2016年7月21日木曜日

インドの智慧の実生活での活かし方 (よく聞かれるので。)



ベジタリアンを推奨する理由には、健康、道徳(動物愛護)、

そして環境へのインパクトなどがありますが、

私がベジタリアンを推奨する記事を書くときは大体、

「環境に優しい・エコ」という点を前に出します。

なぜかというと、環境という全体の中に、

自分の健康と幸せ、他の人や動植物の健康と幸せも含まれているからです。

個(わたし)と全体(世界・宇宙)は離れた存在ではないのです。


インドの智慧では、ものごとを3つの側面から捉えます。

1.自分の身体や心に関する (आध्यात्मिक)

2.他の人間や動植物の身体や心に関する (आधिभौतिक)

3.自然環境全体に関する (आधिदैविक)

という三つの切り口で、全てのものごとを捉え、

自分の行動、例えば何を食べるかも、

1.自分の身体や心の健康や幸せを乱さないか

2.周りの人間や動植物の健康や幸せを乱さないか

3.自然環境全体を乱さないか

と、その場その時、Best of knowledge(知りうる限りの知恵)で判断し、

Least Disturbance(いちばん迷惑をかけないもの、乱さないもの)」

を意識的に選び取ります。




この3つは、相互的に絡み合っていて、ひとつひとつ切り離せるものではありません。

「自分一人だけ幸せ」を狙っていても、

自分を囲んでいる人間は、家族でさえも騙しあいをしていて、

自分を包んでいる空気も土も食べ物も皆汚染されていて、

全ての人間・動植物は病んで死臭が満ちていて、

次は自分が騙される番、次は自分が傷つけられる番、

次は自分が殺される番、自分が他の者にしたように。

と潜在的に常に怯えている生き様は、幸せとは呼べないからです。


それなのに、人間というものは、どんなに財力や権力をもってもまだ、

「今だけ、カネだけ、自分だけ」の選択がやめられません。

なぜでしょうか。


自分を傷つけ、周りを傷つけ、自然環境を傷つける行動をとらせる原動力は、

「私は満たされていない!」と叫んでいる「痛み」という感情です。

「満たされていない」 という感情をもとに、

自分や周りを傷つけてまでも、「満たされよう」として、

自暴自棄な選択を取ります。

たとえそれが一時的に成功しても、根本的には満たしてくれません。

巨大な富と権力をもっていても、未だに、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の

行動選択をしている人々が良い見本です。



1.自分の身体や心の健康や幸せを乱さないか

2.他人や動植物の健康や幸せを乱さないか

3.自然環境全体を乱さないか

という視点から、自分の行動を選択するには、

まず、自分が満たされていなければなりません。


しかし、満たされてようとしている動機と圧力が、判断を狂わしていて、

結局誰も幸せになれない選択をし続けているのですから、

いつまでたっても自分は満たされません。


それを打破するのも、インドの智慧です。

1.自分、2.他の生き物、3.宇宙全体を動かしているデーヴァ

これらすべては、離れたバラバラな存在ではない、と常に視野に入れて行動することは、

「私の身体も心も宇宙の全てと離れた存在ではない」という、

客観的な事実を、事実として見られる客観性を養ってくれます。

自分自身が宇宙なのなら、私に欠けているものはありません。

私は満たされています。

このような理解が出来る心は、

1.自分の身体や心の健康や幸せを乱さないか

2.他人や動植物の健康や幸せを乱さないか

3.自然環境全体を乱さないか

という基準で判断して行動を実践している人にのみ得られます。

だから、まずは、「あたかも」自分は満たされているかのように、寛大な心で、

利己的で不満足で小さな自分からの欲求という圧力に惑わされずに、

自分の行動を選び取ることから始まるのです。 

関連コラム: シャーンティ(शान्तिः) サンスクリット一日一語


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