「祈りだけでは十分ではない」、というような、
祈ることを現実逃避のように言う人がいたら、
その人は祈りについて、何も理解していません。
祈りとは何か、きちんと理解する必要があります。
自分によって変えられることを、自分の出来る限りのことを全てやっている人、
つまりするべきことをやっている人が、
自分によって直接変えられないことに対して、まず祈るのです。
自分がどんなに頑張っても、それは完璧完全ではない。
自分によって変えられないことが、この世界にはたくさんある。
そんな、至極当たり前な事実が、客観的に見れていないと、祈ることは出来ません。
そうやって祈っていると、
自分で出来ると思っていたことも、自分の能力や努力だと思っていたことも、
実は、全ては与えられていたという、当たり前の事実、
いままで見過ごしていた、自信過剰になって見過ごしていた、
ただただあるがままの事実に気づきます。
祈りは、その人の精神的な成長を助けてくれるものです。
祈りの内容は、その人の精神的な成長とと共に成長します。
自分によって変えられることは何か、変えられないことは何か?
という、客観的な分別が持てますように。
変えられることについて、自分が出来る限りのことを全て出来る能力が発揮されますように。
変えられないことについて、それを受け入れ、柔軟に適応できますように。
全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。
そうやって毎日祈ることを習慣としていると、
自分の考え・言葉・行動の全てが、生きとし生けるの全ての幸せに繋がりますように。
その祈りが、自分の生活24時間そのものとなるのです。