2020年8月6日木曜日

磯野真穂さんのインタビュー「「自分らしさ」は探さない ー 「ありのまま」「あなたらしさ」の落とし穴」を読んで

https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2020/04/post-92684.php?t=1
こちらの記事を読んで、思ったことをコメントしました。
磯野真穂さんがどのような研究をされているのか等の情報は、こちらのリンクにあります。

プージヤ・スワミジの講義に「psychology has no solution」というのがありました。
心理学でも文化人類学でも何でも、学問というものは、事象を観察して得られたデータが全てであるゆえに、問題を体系的に提示することはできても、根本的な解決は提示できません。なぜなら、どのような問題でも、結局最後には、「自分は何者なのか」という問いに還って来るからです。
自分の心理作用も含め、事象は自分によって観察されているものであり、自分自身ではありません。だから、自分自身の意味である「意識」が何なのかがハード・プロブレムであり続けられるのです。

ちなみに、意識そのものである自分自身は何者かなのを知る手段をヴェーダーンタよ呼びます。

「自分は何者なのか」という自分の定義を、自分ではない自分の対象物としている以上、その矛盾に違和感を感じ続けながら生きるしかありません。

ヴェーダーンタまで行かなくとも、インドの「全てはイーシュヴァラである」という祈りの文化のヴィジョンが無ければ、目の前の他人との比較や、メディアから流れてくる広告に押し付けられた消費者として都合の良い価値観の中でしか生きられないし、それを指摘し研究する側も、それ以上の価値観を持っていなければ、答えも見つからず、問題を問題として指摘するしかできない。
このインタビューは、このことを明らかにしている良い例だと思います。

以下、中央寄せにしているイタリック文字は、リンク元からの引用文です。
私のコメントは、「Medha ⇒ 」以下です。

「自分らしく生きる」
周囲の目やしがらみから「自由」になるための価値観として讃えられることの多いこの言葉は一方で、承認欲求を際限なく求めてしまう「罠」にもなる。
摂食障害の当事者の調査・研究を続けてきた文化人類学者の磯野真穂さんは、自著でそう指摘します。
「『自分らしさって何だろう』と自分に注目することは、『他者』に注目することでもあるから」

Medha ⇒ 他者との比較ではない、宇宙の表現としての自分。細胞のひとつひとつも、ポジティブな感情もネガティブな感情も全ては、この宇宙の表れである。こんな当たり前の事実なのに、他との違いの境界線でしか自分を認識できていなければ、見逃してしまう、大事な事実を、ただただ客観的に認識させてくれるための知識を教えるのがヴェーダの文化です。
サンスクリット語の祈りの言葉も、私は宇宙の表現であるという事実を認識させてくれるためにありますね。

──「ありのままでいい」というのは、本人そのままを受容する言葉ですよね。
磯野:そう、とても素敵な言葉だし、本当にそうなったらいいなと思うんですけど。
けれど一方で、「わたしって何だろう」「自分らしさって何だろう」と自分にすごく注目することは、「わたし」を見つめることではなく、実は「他者」に注目することなんですよね。
「自分らしさ」が何かを知るためには、参照点として「他者」を置かないと、比較ができないんですよ。

Medha ⇒ それはイーシュヴァラ(トータルの認識)が無いからさ。
個々の相対的な違いを絶対的な違いだと捉えている以上、違和感と戦い続ける世界に生きるしかない。


磯野:人は生きていくうえで「誰かに認めてもらいたい」という承認欲求が必要ですし、それを求めるのは自然なことです。その一方で、「自分が周りにどう思われているかを意識するのはよくない」「周りに合わせるのはかっこわるい」というブレーキも働く。
なので、普段は「承認」なんて必要ないという素振りを見せながら、一方でそれを満たす、矛盾した振る舞いをせざるを得ないのが現実です。

Medha ⇒ それは自分の本質の知識が無いからさ。
自分が本質的に何者かを人は誰でも生まれつき知らないし、知る由もないから、他人と比較できるこの身体やこの心や器官でしか、自分を認識できない。
でも、自分は本質的にそのような存在ではないから、違和感を持ってもがき続けるしかないのです。そんな制限だらけではない、自分の本質を正しく知るまでは。

磯野:「自分らしさ」の罠を考える上で分かりやすい例が、「就活」の自己PRです。
でもそれは、自分の「商品化」につながると思いませんか?

