エーカーダシーとは
月齢11日目の日を「エーカーダシー(第11)」と呼びます。
エーカーダシーの日は、自分の精神的な成長を願って、通常の食事を抜いて、その分の空いた時間を、お祈りや聖典の勉強の為に充てます。
通常の食事を抜くといっても、どのように抜くかは人それぞれです。
インドで多く見られるのは、穀物や野菜を避けて、
代わりに、フルーツやナッツ、乳製品、タピオカ(サブダナ)などを食す方法です。
もちろん、水しか飲まない、水も飲まない、という人もいますし、
米だけ抜く、という人もいたり、いろいろです。
自分の精神的な成長の為にするのですから、自分次第です。
(美容・健康の為にすると思っている人が多いですが、美容や健康が増進しても精神的な成長には直接つながりませんよね。)
エーカーダシーの日にするお祈りは、
ヴィシュヌ・サハッスラナーマのチャンティング、
ジャパ(マントラを繰り返し唱えること)、
ガンガーでの沐浴、
モウナ(無言でいること)、
バジャンやキールタン(神様の名前を讃えること)、
など、独りでも、みんで集まっても、いろいろできます。
また、神様とは何か、この世界とは、自分とは、という根本的な問いへの答えを教えるヴェーダーンタの文献を勉強することも、とても良いことです。
プラーナと呼ばれるインドの聖典では、そのようなエーカーダシーの日の過ごし方が、プンニャ(グレース、自分に良い状況をもたらしてくれる運)を生む行為として、推奨されています。
なぜ食事を抜くのか?
毎日の食事には、多大なエネルギーが使われます。
何食べよう?から始まって、計画して、買い物して、調理して、食べて、食べる為に稼いで、、、食べる為に使われる人生のエネルギーは多大なものです。
「生きるために食べる」はずなのに、本末転倒になってはいないか?
エーカーダシーの日は、そんな日常から一歩身を引いて、
「そもそも何の為に生きているのか?」
ということを考えるための時間を作ります。
そのような人間として根本的な問題に答えるのが、
ヴェーダーンタ(ウパニシャッド)と呼ばれる聖典です。
ウパヴァーサ(उपवासः [upavāsaḥ])
エーカーダシーのように、宗教的に特別な日に食事を抜くことを、サンスクリット語では、ウパヴァーサ(उपवासः [upavāsaḥ])と呼びます。
神様の近く(उप [upa])にいる(वास [vāsa])という意味です。
近くも何も、ヴェーダのヴィジョンでは、
私の身体も、生理機能も、心も、感情も、記憶も、全ては神様の表れであり、
私は本質的に神と同一であるのだけれども、
それを、私達は知らないし、知る由もない。
ヴェーダは、この宇宙の全てとして表れている全知識という意識的な存在を神様と定義し、私達に教えています。
この宇宙の全てとして表れている全知識という意識的な存在が神様であるとき、
この宇宙の一片として表れている私という意識的な存在は、
神様から1ミリも離れた存在ではありません。
全ての知識を支えている存在がひとつの意識であるとき、それは私の本質に他なりません。
その事実を正しく知り、常にその知識が事実として、どのような状況にも見えていること。
ウパヴァーサ(उपवासः [upavāsaḥ])は、単に食事を抜くことだけではありません。
ヴラタ(व्रतः [vrataḥ])
エーカーダシーのように、決まった日や期間、通常の食事を抜くなり、人と話すのを止めたりなど、自分の精神的な成長のために、タパスをすると決めることを、ヴラタ(व्रतः [vrataḥ]) と言います。
タパスが何かは、また今度、6月6・7日のクラスで説明しますね。。
I am observing Ekadashi vrata.
