2016年6月17日金曜日

ヨーガの不思議

私はもともと、スピリチュアルとかいう胡散臭いものが好きになれないたちで、

日本でもヨガとかいったものには全然詳しくなく、

10年前にリシケシに来るまでは、ヨガとかスピリチュアルに関する知識は、

ほぼゼロでした。


しかし、ヨガ、と言えば普通はアーサナから入りますが、

『体を曲げるだけがヨガじゃなでしょう。』

って、アーサナのクラスを受けてたら、すぐに気づいて、

ヤマとかニヤマが基礎にある、瞑想をゴールとしたトータルなシステムの一部が、アーサナなんだ、

なんて、この情報化時代すぐに分かるはず。


と私は疑うことすらなかったのですが、

実際は、そんなことも知らずに何年もアーサナばかりしている人がかなり多くいると、

最近聞かされて、とてもびっくりしました。

早くて1回目のアーサナのクラスで、遅くても2週間以内に、

そういうこと気づいて探し当てるのが、普通だと思っていたのだけど。。。


体だけ曲げてて、『これだけじゃないはず!』 と、考えることもなく、

この情報化の時代に、そんな無知を温存できるなんて、、、???


さらに私が不思議に思うことは、

ヤマとかニヤマとか、はっきり言って、良心とか常識の範囲のことを、

理解することも実践することも出来ないのにも関わらず、

アーサナをやっている人たちが、いきなり、

サンスクリット語で書かれたヨーガ・スートラを勉強しよう!

という、そのワイルドな試みです。


生徒はもちろん、先生も、サンスクリット語の文法なんて全然知らないし、

その先生の先生も、サンスクリット語の教育を十分に受けていない。

なのに、皆でこぞって、ヨーガ・スートラを勉強しようという、

その風潮は、私から見たら正直、滑稽です。



訳本を使って、意図だけ汲み取りましょう、という勉強会ならともかく、

なんで、サンスクリット語はおろか、発音も知らないのに、ヨーガ・スートラを唱える?

しかも、ヨーガ・スートラの勉強を1か月以上続けたのだったら、

さらにヨーガ・スートラの原文を教える立場にあるのなら、

サンスクリット語の文法をきちんと勉強しなければ、と考えるのが、

文献に対する誠実な態度です。

サンスクリット語の文法も知らずに、ヨーガ・スートラ等の文献を教えるなんて、

私には、不誠実にしか思えません。


サンスクリット語の勉強において成功するには、

自分のマインドのあり方について熟知し、

マインドの使い方を、しっかりマスター していなければなりません。


ヨーガの瞑想で成功している人なら、マインドの使い方もマスターしているはずですから、

サンスクリット語の文法なんて、短期間でしっかりマスターできるはず。

なのに実際は、『私こそがヨーギーだ!』と威張っている人に限って、

サンスクリット語のお勉強となると、3分もじっとして座っていられないのだから、

説得力が無さすぎる。というか、馬鹿馬鹿しすぎる。

何のためにヨーガしてるの?エゴを大きくしてるだけじゃないの?

としか思えない。でも、そういうヨーガの先生に限って、生徒がいっぱいいるから、

この世はトチ狂っているとしか思えない。

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