2020年8月6日木曜日

磯野真穂さんのインタビュー「「自分らしさ」は探さない ー 「ありのまま」「あなたらしさ」の落とし穴」を読んで

https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2020/04/post-92684.php?t=1
こちらの記事を読んで、思ったことをコメントしました。
磯野真穂さんがどのような研究をされているのか等の情報は、こちらのリンクにあります。

プージヤ・スワミジの講義に「psychology has no solution」というのがありました。
心理学でも文化人類学でも何でも、学問というものは、事象を観察して得られたデータが全てであるゆえに、問題を体系的に提示することはできても、根本的な解決は提示できません。なぜなら、どのような問題でも、結局最後には、「自分は何者なのか」という問いに還って来るからです。
自分の心理作用も含め、事象は自分によって観察されているものであり、自分自身ではありません。だから、自分自身の意味である「意識」が何なのかがハード・プロブレムであり続けられるのです。

ちなみに、意識そのものである自分自身は何者かなのを知る手段をヴェーダーンタよ呼びます。

「自分は何者なのか」という自分の定義を、自分ではない自分の対象物としている以上、その矛盾に違和感を感じ続けながら生きるしかありません。

ヴェーダーンタまで行かなくとも、インドの「全てはイーシュヴァラである」という祈りの文化のヴィジョンが無ければ、目の前の他人との比較や、メディアから流れてくる広告に押し付けられた消費者として都合の良い価値観の中でしか生きられないし、それを指摘し研究する側も、それ以上の価値観を持っていなければ、答えも見つからず、問題を問題として指摘するしかできない。
このインタビューは、このことを明らかにしている良い例だと思います。

以下、中央寄せにしているイタリック文字は、リンク元からの引用文です。
私のコメントは、「Medha ⇒ 」以下です。

「自分らしく生きる」
周囲の目やしがらみから「自由」になるための価値観として讃えられることの多いこの言葉は一方で、承認欲求を際限なく求めてしまう「罠」にもなる。
摂食障害の当事者の調査・研究を続けてきた文化人類学者の磯野真穂さんは、自著でそう指摘します。
「『自分らしさって何だろう』と自分に注目することは、『他者』に注目することでもあるから」

Medha ⇒ 他者との比較ではない、宇宙の表現としての自分。細胞のひとつひとつも、ポジティブな感情もネガティブな感情も全ては、この宇宙の表れである。こんな当たり前の事実なのに、他との違いの境界線でしか自分を認識できていなければ、見逃してしまう、大事な事実を、ただただ客観的に認識させてくれるための知識を教えるのがヴェーダの文化です。
サンスクリット語の祈りの言葉も、私は宇宙の表現であるという事実を認識させてくれるためにありますね。

──「ありのままでいい」というのは、本人そのままを受容する言葉ですよね。
磯野:そう、とても素敵な言葉だし、本当にそうなったらいいなと思うんですけど。
けれど一方で、「わたしって何だろう」「自分らしさって何だろう」と自分にすごく注目することは、「わたし」を見つめることではなく、実は「他者」に注目することなんですよね。
「自分らしさ」が何かを知るためには、参照点として「他者」を置かないと、比較ができないんですよ。

Medha ⇒ それはイーシュヴァラ(トータルの認識)が無いからさ。
個々の相対的な違いを絶対的な違いだと捉えている以上、違和感と戦い続ける世界に生きるしかない。


磯野:人は生きていくうえで「誰かに認めてもらいたい」という承認欲求が必要ですし、それを求めるのは自然なことです。その一方で、「自分が周りにどう思われているかを意識するのはよくない」「周りに合わせるのはかっこわるい」というブレーキも働く。
なので、普段は「承認」なんて必要ないという素振りを見せながら、一方でそれを満たす、矛盾した振る舞いをせざるを得ないのが現実です。

Medha ⇒ それは自分の本質の知識が無いからさ。
自分が本質的に何者かを人は誰でも生まれつき知らないし、知る由もないから、他人と比較できるこの身体やこの心や器官でしか、自分を認識できない。
でも、自分は本質的にそのような存在ではないから、違和感を持ってもがき続けるしかないのです。そんな制限だらけではない、自分の本質を正しく知るまでは。

磯野:「自分らしさ」の罠を考える上で分かりやすい例が、「就活」の自己PRです。
でもそれは、自分の「商品化」につながると思いませんか?

Medha ⇒ 仕事という役割の中での自分であり、それは自分の表現の、社会の表現の一部でしかなく、自分の本質とは直接関係ない。
勉強仕事ができる・できないという次元でしか、人間を見れていないことに問題がある。
経歴や体形や経験など、自分のあらゆる相対的な属性についても然り。

相対的なものを相対的だと見ている絶対的な自分を見逃しているから、相対的なものが絶対となり、自分という存在が相対的な、他人との比較でしか無くなるのですよ!!!