Medha ⇒ 仕事という役割の中での自分であり、それは自分の表現の、社会の表現の一部でしかなく、自分の本質とは直接関係ない。
勉強仕事ができる・できないという次元でしか、人間を見れていないことに問題がある。
経歴や体形や経験など、自分のあらゆる相対的な属性についても然り。

相対的なものを相対的だと見ている絶対的な自分を見逃しているから、相対的なものが絶対となり、自分という存在が相対的な、他人との比較でしか無くなるのですよ!!!


──摂食障害の当事者のインタビューや調査を続けてこられました。
磯野:インタビューをまとめた本(『なぜふつうに食べられないのかー拒食と過食の文化人類学』)を書いた時には、「やせたい」という気持ちから人は逃げられるのではないかと漠然と思っていました。
でも、どんな社会にもある種の「理想体形」があって、それを参照点に人が動くのは、わたしたちが身体を持って、コミュニティで生きている限り、逃れられない運命なのだと考えるようになりました。
自己管理が称賛され肥満が治療の対象とされる社会で、痩せている体が理想なのはある意味仕方のないことではあります。でもマーケットが過剰にあおっている側面もあるということは、ある程度知っておいた方がいい。

Medha ⇒ 自分の知っている世界が、TVや雑誌の中しかないから。脱毛やダイエットなどの広告の範囲でしか、自分を見れていないから。

磯野:生きるために不可欠な営みであるはずの「食べる」という行為が、「栄養素」などの一元的な情報として扱われるようになる。場合によっては罪悪感のもとになり、その罪悪感に応えるかのように、「ギルトフリー食品」と呼ばれる、太らないおやつまで登場してくる。

Medha ⇒ 食べるという行為は、自分の自由意志を使った世界との繋がりの顕著な例。毎日することから、それが自分という人格を直接的に形成します。
物理的にカロリーやビタミンの事しか考えていない人は、身体が痩せても太っても、人間性は、物理的なことにしか関心の無い人間性です。
他の命を奪って生きていること、それなら、できるだけ命を傷つけなくて済むヴェジタリアンを選ぼう、という思考にまで昇華すれば、物理的な数字に囚われるみみちいくだらない自分から卒業できるはず。


磯野:文化人類学を専門とする私は心を「現れ」ととらえています。世界との接地面に「心」が現れてくる、と見る。
摂食障害の話を聞くと、過去の苦しさと未来の不安が団子状になって覆いかぶさっている感じがする。その未来と過去の断片で押しつぶされて「今」に接地できていない感じがある。
だから「いかに接触するか」「いかに世界とかかわるか」だと思います。

Medha ⇒ 摂食障害に限らず、人間は誰でも、多かれ少なかれ、今目の前にある現実を客観的に見ることを阻む色眼鏡のような主観を通してでしか世界と関われません。
そこを意識して、色眼鏡がかかっていると自覚し、客観的であろうとすることが、人間として成長することです。
客観的に世界と関わる。世界には、目の前の他者も、自分の心身も、含まれている。他者も、自分も、この世界の表現そのものである。この事実を常に客観的に見続けられる、この世界と1ミリのずれもないコンプリートな人間に成長する方法を、ヴェーダは教えています。それが、自分の本質を知る為に必要だからです。


磯野:人は生活上、「母」「教員」「学生」といった、いろんな「役割」をもっていて、その役割に応じたつながり方や生き方をしています。これを「タグ(札)付けする関係」と呼びます。
社会を営む上で、こうした「タグ付け」の関係は必要です。ただ、人間関係が「タグ付け」の関係だけで満たされてしまうと、自分自身まで「タグ」で価値づけ、「こういう"教員"であるべきだ」など決め打ちされた役割に縛られかねない。タグの価値だけでつながった人間関係は、そのタグの価値が下がれば終わりです。

