが、
正直、困惑してしまいます。
ハラールは別に、アヒムサーという価値観とは関係ないですからね。
インバウンド対策としては共通点があるのでしょうが、
アヒムサーの話をしているところにハラールを絡めてくるのは、
議論を全く無視した、デリカシーの無い、自分勝手で、
まさに肉食的な態度だと感じて、困惑しています。
これが私の感覚です。

ハラールを気にしている人も、アヒムサーに絡められても困惑すると思います。
アヒムサーを気にしているなら、ハラールかどうかではなく、ヴェジタリアンかどうかを気にしているはずですから。 
何に忖度しているのか、変な方向に独り歩きしている「多文化共生!」の合言葉の為に、
こういう文化的なことを率直に話せる土壌が潰されているような気がしますね。

そういう背景をもとに、この記事では、ハラールについて、
動物をどう屠殺したかの表示、と説明したのですが、
外食産業関係者とおぼしき人から、速攻でクレームが来ました。
アルコール抜きの意味もある!というのですが、それはこの記事に関係ないし、
インドのヴェジタリアンでは、アルコールは摂取しないのは当たり前です。
クレームの主旨は、屠殺という言葉をハラールに関連付けられると、
ハラールのイメージが悪くなる、多文化共生の足をひっぱるな、
との威圧的で失礼な語調でした。
人間ってお金が絡むと倫理の一線が狂う、というのを見せつけられましたね

動物を屠殺して食べている人達が、屠殺している、と言われて気分を害するのだったら、
それは、自業自得です。屠殺していると言われるのが嫌だったら屠殺しなければいい。
ゆえに、屠殺している本人たちは、屠殺していると言われて気分を害さない人であるべきだし、実際、そういう罪悪感を持っていない人が多いのではないかと思います。

問題は、イメージを悪くする!とクレームをつけている本人の心の中で、 
「屠殺は悪い、だからハラールも悪い」と無意識的に感じているから、
ズバリ言われると、イメージ悪くなる!という反応に出るのだと見ています。
ハラールに限らず、肉食する人は、自分たちが屠殺の原因となっていることに関して、
悪いイメージや罪悪感を持っているとは限りませんし、
もし持っていたとしたら、先にも述べたように、自業自得です。

だから、クレームを付けてきた人には、自分の胸に手を当てて考えてみたら?
と諭すようなコメントをしたのですが、
まー、分かってもらえませんね!

ハラールとか言って、文化に理解があるふりをしても、
しょせん、金儲けをしたい人にとっては、モラルも文化も関係ないのです。
ということが、日本のハラール商売関係で絡んできた人たちとのやり取りの中で分かりました。
イスラム思想研究者の飯山陽さんも、日本のハラール認証ビジネスに疑問を呈しておられます。

私はイスラムがどう、ということではなく、金儲け主義の人に、
ヴェジタリアンもハラールも一緒くたにされるのが、
アヒムサーという価値観への冒涜に他ならないと感じますし、
それを反論した時に、多文化共生の意識が低い、みたいなこと言われると、
ほんと、拝金主義に歪められた大義名分を聞かされているようで、悲しくなりますね。

国際感覚について - ジャパン・イズ・ナンバーワン? 

私はかれこれ通算20年くらいは外国で生活しています。つまり、成人してから殆どの期間は日本国外にいるわけですが、
「ジャパン・イズ・ナンバーワン!」なんてこと、
観光客目当てのおじさんくらいにしか言われたことないですね。
そんなことを言われるような話の流れって、言葉があんまり通じてないのが前提では?
私の存在感は見るからに、そんな慰めの言葉を必要としていませんし、
私のサンスクリット語に関する経歴に関して、たまに
「さすが日本人は勤勉だね」と言われることもありますが、
「私を他人と同じにしないで!私は典型的な日本人じゃないから、
日本からはみだしちゃって、ここでこんなことしているのよ!」
 と目上の人にだってきっぱりと言います、私は。
国籍や性別で一括りにされて、個人を見ようとしない姿勢が、
私は好きではありません。

外国に行ったら、「ジャパン・イズ・ナンバーワン!」って褒められた、
とか、「みんな日本人のこと好きみたいでした。日本って特別なんですね」とか、
日本SUGEE!という自尊心を外国から得た、
という感じのコメントをたまに聞かされます。
私から言わせてもらうと、そうかな?そんなことどうでもいいでしょ?
という感じですね。
正直、褒めてもらったとか子供みたいに嬉しがっていないで、
せっかく日本の外に出たのだから、その国のことをもっと知るように、
もっと語学力を磨いて、もっと深く人々を知って、その国の良いところを知って、
学んで帰って、そうやって日本や世界を良くしていけばいいのに、と思います。

