Happy Diipaavali!
皆に知識の光が降り注ぎ、平和と清栄がありますように。
カールティカ月の新月の今日は、ディーパーヴァリ(ディワリ)というヒンドゥー教の祝日です。
先日のヴィジャヤ・ダシャミーで、ラーヴァナ(悪)に勝利したラーマ(善)が、アヨーディヤーに還って来ることを盛大に祝福する日です。
アヨーディヤーの市民はラーマを歓迎するために、街中にランゴーリを描き、新月の暗い夜の中で道筋が見えるようにランプ(ディーパ)の列(アーヴァリ)を灯します。
世の中を見ていると、自らこのようにラーマに還って来てもらう努力をしない限り、人間は混乱を極めるしかないものだと、つくづく実感します。。
「善と悪なんてそんなに簡単に分けられるものじゃない」と思うかも知れませんが、それもそのはず、どちらとも自分の中にあり、分別がつかないからです。
ここで言う悪とは、全ての人間が生まれつき持っている無知、そこから生まれる不安・不満・貪欲・憎悪、価値観の混乱、分別の無さ、そして結局「人生何の為に生きているのか分からない」という虚無感。
善とは、光に象徴される知識、分別、ヴェーダの言葉で言うと、モークシャに繋がるダルマ。人生を完全に満たす知識と、その知識を理解できるための心を整える生き方。
この知識が無ければ、どれだけ他の知識やものを手に入れても、人生は虚無にしか感じられません。
無知の闇の中で、知識のランプを灯して、人間が本当に求めている平和・幸福へ導くラーマ(रमन्ते अस्मिन् योगिनः)を迎え入れる。
ランプを灯したり、皆で集まって花火を上げたり、たくさんのお菓子を交換したりしながら、このようなことを家族みんなで・社会全体で認識できる文化の形があるのは、素晴らしいことです。ヒンドゥー文化の形をその意味と共に、しっかり後世に伝えていかねばと思います。
インドの家庭では、前日までに家の大掃除をして、前日のナラカ・チャトルダシーにはしっかりオイルバス(アビヤンガ)をして、家の前にランゴーリを描いて、ランプを灯して、富の女神ラクシュミーに来てもらい、ラクシュミー・プージャーをします。