Medha ⇒ 目の前のさまざまな他者に合わせて、さまざまな「役割」を演じている、「母」でも「教員」でも「学生」でも無い、「ベーシック・パーソン」である、自分がいます。この「ベーシック・パーソン」が、世界と関わるとき、目の前にいる他者との相対的な関係で、「母」「教員」「学生」といった役割をこなすのです。
「母」「教員」「学生」といった役割は相対的なものであり、自分は絶対的には「母」でも「教員」でも「学生」でも無い。このことに気づいたとき、では、相対的な自分はさておき、絶対的な自分は何者なのか?という問いが生まれます。
それに完全に答えるのが、ヴェーダーンタで教えられている自己の本質の知識です。

ヴェーダーンタで教えられている自己の本質を正しく理解するには、「ベーシック・パーソンである自分が、イーシュヴァラ(トータル)と関わっている」という認識が、全ての状況において必要になります。
個々の「他者との関わり」の中で一喜一憂するのではなく、「自分とトータルとの関わり」を見据え、全ての状況をあるべきものとして客観的に受け入れ、そのなかで、自分の役割としてするべきことを客観的に(compassionatelyとも言う)判断し、他人に受け入れられなくても、自分が自分を受け入れられる行動を自分が選びとって実行していけばよいだけなのです。
このようにして、自分と世界の現実を客観的に見ることができなければ、そのひとつの本質という現実も見ることができないので。



2020年7月29日水曜日

ジーヴァ(個人)ジャガット(世界)イーシュヴァラ(神)ー8月もお祈りのオンライン・クラスを続けます

ナマステ、
8月も今までと同じスケジュールで、白い本にあるサンスクリット語の祈りの句のチャンティングとその意味を学ぶオンライン・クラスを続けます。詳細は一番下にあります。

『お祈り』のクラスと称していますが、「皆で願い事を叶えましょう☆彡」という趣旨のクラスでは無いことは、何度か出席されていると自然と分かると思います。

クラスに参加するきっかけは何であれ、サンスクリット語の祈りにシュラッダー(信頼)を持てた強運を持っていたということには変わりありません。

「祈る」 という100%自由意志による行為には、「誰が?」「何を?」「誰に?」祈るのか、कारक(行いの要因)が必ず付随し、それらを明らかにしていきたいという知的欲求が生まれます。(サンスクリット語の祈りに惹かれる強運を持った人なら。)

祈っている私=個人(ジーヴァ)は、この世界の中でどういう存在なのか?

私に祈らせている問題だらけのこの世界、この宇宙(ジャガット)に遍在する秩序の認識の欠落が私を小さな存在にしているのでは?

そもそも、誰に対して祈っているのか?祈るに値する存在=イーシュヴァラ(神)とは?
そのイーシュヴァラと私(ジーヴァ)の関係は何なのか?
イーシュヴァラと世界(ジャガット)の関係は何なのか?

それらについてサンスクリット語を通して明らかにしているのが、
ヴェーダ、ヴェーダーンタという、サンスクリット語の祈りの句です。
ジーヴァ(個人)ジャガット(世界)イーシュヴァラ(神)について、
本質を明らかにしているのが、サンスクリット語のマントラ=祈りの句なのです。

祈りとは、「お願い叶えて~」というだけのものではありません。
祈りとは、ジーヴァ(個人)ジャガット(世界)イーシュヴァラ(神)について、
正しく認識するための言葉の集まりです。

祈るという行為は、イーシュヴァラの認識に特化した行為です。
祈りの句の意味を、ヴェーダ、ヴェーダーンタのヴィジョンに沿って正しく理解し、
イーシュヴァラを正しく理解するということは、
客観的に自分(ジーヴァ)と世界(ジャガット)を見れるようになり、
自分(ジーヴァ)と世界(ジャガット)の関りにおいて、イーシュヴァラを認識するということです。

私のお祈りのクラスでは、このようなことを教えています。
赤い本と白い本にあるサンスクリット語の祈りの詩句にある、
サンスクリット語の言葉の一語一語について、
ヴェーダ、ヴェーダーンタのヴィジョンに沿って、詳しく展開しています。

