2016年12月24日土曜日

「ネガティブな感情」に向き合うことの意味


感情に「ネガティブ」とか「ポジティブ」とかラベルを貼ること自体、
私には馬鹿々々しくて、したくはないのですが。

全てはイーシュワラの表れなのですから、
どんな感情が来ても、それは去って行くものだし、
どんな感情も、私の存在に何ひとつ影響するものではないので、
来ては去って行く来客のように、Welcomeして、
そのあと引き止めずに帰ってもらえばいいだけです。

感情に「ネガティブ」とか「ポジティブ」とかラベルを貼って、
「こんな、ネガティブなこと考えちゃダメ!!」
と、自分や周りの人の感情に対して、
ジャッジメンタルで、薄情で、冷酷に対応している人は、
世の中にたくさんいますが、
残念なことに、スピリチュアルな勉強(ヨガとかヴェーダーンタとか、自分を見つめること全般)をすることによって、
それがもっと酷くなっている人も多くいるように感じます。

そんな人は、そんな自分がますます嫌いになり、
周りの人にも、余裕がなくなって、スピリチュアルどころか、思いやりのある言葉も行動も出来なくなってしまう。

これが、インドに来て、「スピリチュアルな人達って、なんかやだな~」
と感じた理由のひとつかも知れません。


<「ネガティブな感情」の定義>
ムカついたり、イライラしたり、腹が立ったり、
恨みや嫉みを感じたり、落ち込んだり、
悲しくなったり、無力に感じたり、不安や恐怖を感じたり、
消せない過去の出来事に苛まれたり、
 とにかく、一緒に心地良く居られない、そんな感情のことを、
ざっくりまとめて、ここでは、「ネガティブ」と呼ぶことにしましょう。

<感情は勝手に出てくるもの>
感情というものは、自分の中と外との条件が揃えば、心の中で自動的に勝手に発生するものです。
言い方を変えれば、感情は、イーシュワラ(宇宙にある法則の全て)の表われとして、
私たちの心の中に与えられているものです。

どういう状況で、怒ってしまうのか、泣いてしまうのか、
それは、自分の過去の経験によって積み上げられた、
無意識とかアンコンシャスの表われであって、
自分の意思を使って選ぶことは出来ません。

感情をコントロールするのは無理だし、無理なことをしようとするのは賢明ではなく、不健康です。

感情をコントロールするのは無理でも、自分の行動を自分でコントロールすることは可能です。
自分の行動を、感情にコントロールさせるのではなく、自分の意思でコントロール出来るように、心を成長させるのです。

自然に出て来た感情と、どう付き合うか、
つまり、リアクションを避けて、アクションを選び取るようにするのが、
心の成熟の為に、自分が出来ることです。
詳しくは下の「アクションとリアクション」に書いています。


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注) ここでは、アンコンシャスとは、心理学用語の意味で使っており、
「気を失っている」という一般的な意味では使っていません。

ヴェーダーンタの生徒としてスワミジの下で学んで来たうえで、
わたしなりにアンコンシャスについてまとめると:

幼少期にアンコンシャスが出来る過程
1.精神的に痛みを感じる状況に置かれる
2.自分を含めた当事者のバックグラウンドなど、トータルなオーダーとして状況を俯瞰することが、幼な過ぎてまだ出来ないために、痛みを消化することもできず、だから、心に備わっている機能として、痛みの感情を感じることを後回しにして、表面意識の下に蓄積する=アンコンシャスが出来る。

このアンコンシャスが、表面の理性的な常識人としての人格の内側で、マグマのようにぶくぶくしながら、その人の行動を内側から司り、時に問題を引き起こす中核となっている。

アンコンシャスの解決の仕方
1.安心できる状況に置かれたとき、または、痛みを感じても耐えられるほど成長したとき、蓄積された痛みの感情が表面化する。
2.感情を否定せずに、イーシュワラのオーダーとして迎え入れ、Validateすると、感情を持つことの脅威から自由になる。
(これが、スワミジがよくおっしゃていた「I welcome the fear.」だと理解しています。)

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<「ネガティブな感情」こそ、ウェルカムしてあげる。
すると、もうそこには問題はなくなる。>

「ネガティブ」と呼ばれ、誰からも見向きも歓迎されない、
そんな感情がやって来た時こそ、
自分自身に親身になってあげて、自分の味方になってあげて、傍にいてあげて、
降って来た状況のなかで、どうしようもなく表れて来る感情に共感してあげて、
つまり、自分自身にフレンドリーになることこそが、
感情を認めてあげること(Validate)であり、
そうやって、Validateされた感情だから、歓迎(Welcome)することが出来るのです。
「ネガティブ」と呼ばれて、誰からも歓迎されない感情の訪れを、
ウェルカムしてあげられるとき、
その感情からは、もう、毒牙が抜けてしまっているのです。

