ナマステ、
ヴェーダーンタを勉強されているヨガのインストラクターの方には、
「ヨガを、ヴェーダーンタにどう繋げるか?」
という質問を持っておられる人も多いかも知れません。
ヨガのインストラクターとして、
生徒さん達の幸福に貢献できるようになりたい。
という気持ちからの質問だと察します。
正直、ヨガに来る人が全て、ヴェーダーンタを必要としてる訳ではないし、
心や身体の「気持ちよさ」を求めているのなら、ヨガだけで十分なので、
別にヨガをヴェーダーンタに繋げなくても、と思うのですが、
どのような生徒さんでも、必ず幸福に貢献できる方法としては、
まず、祈り(プレーヤー)を教えることですね。
全てはそこから始まり、全てはそれなしでは育ちません。
以下は、ヨガのインストラクターに限らず、
誰でも、自分自身の心身を育てていく上で、
知っておくと良いことです。
(もちろん、ヴェーダーンタの勉強をしている人にとってのみ意味を成すことしか書いていないので、それを踏まえて理解する準備の出来ていない人は、これ以上読まないでくださいね。)
ヨーガに限らず、ラジオ体操でもピラティスでも、
子育ても、家族や社会に対する義務をこなすことも、
苦い経験も、忘れてしまいたい思い出も、
人生の中にあるもの全ては、究極的には、たった一つの為にあります。
それは、
ヴェーダーンタの講義を聞いたり、
チャンティングの練習をしたり、
サンスクリットの勉強をしたりするのが、
楽しくて楽しくて、何時間でも続けられる、
時間も、体の不自由さも忘れてしまえる、
そんな「心」を育てること。
そんな心が、本当の意味で、鍛え抜かれ整った心なのです。
実際何がどうなればいいのかというと、
食べ物の選択から、心身のケアについて、「サットヴァ」の質を高めることですね。
* 「全てはヴェーダーンタに辿り着く為」というのは、
「それって偏ってない?人それぞれでは?」と感じるのは尤もだと思いますが、
ヴェーダの文化=インドの文化の大大前提です。
伝統を知る先生からきちんと勉強すれば、最も理論的で筋が通っていると分かります。
身体なんてガタが来て当たり前。
骨や筋の名前や位置に気を取られていて、
人生の中でもっと大事なことを逃してしまっては勿体ない。
だから、たとえ「サマーディの境地!」とか言ってヨーガを極めていても、
ヴェーダーンタを理解して愉しめる心が育っていなければ、無意味で遠回りです。
ヨーガは、瞑想をするために座っていられる身体づくり、とされますが、
せっかく造った身体を使って、思考停止をさせることから、生徒を救い、
ヴェーダーンタの勉強へと、正しい思考へと導くことが出来たら、
それは、とてもうまく、 ヨガをヴェーダーンタに繋げたことになるでしょう。
もちろん、考えが暴走している人への一時的対処として、
思考停止は役に立つかもしれませんが。
まず、インストラクターとして、自分自身がこの点について
明確でなければなりませんから、
自分自身が、人生のゴールに関して明確でいられるように、
ヴェーダーンタの勉強を続けることが、
自分にとっても、周りにとっても、良いことです。
全てはその為にある、ということを生徒さんに分かってもらえることの方が少ないかもしれないけど、
気長に、その人の本当の意味での幸せを願いながら、指導できればいいのではないでしょうか。
生徒さんにとって一番不幸なのは、
「ヨーガを極めていない奴は、ヴェーダーンタを勉強する資格はない!」
という間違った考えを植え付けられることでしょう。
ヨーガ・スートラのヨーガと、ヴェーダーンタの教えるカルマ・ヨーガをごっちゃにしていると、
こういう不幸が起きてしまいます。
あと、
ヴェーダーンタの中での、ヨーガ文献が貢献している範囲の位置づけ、
というか、小ささを、しっかり理解する必要があります。
それを理解していないと、
「(ヨーガ・スートラの)ヨーガはヴェーダーンタに必須」という、