さらに、6月に開催したサンスクリット語文法の集中クラスの後は、
学んだ文法の知識も活用しながら、サンスクリット語の祈りの言葉の意味の理解をより深めています。

今年の東京・大阪・名古屋・バリでのヴェーダーンタのクラスは全て、残念ながら中止・延期になってしまいましたが、このお祈りのクラスで教えていることは、ヴェーダーンタのクラスで教えていることと同じです。
4月から始めた週末のオンラインのお祈りのクラスでは、
このようにヴェーダーンタを学ぶ姿勢の基礎から、ヴェーダーンタのヴィジョンまで、
サンスクリット語の言葉に沿って、伝統の教えに沿って、展開していますから、
ヴェーダーンタを学びたい人は、週末のお祈りのクラスを定期的に参加してください。


毎週曜日と曜日
クラス① 10時~11時
30分休憩
クラス② 11時半~12時半
お昼休憩(お昼ご飯はヴェジタリアンでお願いします)
クラス③ 14時~15時
全て日本時間

ZOOMのMeeting IDは、978-290-416
リンクは https://zoom.us/j/978290416 です。

2020年7月18日土曜日

「他人の」人生の意味や存在価値を「他人が」考えることを許している、混乱し切った現代社会

「自分の」人生の意味や、「自分の」存在価値については、自分が自分で考えるべきであり、その為に人生の時間はあります。

「他人の」人生の意味や、「他人の」存在価値について、考えても、自分も他人も幸せにしません。

他人が「お前の人生には意味がない、お前の存在価値なんて無い」と言おうものなら、これ以上無意味な言葉はありません。
その人は自分の人生の意味や存在価値は自分で考えないといけないということを分かっていないのですから、その人自身が、人生の意味や自分の存在価値について、まったくもって混乱しきっているのです。
犬がワンワン吠えていることのほうが、よっぽど意味があります。
だから、他人にそんなことを言われても、虫の鳴き声の方がよっぽど意味があるわい、と言い返しましょう。そんな人と言い争いになるのは時間の無駄に他ならないので、心の中で言い返すのが賢明かも知れません。

さらに、自分の成績や経済価値や生産性や身体的特徴で、自分の存在価値を査定するような思想には、大事なものが抜けています。
とにかく、そのような価値の無いジャッジメントは、真に受けることではありません。

自分の人生の意味や存在価値は、自分の頭で考え、自分で理解したもの以外の何ものでもありません。誰かに決めてもらって安心しようとしているから、他人の意見に右往左往、アップダウンするのです。自分の頭で考えて来なかったしっぺ返しを喰らっているだけです。

ヴェーダの文化は、自分の人生の意味や、自分の存在価値について、きちんと考えることの価値観を教えています。

ヴェーダは人生の意味や自分の存在の価値について教えてくれますが、結局それについて論理に照らし合わせてみて、自分の理解にしていくためには、人生の意味や自分の存在の価値について、きちんと自分の頭で考えるということに価値観を持っていなければ、単に盲目的に信じるだけの宗教で終わってしまいます。

日本の社会には、このような価値観があまりにも無さすぎると思わせる、もっともらしい言論ばかりが飛び交っているようです。



2020年7月13日月曜日

Macでデーヴァナーガリーを打つためのリソース


Macでのデーヴァナーガリーの入力方法
https://xiaogang.hatenablog.jp/entry/20150916/p1

サンスクリット語用の発音記号が付いたローマ字(IAST)の打ち方(英語)
https://www.yogicstudies.com/blog/how-to-type-transliterated-sanskrit-with-diacritics-in-mac-osx

