祭壇は、バガヴァーン(この世界にある全てを与えている存在)を想うためだけの場所として設えます。
伝統的な形で最高に美しく飾り、日常の喧騒からの結界の場とします。
(お祈りをするための場所では、食べたり飲んだり寝転んだりはしません。)
ちなみに、タイトルにある「宗教的な美しさ」という時の「宗教」とは、「全てを与えている原因を認識すること」という意味です。宗教という言葉には様々な意味があり、ひとつに言い切れるものではありませんが、ここではこのような意味で使っています。
祭壇の非日常的で高貴な美しさを想うだけで、
日常生活で疲れて汚れた心は洗われ、静かに落ち着き、整い、朗らかになり、
祭壇に表されている、この人生の真実についての教えを聴くスペースができる。
神様が祀られた美しい祭壇は、写真に撮ってスマホの中だけでなく、心の中にも持ち歩きたい。祭壇はそのように設えます。
プージャー(ヒンドゥー教のお祈りの儀式)の理解によって、日常生活を祭壇での所作へと昇華させていく、というのが大事です。祭壇を日常レベルに落とすのではありません。
神様だけを想うことのできる美しい祭壇と、日常生活との乖離。
これを埋めていくために一生に与えられた時間があるのですから、焦らなくても大丈夫。
伝統文化にシュラッダー(教えに信頼を持ち、心配することなくリラックスして向かう姿勢)を持って、気長に勉強を続けていけば、日々感じられる自分の成長を祝福する生活になります。