2016年11月30日水曜日

ヴェーダーンタ入門の王道となった、ヨガの座学

最近では、ヨガがメインのコースで、哲学の座学でヴェーダーンタに出会い、、
というのが、ヴェーダーンタの入口の王道となっているようで、
それはとても良いことだと思いますが、
ヴェーダーンタは、(アーサナとか八支則とかの)ヨガとは完全に別物ですから、
ヴェーダーンタをきちんと勉強するのなら、
ヨガやその他のものからはしっかり切り離して、
違いをはっきり見分けて勉強するべきですね。


その違いをはっきり見極めているのが、ヴェーダーンタの先生の資格であり、
その違いを教えるのが、ヴェーダーンタの先生の役割でもあります。


ヴェーダーンタを勉強する上では、
ヨガや仏教などの位置づけをしっかり把握する必要があります。
ヨガの延長線上にヴェーダーンタ、という単純なポジショニングでは、
結局どちらとも理解できていないことになります。

ヴェーダーンタと、ヴェーダーンタ以外の文献(ヨーガなど)は、
アヌバンダ・チャトゥシュタヤからして完全に違うのですから、当たり前ですね。


社会や家庭で与えられた自分の義務をスムーズにこなすために、
丈夫でしなやかな身体と、適度に落ち着いた心をメンテするのには、
ヨガというテクニックは有効ですが、
ヨガは全ての人にとって必要なものではありません。

ヨガ以外にも心身のメンテの方法は多くあるし、
実際、ヨガをしていなくても、
自分の義務をこなすのに十分な心身を持って、
社会や家庭に貢献している人はたくさんいますね。

アヒムサー等の価値を教えるのも、ヨガの特権ではありません。
それらは文献が無くても人間なら分かることです。

 (プルシャ・アルタとの繋がりが見えると、その価値観に価値を見出せますが、
プルシャ・アルタを完全に明確にするための文献を、ヴェーダーンタと呼びます。
他の全ての文献は、プルシャ・アルタがまだ明確でない人、
もしくはそれが最終的なプルシャ・アルタでないと分かっている人の為にあります。)


一方、ヴェーダーンタの教える(カルマ)ヨーガには、
イーシュワラの理解が必要です。
イーシュワラについてのプラマーナをヴェーダーンタと呼びます。

「いや、ヨーガ・スートラもイーシュワラを教えている」と言うかもしれませんが、
ヨーガ・スートラのイーシュワラは、ニミッタ・カーラナのみで、
そこにアドヴァイタのヴィジョンはありません。
ゆえに、ヨーガ・スートラの教えでは、
ヴェーダーンタの教えるカルマ・ヨーガに必要な知識は得られません。


ヨガが教える範囲は、「この身体と心の状態」という範囲内です。

(サマーディであろうが浄土であろうが、「範囲内」と言ってのけるのが、ヴェーダーンタです。
アニッティヤであることから、そこに真実が無いことを見極めるのがヴィヴェーカであり、
そこに心理的に期待・依存しないのが、ヴァイラーギャです。)

心身のコンディションには、完璧を求めても時間と労力の無駄なので、
ある程度心身のコンディションが整えば、
心身をいじくりまわすことに時間と労力を費やすのではなく、
自分に与えられた義務をこなし、プルシャ・アルタについて考える時間に回さないと、
人間として生まれた時間がもったいない。。。

ヴェーダーンタの教える範囲は、この身体と心を含む宇宙全体の本質です。
イーシュワラについて、イーシュワラの本質について、
そしてそれが自分の本質であるという事実を知るための手段(プラマーナ)を、
ヴェーダーンタと呼びます。

「いや、ヨガも自分の本質を知るためのプラマーナだ」というのは、
ヨガもヴェーダーンタも知らないのと同じです。
(これはヨガだけではなく、他の知識でも何でも当てはまります。)

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