FBで繋がっているBunkeiさんがご親切にも、IASTの打ち方の一覧を作ってくださいました。ご厚意に感謝します。。
ā: Opt+a
Ā: Opt+Shift+a
ī: Opt+i
Ī: Opt+Shift+i
ū: Opt+u
Ū: Opt+Shift+u
ṛ: Opt+r
Ṛ: Opt+Shift+r
ṝ: Opt+f
Ṝ: Opt+Shift+f
ḷ: Opt+l
Ḷ: Opt+Shift+l
ṅ: Opt+k or g
Ṅ: Opt+Shift+k or g
ñ: Opt+c or j
Ñ: Opt+Shift+c or j
ṭ: Opt+t
Ṭ: Opt+Shift+t
ḍ: Opt+d
Ḍ: Opt+Shift+d
ṇ: Opt+n
Ṇ: Opt+Shift+n
ś: Opt+s
Ś: Opt+Shift+s
ṣ: Opt+x
Ṣ: Opt+Shift+x
ḥ: Opt+h
Ḥ: Opt+Shift+h
ṃ: Opt+m
Ṃ: Opt+Shift+m
ŋ: Opt+Control+n


私はMacを使っていませんが、こちらで情報をシェアすると皆さんのお役に立てると思うので、他にもMacユーザー用(特に初心者用)に知っておくと良いことがあれば、お知らせください。

2020年7月10日金曜日

Baraha IMEでのデーヴァナーガリーの入力のまとめ

一昔前の無償版Ver9.2が安定作動しています。
① こちらからダウンロードするといいですよ。
https://drive.google.com/drive/folders/0B1ejDjTv7Q0rNkJWbmQtOEw2dFE?usp=sharing

②ダウンロードが終わったら、ファイルをダブルクリックしてインストールしてください。
先に他のBarahaのヴァージョンをインストールしてしまった人は、アンインストールしてから。

③ インストールされると、スタートメニューにBaraha9.2と出てきます。
その中のBaraha IMEを使います。
それ以外のBaraha Padとかは私は使いません。


④Baraha IMEをクリックして起動させると、ウィンドウの右端に以下のようなアイコンが出ます。アイコンが出て来ない 場合は、山形印の中に納まっているかもしれませんので、そこをクリックして展開するといいですよ。


デーヴァナーガリーを打ちたいアプリケーション(WordやChromeなど)がアクティブになっている時に、アイコンを右クリックで、Sanskritを選びます。一度選んだら、次回からはF11キーでショートカットできます。


⑥これでデーヴァナーガリーを打てるようになりました。打ち方はHelpを参照するなり、自分でいろいろ試してください。日本語のキーボードだと、Helpの通りにはならないので、結局自分でいろいろ試してください。
ङ्, ञ्, अँ など、日本語のキーボードで分かりづらい文字の打ち方を発見したら、是非世のため人の為にシェアしてください。私のところにご報告いただければここにシェアします。


デーヴァナーガリーからローマ字表記への変換
変換したい文字を選択してCtrl + Cでクリップボードにコピーした状態で、Barahaのアイコンを右クリックし、Convert to [F10] > IASTを選択すると、IASTに変換された文字列が仮想クリップボード上に生成されます。出力したいアプリ上で、Ctrl + Vをすれば、変換された文字列が出てきます。
貼り付けられた文字はガチャガチャしてるかもしれませんので、フォントを変えて整えます。


フォント
デーヴァナーガリーはSanskrit2003, ローマ字表記はURW Palladio ITUを愛用しています。どちらも以下からダウンロードできます。
https://omkarananda-ashram.org/Sanskrit/itranslator2003.htm
最近のお気に入りは、Windows10についているSanskrit Textというフォントです。
コントロールパネル > 言語 > 優先する言語を追加する
からサンスクリット語を選ぶと、追加フォントがインストールされると思います。。



サンスクリット語を学ばれる方は、コンピューターの使い方も、Googleや家族や友達やパソコン教室を総動員して、学んでください。

ここでシェアしたこと以外で、他の人に有益なことを知るに至れば、是非それを多くの人にシェアする気持ちを持って行動してください。それがサンスクリット語を学んで得るべき大事なもののひとつだからです。。

私はIT出身だからこういうのが得意だと思われがちですが、こういう事務作業は秘書の方々がすることだったので、考えること専門だった私はこういう書類作成は得意でも好きでもありません。アシュラムでセーヴァーをするようになってから、先生方と勉強する人の役に立ちたいと思う気持ちだけで、自分に合わないことでもいろいろ頑張ってやっています。そこなへんのご理解をいただきますよう、よろしくお願いしますね。

Macの人は、こちらも参考にしてください。
http://sanskrit-vocabulary.blogspot.com/p/blog-page_4946.html
Macユーザーの方々からもよく質問されるのですが私はMacを使っていないので、どなたか情報をまとめていただければ、こちらでシェアしますね。

2020年7月3日金曜日

自己肯定「感」って何やねん??

