『サンスクリット語 一日一語』のコラムからの抜粋です。
(考えることの出来る人なら誰でも分かることだけど)
「ヨガとはポーズだけじゃない」と気づいた人が、
その次は、、と求めて、「ヨガ」という語呂あわせで、
じゃあ、「ヨーガ・スートラを勉強しなきゃ」となるのが昨今のトレンドになっています。
しかし、人生の意味を満たすために、
ヨーガ・スートラの教える、アシュターンガ・ヨガは、
全ての人に必要なわけではありません。
常にダルマに沿った選択が出来る心を持ち、
ゆっくり座って、ヴェーダーンタの教えに耳を傾けることが出来て、
学んだことを熟考しながら、ダルマに沿った生活が続けられる。
それが出来るような身体と心の状態であれば、
ヨーガ・スートラを知っていなくても、全く問題ありません。
ヨーガ・スートラを勉強する時間があるのなら、
ギーターの勉強をすればいいのに!
とヴェーダーンタを知るものとして思うのですが、
それはもう、その人のプラーラブダですね。
アーサナやプラーナーヤーマ、瞑想ばかりに目が行って、
ダルマの生活や、ヴェーダーンタの勉強に目が行かないのは、
非常にもったいない!
たとえ文献の勉強に辿り着いても、
正しい先生にめぐり合える人は、これまた少ない。
ほんとに、これだけは、その人の持つグレース(プンニャ)ですね。
(考えることの出来る人なら誰でも分かることだけど)
「ヨガとはポーズだけじゃない」と気づいた人が、
その次は、、と求めて、「ヨガ」という語呂あわせで、
じゃあ、「ヨーガ・スートラを勉強しなきゃ」となるのが昨今のトレンドになっています。
しかし、人生の意味を満たすために、
ヨーガ・スートラの教える、アシュターンガ・ヨガは、
全ての人に必要なわけではありません。
常にダルマに沿った選択が出来る心を持ち、
ゆっくり座って、ヴェーダーンタの教えに耳を傾けることが出来て、
学んだことを熟考しながら、ダルマに沿った生活が続けられる。
それが出来るような身体と心の状態であれば、
ヨーガ・スートラを知っていなくても、全く問題ありません。
ヨーガ・スートラを勉強する時間があるのなら、
ギーターの勉強をすればいいのに!
とヴェーダーンタを知るものとして思うのですが、
それはもう、その人のプラーラブダですね。
アーサナやプラーナーヤーマ、瞑想ばかりに目が行って、
ダルマの生活や、ヴェーダーンタの勉強に目が行かないのは、
非常にもったいない!
たとえ文献の勉強に辿り着いても、
正しい先生にめぐり合える人は、これまた少ない。
ほんとに、これだけは、その人の持つグレース(プンニャ)ですね。