2017年2月4日土曜日

ヨーガとヴェーダーンタの関係の無さ


ヨガに限らず、サンスクリットの言葉は、
様々な文献の中で、様々な違った意味で使われているので、
使われている場所によって、その意味の解釈を変えて行く必要があります。

問題は、今まで知っていた「ヨーガ」の意味の範囲内、または延長線上で、

ヴェーダーンタで使われている様々なヨーガの意味も解釈しようとしているところにあります。
ゆえに、ヴェーダーンタを「ヨーガのゴール」として紹介するのは危険だなぁ~と思っています。

まだヴェーダーンタを勉強していないヨーガの生徒に、

「ヴェーダーンタはヨーガのゴールです」と言ってしまうと、
既存のヨーガの理解が何であれ、その延長線上にヴェーダーンタを当てはめようとし、
混乱が起きます。

ヴェーダーンタの文献であるギーターの教える「ヨーガ」の定義は、

他の文献で教えられているヨーガの意味とは全く別物なのに、
それぞれの人が既に抱いているヨーガの意味と重ね合わせていたら、
正しい理解はされません。

ヴェーダーンタの教えを聴くときは、

ヨーガに限らずあらゆる言葉において、
既存の概念はいったん横に置いておく必要があります。

それが出来ていなければ、

何十年聴き続けても、自分の既に知っている範囲内での理解になってしまいます。

Yoga=エクササイズとして認識している人なら、

ヴェーダーンタを聴いているうちにすぐに辻褄が合わなくなるので、
ヨーガの意味を訂正していくのは容易ですが、
一方で、ヨーガ哲学や精神世界について先に勉強してきた人が、
ヴェーダーンタを聴く場合は、修正作業はとても難しくなります。

プージャ・スワミジは、

「精神世界について何も知らずにヴェーダーンタに来れた人はラッキー」
とよく仰っていました。
それだけ、先に植え付けられた概念というものは、正しい知識の理解を阻むものなのです。


追記:
そもそも、ヨーガにヴェーダーンタを関係づける必要なんて全然ありません。
ヨーガを勉強しているからって、ヴェーダーンタを勉強する必要はありません。
ヴェーダーンタは、真実を知りたい人が勉強するものです。

ヨーガをやっている人に、ヴェーダーンタを広めようとしたり、
真実を知りたい人が、ヨーガに行ってしまうような大通りが、

この100年ほどで出来上がってしまったことに、この混乱の原因があると見ています。

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