自己肯定できない、というのはつまり、
自分が知っている自分は、肯定できる存在、受け入れらない存在だ。
ということです。

その受け入れられない自分、というのは、自分の身体や心やそれに付随するものに決まっています。それを自分としている自分の結論について、それは本当なのか?と疑わず、
自分という存在を100%ダメ男・ダメ子認定しているから、
「(自己肯定はできないけど)自己肯定(している)感覚(になってみる)」、
つまり、「自己肯定」しか持てないのです。

自己肯定というものが、事実に基づいていないから、自己肯定「感」が必要になるのです。
自己肯定「感」で妥協しているのは、そもそも自分なんて肯定できる存在なんかではあり得ない、と諦めている証拠です。

自己が肯定できる存在であるというのが、その人にとって事実なら、感覚に頼る必要はありません。
自分という存在は、本質的には、あらゆる面においても否定しうる存在では無い、というヴェーダーンタの教えが事実かどうかが問題であり、
「あ~、なんか自分を肯定できる気がする~♪」という感覚などは問題にはなりません。

肯定できないような自分という自己認識は間違いであり、事実は正反対である、 と知っていたら、どのような「感覚」を持っていようと関係ありません。
自己肯定感だろうが、至福感だろうか、なんだろうが、
もう、感覚を追いかけ、感覚に振り回されることが無いのです。

天国や死後の世界に勧誘する宗教も、あなたを100%ダメ男・ダメ子認定しています。
あなたが生きている間は肯定できるような存在ではない、と認定しているから、死んでから天国に行って、やっとハッピーエンドになれると説法しているのです。失礼な話ですね。

自分は本当に、本質的に、完全に肯定できる存在ではないのか?
自分の認識が間違っているのでは?
と疑うことのできる理性的な考えを持った人、
そして、自己認識を根本から認識を覆すことのできる、オープンなマインドを持った人にしか、ヴェーダーンタは理解できません。

そのような冷静な考えで事実を見ようとすることが出来ないうちは、
瞑想や自己肯定「感」至福「感」で、気分を紛らわすことに専念しておけば良いでしょう。

「~とは」は、サンスクリット語の接尾辞 त्व [tva] が語源??


今朝のウパニシャッドのシャンカラ・バーシャのクラスで繰り返されていた言葉、
गोत्व [gotva] =牛(go)であること(tva)を日本語で説明していて気付いたのですが、
gotvaというのは「牛とは(何たるかの定義)」とも言えますから、
サンスクリット語の接尾辞 त्व [tva] は、日本語の「とは」の語源なのかも?
と思いました。。


初めて見る「何か物体」でも、それが牛なら、「これは牛だ」と認識できるのは、
先にあなたが「牛とは=गोत्व [gotva]」という、
牛という「種(जाति [jāti])」の知識を持っているからで、
「個体(व्यक्ति [vyakti])」を見た時に、
それが、種の知識=定義に適っていたら、
「これは牛だ」と分かるのです。
、、というのが前提とあって(シャンカラ・バーシャではこんなこと当たり前すぎて説明されていません)


この宇宙の全ては、このような「~とは=~त्व [~tva]」というものを持つものですが、
例えば「Aとは」は「A以外のものとは」に制限されています。
このように、宇宙にある全ての多種多様な存在は、
互いに制限し、否定しあっています。
しかし、それら全てと離れていない存在である、、と続きます。。
続きはまたウパニシャッドのバーシャを勉強するに至るようになった時にでも。。


