2017年4月4日火曜日

実践するべき知識と、実践できない知識

ヴェーダーンタの教えである、「タットヴァマシ」という知識は、
実践することは出来ません。
実践の為の知識でもありません。

自分が無限の存在だと正しく理解した人なら、
「じゃあ、実践してみよう」 とは言い出しません。

実践には、何かしらのカーラカの違いが必要です。
無限の存在には、カーラカの違いは不可能です。

ヴェーダーンタの教えを実践したがるのは、正しく理解していない証拠です。


しかし、ヴェーダーンタの教えを正しく知ることが出来るマインドを準備するために、
実践するべき知識も、ギーター等のヴェーダーンタの文献で教えられています。

アヒムサーやコンパッションは、実践するためのもので、
ただ知っているだけでは、心を成長させることは出来ません。

ヨーガ・スートラのヤマ・ニヤマを勉強した後で、
焼き肉を食べているのと同じことです。
単に少し物知りになっただけで、その人の心の成長には貢献しないどころか、
自己矛盾を生んでしまいます。

(ヨガの先生が、しかもヨガ教室の中で!ノンベジを食べるのは、
日本では当たり前のことだと、よく聞かされますが、
「日本のヨガ事情」をインド人に説明するときのネタに使える程、
そこに、感覚や意識の違いがはっきりと表れている例ですね。)


人間とは、うま~いこと、
実践するべき知識は、知るだけに終わり、
実践できない知識を、実践しようと頑張る、
という勘違いをし、
そして、勘違いしたままでいられるものです。

知っているだけで、実践していない、実践するべき知識は、
知っていても無駄です。

実践できない知識を、実践するべき知識だと勘違いしているくせに、
「もうこの知識は知ったのだから、実践して実現させないと」と思っているのは、
無知の成せる業です。
結局その人は、まだ正しく理解出来ていないのです。


「いや、理解してますよ!私がブランマンなんでしょ?知ってますよ!

でもね、、、」

本当に完全に知っているのなら、「でもね」はあり得ません。

 

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