つまり、来客としてウェルカムすることにより、
感情が、自分自身ではなくなり、自分の存在への脅威でもなくなり、
感情によって、自分の行動がコントロールされにくくなる、ということです。

表現されたアンコンシャスは、幼児期に凍結され(フローズン・チャイルド)、大人になって解凍された、泣きじゃくっている子供 に例えられます。
この泣き叫んでいる子供が、大人の人格を内側からコントロールしていて、様々な心理的問題の原因はそこなので、
アンコンシャスをプロセスすることによって、それを解決する必要があるという訳。

アンコンシャスのプロセスに必要なのが、自分自身に対するコンパッションと、
法則(オーダー)としての、イーシュワラ(全体、自分を含めた全宇宙)の理解。
そして、コンパッショネートな人間になるためには、
「ネガティブな感情」、つまり、心の痛みに、真っ向から向き合うことが必要です。
それ例外に、他人の痛みを分かる方法がないからです。


「ネガティブな感情」に向き合うとは

自ら進んで、感情から来る痛みを感じる時間を持つこと。

(私達は人間であり、ロボットではないのだから!)
感情を引き起こすきっかけとなった人物に関して、
その人のバックグラウンドや当時の状況が、
そのような結果をもたらしたのだから、という理解に努め、
その人に対して、コンパッショネートになって、
その人の幸せを、心から祈り続けること。
そして、自分の幸せも祈り続けること。
自分に出来ることは何かをきちんと考えて把握し、実行に努める。
自分に出来ないことは何かもきちんと把握し、自分にはどうにもならないこともある、
という客観的な事実を事実として認める。


これらのことをを分からずして、ヤマ・ニヤマとか、シャマ・ダマの勉強をすると、
それはそれはもう、自分や周りのことが許せない、
スピリチュアル+ジャッジメンタルで、生きづらい人間になってしまいます。


例えば、
「あの人にこんなこと言われて、すごく腹が立った」
と、誰かが愚痴を言いに来たとします。
理由がどうれあれ、その人がどの程度客観的に状況を判断していようが、
「その人が、怒りを覚える状況が起きた」というのは事実なのだから、
愚痴った人に対しては、「そうだったんだね、そりゃ辛かったよね」と、
共感やValidateすることが、愚痴を聞かされている人の役目です。
自分のところに来て愚痴を言う人は、自分に対して信頼を持っている訳だから、
セラピストのように聞いてあげるのが、自分の役割であり、貢献のひとつの方法です。

<アンコンシャスのプロセスに役立つ、愚痴聞きセラピーのすゝめ>

親しい人でも、赤の他人でも、愚痴をこぼされたら、どんどん愚痴を聞いてあげて、どんどん共感し、Validateしてあげればいいのです。それは、その人の、そして自分自身の、アンコンシャスを解いて行く、セラピーになり得ます。
私は、愚痴聞きセラピーのボランティアは、進んでするようにしています。
もちろん、愚痴を聞いていられない状況もあるかもしれないので、無理は禁物ですが。

「愚痴は言っても聞いてもダメ!」 という考えがスピリチュアル界でよく見かけますが、
私は、そうやって抑圧したり、感情とその表現に「ダメ」の烙印を押すことに、危険を感じています。

人に対してやっていることは、
自分に対しても、同じことをやっているに等しいのです。


「腹が立った」と愚痴っている人を前にして、
スピリチュアル+ジャッジメンタルな強迫観念を持っている人は、
「スピリチュアルな人間は、腹を立ててはいけない」という考えに固執しているので、、
「いや、あの人はいい人なんだから、腹を立ててはダメですよ~」
と、頼まれてもいないアドヴァイスをしたりする。

よくある何気ない会話だけど、その裏にあるメッセージは、
「腹を立てるなんて、お前はダメな奴だな!」
という、フレンドリーではない、冷酷なジャッジメントです。

人に対してジャッジメンタルな人は、自分に対してもジャッジメンタルです。
人も自分も許せずに、大人になってもアンコンシャスをプロセス出来ないままになってしまいます。