ちなみに、日本語や中国語の「~的」というのも、西欧語の「~tic」から、日本語に取り入れられ、その日本語から中国語に取り入れられた、という説を読んだことがあります。
サンスクリット語には同様の接尾語に「इक [ika]」というものがあります。


私が教えていない文献(ヨガや文教など)に関しての質問への対応

既に私のクラスで勉強されている方はもちろん、まったく面識の無い方からも、
メールやメッセージなどを通して、文献に関する質問は頻繁に受けます。
ひとつひとつに個別に時間をかけて答えているのですが、
やっぱり、私が教えていない文献(特にヨガや仏教が多いですね)についての質問は、
伝統の中での文献に対する基本的な姿勢についての理解を、まだこれから、する必要があるということなので、どう答えたものか、無視するわけにもいかず、時間が取られます。
 
今度からは、このページを読んでいただけるよう、今日書いたお返事から抜粋してシェアしておきますね。
 
~~~~~
 
ご質問は、どの文献からの引用でしょうか?

まず最初に述べておきたいのは、ヴェーダーンタの伝統では、
文献は独りで読んで、分からないところを先生に訊く、
という手法で勉強するものではありません。

自分の幸せの追求についてきちんと現実を見たいと願う人が、
先生のところに行って教えを願い、
先生が文献に基づいて、現実を見せるようにコミュニケーションするのです。

私はこの伝統の中でお世話になったおかげで、先生から真実を見せてもらいました。
ゆえに、私も伝統に敬意を表したいと思っています。
このことから、「真実を知りたい」と願う人に対して、
伝統の手法に沿って教えることのみをしたいと思っています。
つまり、その人に必要な文献を選び、伝統の手法に沿って、
その人に現実を見てもらうことだけをしています。

このように、私の伝統に対する敬意から、文献に対して正直に接したいので、
私の教えていない文献についての質問に答えることは避けるべきだと思っています。

質問は、その文献を教えた、もしくは勧めた先生が答えるべきです。
もし自分で選んで読んでいたとしても、どちらにしても、
私を都合の良いコメンテーターとして利用するのは良いことだとは思いません。
 
自分の教えていない文献に対して答えることは、
文献や伝統への背信になりますし、
質問者と私の両方の時間を無駄にしてしまいます。

दान(与えること)とयज्ञ/इष्टि(祈り)は、プンニャを得るための唯一の方法です。होमは、यज्ञの中でも、火を使った儀式です。インドのアシュラムでは毎日していますよ。事態が落ち着いたら是非見に来てください。

このような文献を勉強するための意図が、自分の本質を知る為だという見極めがついて、それには適切なアプローチがある、と分かる為には多大なプンニャが必要です。
分かる人と分からない人の違いを生む要因は、幸運のあるなしに他なりません。


2020年7月2日木曜日

リアリティ

スワミジが使われる「リアリティ」 という言葉の説明は、辞書に載っている言葉の意味では理解できない言葉の代表のうちのひとつですね。ヴェーダーンタが扱う主題ですから当たり前なのですが。

私は文脈によって日本語の使い方も変えます。
現実、現実性、あるものについて「それがどれくらい本物なのか」という自分の理解、本質、本当にあるもの、など。

スワミジの教えるヴェーダーンタを知らないと、この英語だけを読んだら、何でこんな日本語訳になるの??となると思いますが、
ヴェーダーンタの講義で使われる「リアリティ」 という言葉の理解に役立てるような日本語の文章だと思います。

Reality is what you understand. There is no object called reality. “This is real.” “This is unreal.” “This does not exist.” These are the words of reality revealing our understanding.
You are your understanding, your understanding of reality.
What you consider real that alone you are after.
What is the real? Your way of looking at a thing.
“This is something real.” That sets you up. Thus how you look at thing is important. There is no such thing as reality, except your understanding.

リアリティ(現実性、本当にあるもの)とは、あなたの(何かの存在に対する)理解です。リアリティ(現実性)という物体があるのではなく、(あるものに対して、)「これは本物だ」「これは本物ではない」「こんなものは存在しない」というのが、(あるものが、どれだけ本物なのかを表す、つまり)リアリティ(現実性)を表す言葉で、私達の(あるものの存在に対する)理解を明らかにしています。
あなた(の存在が何なのか)とは、あなたの理解であり、あなたのリアリティ(自分も含めたこの世界の現実性)の理解です。
あなたが本物だと思うもののみを、あなたは追いかけます。

本物とは何でしょうか?それは、あなたのものの見方です。
あなたが「これは本物だ」と理解するものを、あなたは(人生をかけて)追いかけます。
ゆえに、ものの見方が重要になります。自分の理解以外に、リアリティというものは無いのです。