恐ろしく間違った認識を持ってしまいます。
ヨガをヴェーダーンタに繋げる為に、実際に出来ることとして、
・ ヨガのクラスに、祈りを加える。
まずは、ガネーシャのシュローカから始めるのが良いでしょう。
ヴェーダーンタに繋がらなくても、その人の人生の様々な障害物を取り除くのに役立ちます。
・ チャンティングやサンスクリットを教える。
これらも、直接ヴェーダーンタに繋がらなくても、心の清浄にとても効果的です。
・ 幸福を増す方法として、ヴェジタリアニズムを教える。
禁止・監視・批判・押し付けは逆効果かも知れません。
ヨガでは禁止・抑圧という概念があるかも知れませんが、
スワミジの下で勉強していれば、抑圧による規制では、
ヴェーダーンタを吸収できる心は育たないということは良く知られています。
代々ヴェジタリアンを貫いているブランミンの家に生まれなかった限り、
誰でもヴェジへの移行時期というものがあるのですから、
「自分が先に移行したからエライ」訳ではありません。
その人が納得して自分の幸せの為に自分でチョイス出来るように、
必要な手助けをすれば良いでしょう。
・ 要らないことは教えない。
ヨーガ文献とヴェーダーンタ文献は使う用語が同じでも意味が違うものがいっぱいあり、
混乱させるだけなので、ヨーガ哲学は教えないに越したことは無いです。
ヴェーダーンタンを勉強していくうちに、プールヴァ・パクシャとして学べばよいだけです。
(「ヨーガ文献を完全に勉強しないと、ヴェーダーンタを知ったことにはならない」 という発言は完全な混乱・妄想・間違いです。なぜなら、ヴェーダーンタは独立したプラマーナだからです。)
あと、一番大切なのは、生徒さんの本当の幸せの為に、
常に自分が祈り続けることでしょうかね。
それが、自分にとっても、生徒さんにとっても、
自分が出来る、一番大事なことだと思います。
もし、不明な点等があれば、メッセージにて質問してくださいね。
ヴェーダーンタを勉強されているヨガのインストラクターの方には、
「ヨガを、ヴェーダーンタにどう繋げるか?」
という質問を持っておられる人も多いかも知れません。
ヨガのインストラクターとして、
生徒さん達の幸福に貢献できるようになりたい。
という気持ちからの質問だと察します。
正直、ヨガに来る人が全て、ヴェーダーンタを必要としてる訳ではないし、
心や身体の「気持ちよさ」を求めているのなら、ヨガだけで十分なので、
別にヨガをヴェーダーンタに繋げなくても、と思うのですが、
どのような生徒さんでも、必ず幸福に貢献できる方法としては、
まず、祈り(プレーヤー)を教えることですね。
全てはそこから始まり、全てはそれなしでは育ちません。
以下は、ヨガのインストラクターに限らず、
誰でも、自分自身の心身を育てていく上で、
知っておくと良いことです。
(もちろん、ヴェーダーンタの勉強をしている人にとってのみ意味を成すことしか書いていないので、それを踏まえて理解する準備の出来ていない人は、これ以上読まないでくださいね。)
ヨーガに限らず、ラジオ体操でもピラティスでも、
子育ても、家族や社会に対する義務をこなすことも、
苦い経験も、忘れてしまいたい思い出も、
人生の中にあるもの全ては、究極的には、たった一つの為にあります。
それは、
ヴェーダーンタの講義を聞いたり、
チャンティングの練習をしたり、
サンスクリットの勉強をしたりするのが、
楽しくて楽しくて、何時間でも続けられる、
時間も、体の不自由さも忘れてしまえる、
そんな「心」を育てること。
そんな心が、本当の意味で、鍛え抜かれ整った心なのです。
実際何がどうなればいいのかというと、
食べ物の選択から、心身のケアについて、「サットヴァ」の質を高めることですね。
* 「全てはヴェーダーンタに辿り着く為」というのは、
「それって偏ってない?人それぞれでは?」と感じるのは尤もだと思いますが、