アンコンシャスが、やっと安心して表現できる状況を見つけ、
 「ネガティブ」な感情として、せっかく表れて来たのに、
再度拒否されて、プロセス出来ないまま。。。

アシュラムで、「雨降りが続くと、洗濯もの乾かなくて、やだな~」とぼやけば、、
間髪を入れずに、「雨降りのポジティブな点」を羅列してくる、スピリチュアルな人達。
「やだな~」と思うことも、ぼやくことも、悪いことでも、否定されるべきことでもありません。
雨が降ると、洗濯物が乾かず、臭くなったり、着るものが無くなったりするのだから、
「やだな~」と感じるのは、感情を持ち、衣服を着る必要のある身体を持つ人間として、
当然のことです。
そう感じたことを、誰かにぼやいて伝えることも、人間同士のコミュニケーションとして当たり前で、
常識的なトピックであり、否定するようなことではありません。
There is no problem at all! なのです。
この、プロブレムの無いところにプロブレムを見ているのは、
「ネガティブなことを考えちゃいけない!」という条件づけされた思考を持つ人のみです。

「ネガティブな感情」に向き合うことの意味


「ネガティブ」と呼ばれるだけあって、自分が一緒に居たくない、
嫌な気分にさせる感情だけに、
それに向き合う準備が出来ていない人や、向き合うことの大切さに気付いていない人は、
そっぽ向いて、臭いものに蓋をするように、生ゴミの袋を外に捨てるように、
「ネガティブな感情」を、自分の視界から抹消しようとします。
でも、それって、アンコンシャスを貯める過程と同じですね。

共感・思いやり・コンパッションのある心こそが、成熟した心の在り方です。
別の言い方をすれば、「他人の痛みが分かる人」です。
他人の痛みが分かるからこそ、強く、優しく、思いやりのある行動ができるのです。

しかし、どうやって、他人の心の痛みが分かるのでしょうか?

他人の心の痛みは、チューブやスポイドを使って、自分の心に転移することは出来ません。
その人と全く同じ状況に身を置くしかないようですし、たとえそうしたとしても、
自分の感じ方は違うかも知れません。

なのに、どうやって、他人の心の痛みが分かるのでしょうか?

自分が経験した心の痛みを基準にしてでしか、
他人の心の痛みを思い測ることは出来ません。


しかし、今までに、自分の心に痛みを与える「ネガティブな感情」に向き合うことなく、
痛みを感じずに済む方法で、気を逸らすことで、ずっとバイパスしてきたとしたら、、
思いやりのある、成熟した心は育てられません。

これが、「ネガティブな感情は、心から追い出してしまおう!」という、
「面倒くさいものは、視界の中から出ていけ!」 と言わんばかりの、
私が認識している、最近のスピリチュアルのあり方です。

これは、スピリチュアルとかヨーガとかヴェーダーンタとか以前に、
普通に、優しさを持った、心の大きな人間になる事の妨げになっているような気がしてなりません。

アクションとリアクション


ある状況で、ネガティブな感情が自然に表れた際に、

①感情に任せて、周りや自分を傷つける言動に出るのが、
感情による「リアクション」で、

②感情が乱れている時には冷静な判断は無理だから、
一旦その場を離れてクールダウンした後で、
意思を使って適切な行動を選び取るのが、
冷静な判断による、適切な「アクション」。

どのように感じるかには選択はないけれども、
どのような行動を取るのかには、心が成長していれば、選択は、ある。
「リアクション」を避けて、必要であれば、適切な「アクション」を取る。
これを心掛けて生きるのが、成熟した心を育てる、ヨーガの生き方です。

しかし、状況に心が反応した時に、冷静な心にすぐに戻るためには、
自分自身の心への理解・思いやり・フレンドリネスが必要なのです。



「自分はスピリチュアルなんだから、ネガティブな感情を感じちゃいけない」
と、大人になっても感情に蓋をしていると、
幼少期と同じように、アンコンシャスが溜まっていく一方です。 
大人として生きている意味は、アンコンシャスを解決すること、
つまり、オーダーの理解をすることにあるのに、です。

「ヴェーダーンタ/ヨーガを勉強しているくせに、こんな感情を持っている私/あの人/あなたって!」というセリフや、そこから派生したセリフをよく耳にしますが、それは危険だと思います。

感情が表れること自体に、何も問題はありません。
表れた感情と、どううまく付き合っていくかです。
心が痛みを訴えているのなら、きちんと聞いてあげるべきです。
自分のも人のも。
それがValidateすることであり、
Valideteして初めて、それに振り回されることから解放され、
そして、Validateして初めて、他の人の痛みも理解できるようになるのです。
人の痛みも、自分の痛みも、親身に聞いてあげて、
Validateすることが、人の為だけではなく、自分のセラピーとなるのです。

自分の痛みを感じることを否定していたら、
いくらポジティヴで楽しい考えでいっぱいでも、薄情な人間にしかなりません。

結局何が言いたかったのかというと、シャマとかダマとか、グナとかを勉強することにより、
ジャッジメントになったり、ネガティヴな考えを排除しようとしたりする傾向が余計に強まる、と私は観察しているので、そうならないように、私は気を付けて教えている、ということでした。。。

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