わたしは「権利を主張」というアプローチは対立構造を前提としていて、
喧々諤々として好きではないし、
実際に平和に貢献している有効な手段ではないと思っています。
例えば、「動物の権利(アニマル・ライツ)」と言うけれど、
動植物に優しくして守ってあげるのは「人間の義務」であり、
そういうアプローチの方が平和的だと思っています。
ヴェーダの伝統文化では、動植物を痛みを減らし、喜ばせる行いが、
人間のするべき日課として、つまり、人間の義務として教えられています。
ヴェーダのヴィジョンでは、動植物のエコサイクルの中で生かしてもらっているのですから、負担を最小にするように心がけ、貢献を最大にするように生きて、全てと調和のある生き方が、自分にも全てにも平和で幸せなのだから、そうすれば良い、ということです。
ヴェーダのヴィジョンは、宗教や人種に関係なく普遍的なヴィジョンですから、考えたら当たり前のことですが、その普遍的に当たり前の価値(サナータナ・ダルマ)に最重要価値を置くことを教えているのが、ヴェーダなのです。
お金や、自分達だけの特定の神様や、人間だけが一番だという、普遍的ではない価値観に基づいた思想や宗教ではないのです。おわかり?
ヴェーダの伝統文化で、人間が日課として行うべき義務である、पञ्चमहायज्ञाः [pañcamahāyajñāḥ] (五つの偉大な儀式)では、デーヴァター、リシ、先人、人間に並んで、動植物に感謝を表して守るための行いが、भूतयज्ञः [bhūtayajñaḥ]として教えられています。
アニマル・ライツという言葉から、人間の義務について考えるために、このコラムを書きました。アニマル・ライツという名の付く運動や団体を批判するためではありません。実際私は、アニマル・ライツを掲げる運動や団体を(もちろん、内容を見てから、ですが)支援していますし、皆さんにもお薦めします。