──摂食障害の当事者のインタビューや調査を続けてこられました。
磯野:インタビューをまとめた本(『なぜふつうに食べられないのかー拒食と過食の文化人類学』)を書いた時には、「やせたい」という気持ちから人は逃げられるのではないかと漠然と思っていました。
でも、どんな社会にもある種の「理想体形」があって、それを参照点に人が動くのは、わたしたちが身体を持って、コミュニティで生きている限り、逃れられない運命なのだと考えるようになりました。
自己管理が称賛され肥満が治療の対象とされる社会で、痩せている体が理想なのはある意味仕方のないことではあります。でもマーケットが過剰にあおっている側面もあるということは、ある程度知っておいた方がいい。

Medha ⇒ 自分の知っている世界が、TVや雑誌の中しかないから。脱毛やダイエットなどの広告の範囲でしか、自分を見れていないから。

磯野:生きるために不可欠な営みであるはずの「食べる」という行為が、「栄養素」などの一元的な情報として扱われるようになる。場合によっては罪悪感のもとになり、その罪悪感に応えるかのように、「ギルトフリー食品」と呼ばれる、太らないおやつまで登場してくる。

Medha ⇒ 食べるという行為は、自分の自由意志を使った世界との繋がりの顕著な例。毎日することから、それが自分という人格を直接的に形成します。
物理的にカロリーやビタミンの事しか考えていない人は、身体が痩せても太っても、人間性は、物理的なことにしか関心の無い人間性です。
他の命を奪って生きていること、それなら、できるだけ命を傷つけなくて済むヴェジタリアンを選ぼう、という思考にまで昇華すれば、物理的な数字に囚われるみみちいくだらない自分から卒業できるはず。


磯野:文化人類学を専門とする私は心を「現れ」ととらえています。世界との接地面に「心」が現れてくる、と見る。
摂食障害の話を聞くと、過去の苦しさと未来の不安が団子状になって覆いかぶさっている感じがする。その未来と過去の断片で押しつぶされて「今」に接地できていない感じがある。
だから「いかに接触するか」「いかに世界とかかわるか」だと思います。

Medha ⇒ 摂食障害に限らず、人間は誰でも、多かれ少なかれ、今目の前にある現実を客観的に見ることを阻む色眼鏡のような主観を通してでしか世界と関われません。
そこを意識して、色眼鏡がかかっていると自覚し、客観的であろうとすることが、人間として成長することです。
客観的に世界と関わる。世界には、目の前の他者も、自分の心身も、含まれている。他者も、自分も、この世界の表現そのものである。この事実を常に客観的に見続けられる、この世界と1ミリのずれもないコンプリートな人間に成長する方法を、ヴェーダは教えています。それが、自分の本質を知る為に必要だからです。


磯野:人は生活上、「母」「教員」「学生」といった、いろんな「役割」をもっていて、その役割に応じたつながり方や生き方をしています。これを「タグ(札)付けする関係」と呼びます。
社会を営む上で、こうした「タグ付け」の関係は必要です。ただ、人間関係が「タグ付け」の関係だけで満たされてしまうと、自分自身まで「タグ」で価値づけ、「こういう"教員"であるべきだ」など決め打ちされた役割に縛られかねない。タグの価値だけでつながった人間関係は、そのタグの価値が下がれば終わりです。

Medha ⇒ 目の前のさまざまな他者に合わせて、さまざまな「役割」を演じている、「母」でも「教員」でも「学生」でも無い、「ベーシック・パーソン」である、自分がいます。この「ベーシック・パーソン」が、世界と関わるとき、目の前にいる他者との相対的な関係で、「母」「教員」「学生」といった役割をこなすのです。
「母」「教員」「学生」といった役割は相対的なものであり、自分は絶対的には「母」でも「教員」でも「学生」でも無い。このことに気づいたとき、では、相対的な自分はさておき、絶対的な自分は何者なのか?という問いが生まれます。
それに完全に答えるのが、ヴェーダーンタで教えられている自己の本質の知識です。

ヴェーダーンタで教えられている自己の本質を正しく理解するには、「ベーシック・パーソンである自分が、イーシュヴァラ(トータル)と関わっている」という認識が、全ての状況において必要になります。
個々の「他者との関わり」の中で一喜一憂するのではなく、「自分とトータルとの関わり」を見据え、全ての状況をあるべきものとして客観的に受け入れ、そのなかで、自分の役割としてするべきことを客観的に(compassionatelyとも言う)判断し、他人に受け入れられなくても、自分が自分を受け入れられる行動を自分が選びとって実行していけばよいだけなのです。
このようにして、自分と世界の現実を客観的に見ることができなければ、そのひとつの本質という現実も見ることができないので。



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