私は帰国子女でも何でもないので、
大阪弁訛り?の英語+インドで鍛えられたマシンガントーク術で、
だいたい言うべきことは言えるので、
言語の壁でコミュニケーションできないフラストレーションはあまり無いですし、
(日本語でも英語でも、大阪人なりに周りに気を遣っていないふりして気を遣っているから、言いたいことをいつでも言っているわけではない、という衝撃の事実は、非大阪人には理解してもらえませんが。言いたいことを言うのではなく、言うべきことを言うのです!これば大阪人にもヴェーダの文化にも共通する美学。
どちらかというと、人の話を聴く方、というか、
初めてあった人にいきなり本音トークをされる方でです。

昔から今まで、初めてあったような人から、長年の知り合いまで、
いろんな国の人の、いろんな立場の人から、
うわさ話や愚痴・悪口、悩みごとや政治議論まで、本音トークを、
親身になって聴くのが、私の当たり前の日常となっています。
聴いている話は、はっきり言って聞こえの良い話ではなく、
人間のドロドロした面に関する話を聴く機会に恵まれている訳ですが、
私はには苦になりません。まんざらでもない、という感じ。
人々の声に傾聴しているだけで、その人の役には立つし、
その経験は、後の傾聴で共感しやすくなる肥やしになると思うし、
日々の、世界の皆の調和と幸せの祈りがより的確になるように、
反映されていると思います。

外国生活のうちの通算3年くらいは、バックパッカーで70か国旅していた時期です。
世界放浪の旅といえば、沢木耕太郎の「深夜特急」が日本人パッカーの「バイブル」らしいですが、私のカップオブティーじゃないですね。
ちょっと読んだだけで、もうダメ、となります。
なぜかというと、主人公の語学力の無さ、というか、
コミュニケーション力の無さにイラついて、共感できないからです。
主人公と同じようにコミュニケーションができない人たちには共感できるのでしょうかね。
外国で何が起きたのか、起きているのか、調べればそれなりの情報は得られますが、
それはそれとして、でも、現地の人はどう見ているのか?という実際の本音トークが、
揺るぎのない事実であって、私の国際感覚(ほんとダサい言葉)というものは、
そいういう一次情報を土台として出来ています。
別に統計を取ったり学者になろうとしているわけではないですしね。
外国でちょっと垣間見たことを、後で日本語メディアで調べて納得する、というパターンは勿体ないし危険ですらあると思います。
先に知っていた情報を覆すくらいの変革が日々世界中で起きている訳ですから!
人間一人一人の感覚は、学者の研究論文には反映されません。
ググってでてくるWikiな情報は、本当に当てにならない。
最近の日本の若い人は、話していると、SNSで出てくるネタ情報ばっかりの人がいて、
心配になります。




2019年5月12日日曜日

ガンガーのほとりにて


先日5月7日のアクシャヤ・トリティーヤという大吉兆な日に、
日本の皆さんにとってより良い勉強の環境が整いますように、
社会にダルマ(共感にもとづいた秩序)が、心に分別がありますように、
という願いを叶えるプンニャを得る為に、
インドで活躍されているダルマな団体のいくつかに寄付をさせていただきました。

その団体のひとつの、ヴェーダーンタやサンスクリット等の勉強をしに、
リシケシにやって来た学生たちの協会の会合?に、昨日招待され、
マハラーシュトラから来られた老若男女の皆さんの前でお礼を頂きました。
こちらができる限りのことをさせていただいているのに、恐縮です。
少しでもインドの雰囲気が伝わるよう、観光では見かけないインドの一面の写真をシェアしますね。。

昨日お呼ばれした会合のあとの食事の時間
行列をなして神の栄光を讃える歌を歌いながら何日もかけて聖地巡礼をすることで、この人たちは有名。
聖典への尊敬を表す為に頭の上に乗っけて運ぶ
私の部屋の真横にあるホールで、連日朝5時から夜10時まで続く楽器と歌と語り。


2019年5月10日金曜日

子供に話してあげたいこと

もし子供に話す機会があれば、しっかり目を見て話してあげたい。

真実とは何かって考えたことある?
真実とは、絶対に否定できないもの。
時間が経っても、絶対に変わらないもの。
この世界を見渡せば、変わりゆくものばかリ。
風景も、周りの人々も、自分の体も、心も、変わりゆくものばかり。
この宇宙自体が、変わりゆく存在だよね。
なのに、真実なんて、そんなもの、本当にあるのかな?
どこか遠いところにある難しいものなのかな?
本当のところを教えるね。
絶対に否定できない真実とは、君のことなんだよ。
今ここにいる自分のことなんだよ。
今これを聞いている、自分自身のことなんだよ。
自分の体も心も変わるけど、それを変わらずにずっと見ている、この自分。
それが、この宇宙の中のたった一つの真実だなんて、凄いと思わない?
驚くよね。
でも、もっと驚くのは、大人でもほぼ全員、この真実のことを知らないということ。
どんなに立派で偉い人でも、こんなこと知らずに、皆死んでいくんだよ。変だね。
これからの人生で、いろんな人が、君のことを否定するだろうけど、
皆が否定しているのは、君の体とか心とか持ち物とかだから、
直せるところは直せばいいけど、
真実は絶対に忘れないでね。
誰がどんなに君を否定しても、この自分という存在は、
絶対に、誰にも否定できない。
この真実を知っている自分だけが、自分の理解者なんだよ。
君が男だから、女だから、どっちでもないから、
という理由で人は君のことを否定するだろうし、
君の成績とか、学歴とか、君の国籍とか、君の性格とか、健康状態とかで、
多くの人が君をジャッジして否定してくるけど、
大きな心で仲良くしてあげてね。
君が男でも女でも、この真実を理解しているよね。
君がどこ時代のどこの国で生まれても、
たったひとつの真実である自分を、いまここの自分と同じように理解しているはずだよね。
国籍とか、年齢とか、血液型とか、全然関係ないよね!?
でも、普通の人は、それが本当に大事なことだと信じているんだよ。
真実が見えていないから、学歴とか職業とかお金とかヤリガイとか人間関係にしがみつくんだよ。