といった言い方をします。
エーカーダシーの日の調べ方
こちらのパンチャーンガ(ヒンドゥ暦)のサイトから調べられます。
https://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html
画面の右上の時間の表示をクリックすると、自分の今いる地域を設定できます。
月齢11日目の日を「エーカーダシー(第11)」と呼びます。
エーカーダシーの日は、自分の精神的な成長を願って、通常の食事を抜いて、その分の空いた時間を、お祈りや聖典の勉強の為に充てます。
通常の食事を抜くといっても、どのように抜くかは人それぞれです。
インドで多く見られるのは、穀物や野菜を避けて、
代わりに、フルーツやナッツ、乳製品、タピオカ(サブダナ)などを食す方法です。
もちろん、水しか飲まない、水も飲まない、という人もいますし、
米だけ抜く、という人もいたり、いろいろです。
自分の精神的な成長の為にするのですから、自分次第です。
(美容・健康の為にすると思っている人が多いですが、美容や健康が増進しても精神的な成長には直接つながりませんよね。)
エーカーダシーの日にするお祈りは、
ヴィシュヌ・サハッスラナーマのチャンティング、
ジャパ(マントラを繰り返し唱えること)、
ガンガーでの沐浴、
モウナ(無言でいること)、
バジャンやキールタン(神様の名前を讃えること)、
など、独りでも、みんで集まっても、いろいろできます。
また、神様とは何か、この世界とは、自分とは、という根本的な問いへの答えを教えるヴェーダーンタの文献を勉強することも、とても良いことです。
プラーナと呼ばれるインドの聖典では、そのようなエーカーダシーの日の過ごし方が、プンニャ(グレース、自分に良い状況をもたらしてくれる運)を生む行為として、推奨されています。
なぜ食事を抜くのか?
毎日の食事には、多大なエネルギーが使われます。
何食べよう?から始まって、計画して、買い物して、調理して、食べて、食べる為に稼いで、、、食べる為に使われる人生のエネルギーは多大なものです。
「生きるために食べる」はずなのに、本末転倒になってはいないか?
エーカーダシーの日は、そんな日常から一歩身を引いて、
「そもそも何の為に生きているのか?」
ということを考えるための時間を作ります。
そのような人間として根本的な問題に答えるのが、
ヴェーダーンタ(ウパニシャッド)と呼ばれる聖典です。
ウパヴァーサ(उपवासः [upavāsaḥ])
エーカーダシーのように、宗教的に特別な日に食事を抜くことを、サンスクリット語では、ウパヴァーサ(उपवासः [upavāsaḥ])と呼びます。
神様の近く(उप [upa])にいる(वास [vāsa])という意味です。
近くも何も、ヴェーダのヴィジョンでは、
私の身体も、生理機能も、心も、感情も、記憶も、全ては神様の表れであり、
私は本質的に神と同一であるのだけれども、
それを、私達は知らないし、知る由もない。
ヴェーダは、この宇宙の全てとして表れている全知識という意識的な存在を神様と定義し、私達に教えています。
この宇宙の全てとして表れている全知識という意識的な存在が神様であるとき、
この宇宙の一片として表れている私という意識的な存在は、
神様から1ミリも離れた存在ではありません。
全ての知識を支えている存在がひとつの意識であるとき、それは私の本質に他なりません。
その事実を正しく知り、常にその知識が事実として、どのような状況にも見えていること。
ウパヴァーサ(उपवासः [upavāsaḥ])は、単に食事を抜くことだけではありません。
ヴラタ(व्रतः [vrataḥ])
エーカーダシーのように、決まった日や期間、通常の食事を抜くなり、人と話すのを止めたりなど、自分の精神的な成長のために、タパスをすると決めることを、ヴラタ(व्रतः [vrataḥ]) と言います。
タパスが何かは、また今度、6月6・7日のクラスで説明しますね。。
I am observing Ekadashi vrata.
といった言い方をします。
エーカーダシーの日の調べ方
こちらのパンチャーンガ(ヒンドゥ暦)のサイトから調べられます。
https://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html
画面の右上の時間の表示をクリックすると、自分の今いる地域を設定できます。