~~~~~

禅問答のようなミスティック(神秘的?)な(つまり無責任な)表現にならないように心がけましたが、こういうものはきちんとクラスで直接聞いて学ぶものなので、これだけで理解したつもりにならないでくださいね。いつもクラスを聴いていて、しっくり来ない人には役立つかなと思いました。

このような言葉は、きちんと理解されるまで、きちんと説明されるためにあり、ヴェーダーンタのクラスとは、そのようなコミュニケーションの為にあります。


「禅問答のようなミスティック(神秘的?)な」と言いましたが、
「追いかけるのを辞めたとき、全ては手に入るのです」的な、それだけだと誰でも何とでも取れるような、無責任な言葉を放つヨガティーチャーや宗教家は本当に多いですね。
(それに納得できなくて、私のところに来られる方も多いのですが。)
言っている本人の理解が無いから、きちんと説明できずに、言いっぱなしになるのです。
質問されても答えられないから、「頭でっかちではダメだ」とか「実践した人・体験した人になら分かる」とはぐらかすのです。

聴く側がきちんと理解できるまで、きちんとコミュニケーションを続ける。
互いに知的に正直であることに専念している。
それがヴェーダーンタのクラスです。

2020年6月28日日曜日

7月のオンラインお祈りのクラスのお知らせ

ナマステ、

7月も今までと同じスケジュールで、お祈りのクラスを続けます。
白い本にあるサンスクリット語の祈りの句のチャンティングとその意味を学ぶクラスです。

毎週曜日と曜日
クラス① 10時~11時
30分休憩
クラス② 11時半~12時半
お昼休憩(お昼ご飯はヴェジタリアンでお願いします)
クラス③ 14時~15時
全て日本時間

ZOOMのMeeting IDは、978-290-416
リンクは https://zoom.us/j/978290416 です。

7月11日(土)は、「四つのプルシャ・アルタ」のコラムを読みます。
「欲しいものは人それぞれ」に見えますが、欲しいもの全ての中で共通している、
「人間が本当に求めているものは何か」を明らかにしていきます。
また、「問題も人それぞれ」と思われがちですが、人間に生まれて来た者全てに共通する、「人間特有の根本的な問題」 についても明らかにします。

本当に求めているのは何か?本当の問題は何か?
この2点を明らかにして初めて、ヴェーダーンタを勉強する意味があります。

逆に、この2点を明らかにしないまま、「ヨーガのゴール」 のようなゴール設定でヴェーダーンタを勉強していても無意味です。

その後はシヴァ・マーナサ・プージャーから、白い本に沿って進めますね。



7月4日(土)は、グル・ストーットラのチャンティングと大まかな意味を学びます。

7月5日(日)は「グル・プールニマー」という吉兆な満月(プールニマー)の日ということで、私の3年コースの同級生で、同じ恩師スワミ・ダヤーナンダ・サラスヴァティの下で学んだMuktiさんが、9時~10時に特別なプージャーをオンラインでも参加できるように執り行ってくださいます。そのプージャーで皆さんと一緒にグル・ストーットラをチャンティングできればと思います。
Mukti先生のZOOMはこちらです。: https://us02web.zoom.us/j/327688287

プージャーが終わって、10時10分から、お祈りのクラスをしたいと思います。
ちなみに、私のZOOMはこちらですから、切り替えてくださいね。: https://us02web.zoom.us/j/978290416

始まりが10分遅れるだけで、その後のスケジュールはいつも通りです。


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