自分は、男でも女でも日本人でもない。
この真実を、知っているか知っていないかで、人生が変わるから。

誰に何を否定されても、これからの人生ずっと、今聞いたこと忘れないでね。
良く分からなくても、もっとはっきり分かるときが来るから、
はっきり分かるような心を育つように、
動物にも植物にも昆虫にも人間にも、優しくするとはどんなことか、
自分の頭で考えながら、実行していくといいよ。


ヴェーダーンタを学ぶべき人は、基本的には、
この世とあの世の限界を見極めた、分別のある大人であるべきなのですが、

子供の頃からでも、人生って何の為にあるのか、
世の中に出る前に、なんとなくでも先に知っておくのは良いことだと思います。

先日14歳になる甥っ子に、上に書いたようなことをこっそり教えたら、
真剣に、大事なこととして聴いてくれたので、
意外と伝わるものなんだ、と思ったところです。


シャンカラーチャーリヤやハスタマラカといった賢者自身が、
年端の行かないうちに、ヴェーダーンタを学ぶ道を自ら選んだと伝えられています。

でも、子供はほんとにいろいろだから、
ちゃーんと目を見て、どこまでどうやって話していいか様子を見ながら、
話してあげないといかんね。
それは大人も同じだけど。


2019年5月5日日曜日

原典の言葉の力


ガンガーの岸に座ってシャーストラ(経典)の勉強ができるなんて、
本当に最高にラッキーな人生に恵まれています。
こちらはそこそこ暑いですが、ガンガーからの風はひんやりとしているので、
夕涼みを兼ねて、ガンガーの岸辺に座って、今日勉強したところの復習。
基本はサンスクリット語の原典を音読することです。
日本の勉強会に来られている方にも、この復習法を強くお勧めします。
原典の一言一句は説明されているので、
意味を覚えているうち、つまりクラスの直後に、
もう一度原典を音読して意味を思い出す。
意味の分からないところ、しっくりこないところは、
ノートを見たり考えたりしながら埋めていき、必要であれば質問をする。
ホンワカフワフワな理解で終わってしまうのは、
聴いた意味だけを思い出してみるだけで、原典から離れてしまっているからです。
今日勉強したところは、すらすら言えるまで正しく音読する。
(正しいシックシャーを勉強していることが前提となります。)
シュローカやマントラは意味を思い出しながら覚える。
意味を語順通りに思い出しながら繋げていくと、覚えることに繋がります。
また、覚えたシュローカを思い出しながら、意味を順番通りに見ることができます。
こうやって書いていると、厳しいスパルタ先生と思われるかもしれませんが、
原典のサンスクリット語には人間の脳みそを理解に連れて行ってくれる力がある、
ように出来ているからです。この世界というものは。
理解なんてジタバタして得られるものではありません。
原典の言葉に、それを紐解く先生の言葉の使い方に、
リラックスしているマインドに、言葉はその意味を明らかにしてくれます。

2019年4月26日金曜日

完全に満たされるまで、永遠に満たされようとし続ける、というのがサムサーラ。

Brahmavit param āpnoti, not māyāvit. The knower of Brahman gains the ultimate, mokṣa, freedom.
ブランマンを知る人が、モークシャという制限の無い自由を手に入れます。マーヤーを知る人ではありません。

What does it mean?
(制限の無い自由であるモークシャとは)どういう意味でしょうか?

It means freedom from my endless becoming - material becoming, biological becoming, physiological becoming, emotional becoming, moral becoming, and spiritual becoming.
それは、終わり無く「(他の誰かに)なり続ける」ことからの自由です。
物質的な(所有者になったり手放したりした誰かに)なろうとすること。
生物学的な(優れている誰かに)なろうとすること。
生理学的な(健康になったり病気を克服したりした誰かに)なろうとすること。
感情的な(気分が良くなったり、怒らなくなったりしている誰かに)なろうとすること。
道徳的な(正しい誰かに) なろうとすること。
スピリチュアルな誰かになろうとすること。

Since I have to know Brahman, I have to ask, "What is Brahman?"
ブランマンを知らなければならないのだから、「ブランマンとは何か?」と訊ねなければならないのです。 (何かになろうとするのではなく)

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