スワミジのパードゥカー |
78.サンヴァーダ(संवादः [saṃvādaḥ]) - 対話、ダイアローグ
の回で説明されているシュローカについての質問
आचार्यात्पादमादत्ते पादं शिष्यः स्वमेधया । पादं सब्रह्मचारिभ्यः पादं कालक्रमेण तु ॥
ācāryātpādamādatte pādaṃ śiṣyaḥ svamedhayā |
pādaṃ sabrahmacāribhyaḥ pādaṃ kālakrameṇa tu ||
生徒は、先生から4分の1を得て、自分の記憶力や努力によって4分の1、
生徒同士のディスカッションによって4分の1、
そして最後の4分の1を、時間の経過によって得るのです。
ちなみに、ヴェーダーンタに関しては、これは完全に通用するものではありません。
とありますが、何故でしょうか?
このシュローカの意味は、学びに必要な要素には、
1.先生、2.自分の努力、3.生徒との協力、4.時間の経過
という四つの要素が必要だよ、という意味ですが、
何故、それらの学びの要素の必要性が、
ヴェーダーンタの勉強には完全に通用しないのでしょうか?
≪質問への答え≫
ヴェーダーンタの文献は、
イーシュワラとは何かを、自分の本質として知るための、
独立した知る手段(プラマーナ)なので、
例えるなら、目というプラマーナで何かの色や形を知る時、
「目で4分の1が理解できて、自分の努力と、生徒同士の協力と、時間の経過も、4分の1ずつ」とは言えないのと同じです。
色や形を見るためには、視覚という知る手段だけが必要で、
視覚を通して得られた色や形、それがそのまま知識となります。
ヴェーダーンタも同じで、
そのプラマーナを使う人のアディカーリットヴァが十分であれば、
ヴェーダーンタの教える知識を得る為に必要なのは、
ヴェーダーンタというプラマーナのみです。
ヴェーダーンタには文献という側面もあるので、
文献を勉強している以上は、それなりの努力や時間などの様々な要素も必要となります。
そこも忘れないでくださいね~。