ヴェーダの文化=インドの文化の大大前提です。
伝統を知る先生からきちんと勉強すれば、最も理論的で筋が通っていると分かります。
身体なんてガタが来て当たり前。
骨や筋の名前や位置に気を取られていて、
人生の中でもっと大事なことを逃してしまっては勿体ない。
だから、たとえ「サマーディの境地!」とか言ってヨーガを極めていても、
ヴェーダーンタを理解して愉しめる心が育っていなければ、無意味で遠回りです。
ヨーガは、瞑想をするために座っていられる身体づくり、とされますが、
せっかく造った身体を使って、思考停止をさせることから、生徒を救い、
ヴェーダーンタの勉強へと、正しい思考へと導くことが出来たら、
それは、とてもうまく、 ヨガをヴェーダーンタに繋げたことになるでしょう。
もちろん、考えが暴走している人への一時的対処として、
思考停止は役に立つかもしれませんが。
まず、インストラクターとして、自分自身がこの点について
明確でなければなりませんから、
自分自身が、人生のゴールに関して明確でいられるように、
ヴェーダーンタの勉強を続けることが、
自分にとっても、周りにとっても、良いことです。
全てはその為にある、ということを生徒さんに分かってもらえることの方が少ないかもしれないけど、
気長に、その人の本当の意味での幸せを願いながら、指導できればいいのではないでしょうか。
生徒さんにとって一番不幸なのは、
「ヨーガを極めていない奴は、ヴェーダーンタを勉強する資格はない!」
という間違った考えを植え付けられることでしょう。
ヨーガ・スートラのヨーガと、ヴェーダーンタの教えるカルマ・ヨーガをごっちゃにしていると、
こういう不幸が起きてしまいます。
あと、
ヴェーダーンタの中での、ヨーガ文献が貢献している範囲の位置づけ、
というか、小ささを、しっかり理解する必要があります。
それを理解していないと、
「(ヨーガ・スートラの)ヨーガはヴェーダーンタに必須」という、
恐ろしく間違った認識を持ってしまいます。
ヨガをヴェーダーンタに繋げる為に、実際に出来ることとして、
・ ヨガのクラスに、祈りを加える。
まずは、ガネーシャのシュローカから始めるのが良いでしょう。
ヴェーダーンタに繋がらなくても、その人の人生の様々な障害物を取り除くのに役立ちます。
・ チャンティングやサンスクリットを教える。
これらも、直接ヴェーダーンタに繋がらなくても、心の清浄にとても効果的です。
・ 幸福を増す方法として、ヴェジタリアニズムを教える。
禁止・監視・批判・押し付けは逆効果かも知れません。
ヨガでは禁止・抑圧という概念があるかも知れませんが、
スワミジの下で勉強していれば、抑圧による規制では、
ヴェーダーンタを吸収できる心は育たないということは良く知られています。
代々ヴェジタリアンを貫いているブランミンの家に生まれなかった限り、
誰でもヴェジへの移行時期というものがあるのですから、
「自分が先に移行したからエライ」訳ではありません。
その人が納得して自分の幸せの為に自分でチョイス出来るように、
必要な手助けをすれば良いでしょう。
・ 要らないことは教えない。
ヨーガ文献とヴェーダーンタ文献は使う用語が同じでも意味が違うものがいっぱいあり、
混乱させるだけなので、ヨーガ哲学は教えないに越したことは無いです。
ヴェーダーンタンを勉強していくうちに、プールヴァ・パクシャとして学べばよいだけです。
(「ヨーガ文献を完全に勉強しないと、ヴェーダーンタを知ったことにはならない」 という発言は完全な混乱・妄想・間違いです。なぜなら、ヴェーダーンタは独立したプラマーナだからです。)
あと、一番大切なのは、生徒さんの本当の幸せの為に、
常に自分が祈り続けることでしょうかね。
それが、自分にとっても、生徒さんにとっても、
自分が出来る、一番大事なことだと思います。
もし、不明な点等があれば、メッセージにて質問してくださいね。