2016年7月25日月曜日

「祈り」と知性のある生き方 intelligent living

「祈り」について、多くの人が既に持っている、

「他力本願」
「自分の努力で切り開こうとしない、地に足のついていない人のする無責任な行動」
「現実的・実際的でない」

というジャッジメントについて、
改めて考えなおす必要を教えてくれる言葉を紹介します。

香り高いパーリジャータの花。スワミジのクティアの横に木があります。

Prayer is human effort and it is pragmatic.

祈りとは、人間のする努力を伴う行動であり、それは実際的です。


A person who is lost in the clouds does not say a prayer.

雲の中で浮遊しているような人は、祈ることは出来ません。

It is said by a person who is rooted on this earth, who understands his limitations and who does not have this funny notion that he can achieve everything.

祈りとは、自分の限界を明確に把握し、「自分で何でも出来る」という非現実的な考えを持たない、
地に足をしっかりつけた人がする行動です。


「自分一人でどうにかしなきゃ」「これは俺一人が努力して築き上げた」

と世間一般の人々は疑いもなく信じていますが、

今まで成し遂げて来たことの、どれひとつをとっても、

「わたしが独りで成し遂げた」ものなんてありません。

こうやって文章を書いたり読んだり出来るのも、

ひらがなを教えてくれた小学校の先生や周りの大人の辛抱強さから始まって、

想像を超える因果応報が重なり合っていて、

その上に座って「私は努力して読み書きできるようになった」と言っているのです。

世界中の殆どの人々が信じている、

「自分ひとりでどうにかしないと」

という考えほど、視野の狭い、非現実で、実際的では無く、地に足が着いていない、

自分も周りも不幸にする考えはないのです。


One who seeks help when you need it is an intelligent way of living.

助けが必要な時に、助けを求めることが出来るのは、知性のある生き方です。


助けが必要かどうかを知るには、まず、

自分に出来ることなのかどうなのかの分別が必要です。

1.出来る事なのに、出来ないと思っていて、やらない。

2.出来ない事なのに、出来ると思って、やってるけど、出来ないんだから出来ていない。

分別の無さによって、人間というものは往々にして、

この2つのパターンにはまっているのです。


まず、自分に出来ることと出来ないことを、客観的に分別をつける。

自分で出来ないことに関しては、出来る人を探して、

やり方を教えてもらうか、代わりにやってもらわなければならない。

自分で分からないのなら、自分が分かっていないことをまず認識して、

そして、知ってる人を探して、聞かなければならない。


自分に出来ることと出来ないことの分別をつける能力と、

出来ないことに関して、必要な助けを求められる能力には、知性が必要です。

知性によってこれらの能力が発揮できれば、

自分によってされるべきことは全て、されるべき形で実現します。


The more you think this over, the more you will understand that here is no better definition of "intelligent living".

これについて深く考えるほど、「知性のある生き方」の定義について、
これに勝るものはないと理解できるはずです。


Mudakopanishad, Swami Dayananda Sarasvati今日のムンダカ・ウパニシャッドのクラスより。


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