私は毎日、インドのアシュラムでサンスクリット語文法を、
世界中から来たヴェーダーンタの生徒達(大人ね)に教えています。
先日、生徒のひとりから、
「私は良く出来る生徒じゃなくて、ごめんなさい。
あなたが私達を教える為に多くの努力をしていることは知っているけど、
それに応えるほどの努力を私はしていません。
もっとするべきなんだけど。ごめんなさい。」
と謝ってこられました。
グルクラムの空 |
誰に対しても、心理的に依存しなくて済むように生きているので、
彼女の謝罪の対象にはならない。
私が授業の準備に(ある程度ね)時間をかけるのも、
私も含めた宇宙全体に対して、正直でいたいから。
私を教えてくれた先生達の深い愛情に、どうにかして感謝を表したいから。
私は、謝ってきた彼女に対して、
「あなたが宿題を完璧にしていても、宿題を全くしていなくても、
あなたがサンスクリット文法を完璧に理解しても、全く理解出来なくても、
私のハピネスには全く関係の無いことだし、
私があなたに対して持っている愛情には全く影響しません。
私はあなたを愛しているし、幸せになって欲しい。それだけ。
サンスクリット語を修得しようがしまいが、正直私には関係ない。」
とはっきり伝えました。
しかし、私の言ったことは解ってもらえず、
「まぁーー、でも、期待されてる!って思ったほうが頑張れるじゃない?
これから頑張るから、喜んでね!」
と言われました。
彼女がやる気を出して勉強するなら、何でもいいとも思うのですが、
混乱の深さを思い知らされました。
私は、勉強の出来・不出来で、生徒をジャッジするような人間ではありません。
しかし、彼女が先生として慕っているヴェーダーンタの先生は、
公然と生徒をジャッジする人なのですね。。。
だからこうなったのかな、と思っています。
私の目から見て、彼女の先生は、生徒に対しての心理的依存が強く、
先生が生徒に対して、自分を満足させるような言動を要求します。
これは、本当によろしくない。
もう一人の補佐役の先生も全く同じタイプです。
これが、先生と生徒の間、生徒と生徒の間、
そして生徒とヴェーダーンタの勉強の間で、
とても不健康な状況をつくっています。
そんな先生に引き寄せられる生徒も同じタイプで、
互いにもたれかかり合って安心を得ている状態にあります。
これは、ヴェーダーンタを学ぶ上で、とてもよろしくない。
結局、生徒のカルマに見合った先生を、師として引き寄せるのです。
だから、これから3年コースに入りたいと思っている人は特に、
「正しい先生に出会えるように」という、ただならぬ強さの祈りが必要不可欠なのです。