先日のスワミジの本(Talks & Essays One)のダクシナームールティの項で引用されていた、ダクシナームールティ・ウパニシャッドからの一節:
शेमुषी दक्षिणा प्रोक्ता सा यस्याभीक्षणे मुखम्।
दक्षिणाभिमुखः प्रोक्तः शिवोऽसौ ब्रह्मवादिभिः ॥śemuṣī dakṣiṇā proktā sā yasyābhīkṣaṇe mukham|
dakṣiṇābhimukhaḥ proktaḥ śivo'sau brahmavādibhiḥ ||
dakṣiṇābhimukhaḥ proktaḥ śivo'sau brahmavādibhiḥ ||
The
word दक्षिणा means the enlightened mind. That is the eye for directly
perceiving the Lord and therefore Lord शिव is called दक्षिणामूर्ति by
the expounders of brahman.
知性(शेमुषी)はダクシナー(दक्षिणा)と呼ばれます(प्रोक्ता)。
それは(सा)その(シヴァ)を(यस्य)知ることにおいての(अभीक्षणे)手段です(मुखम्)。
その(असौ)シヴァ(शिवः)は、「दक्षिणाभिमुखः(それを見る手段は知性であるもの)」と、
全ての本質を教える人々によって(ब्रह्मवादिभिः)呼ばれます(प्रोक्तः)。
この「शेमुषी [śemuṣī]」という言葉は、「बुद्धि [buddhi]」という意味です。
どうしてこの言葉が知性を表すのでしょうか?成り立ちを見ていきましょう。
कल्पद्रुमという梵梵辞書の説明に沿って展開していきますね。
शेते इति शेः मोहः, शि + विच्, तं मुष्णाति इति, मुष स्तेये + मूलविभुजादित्वात् कः, गौरादित्वात् ङीष् इत्यमरटीका
शे [śe ]というのは、「寝る」という意味の शीङ् [śīṅ] という動詞の原形から来ています。
その主体として「寝てる者」、それは「無知・混乱」を表しています。
मुष् [muṣ] は「盗む」という意味の動詞の原形。
無知と混乱を「盗む者」として、शेमुष [śemuṣa] という言葉が造られ、
知性を表すことから、女性形の ई [ī] という接尾辞が付加されて、
最終的に「शेमुषी [śemuṣī]」という言葉が出来上がります。
辞書を見ていると、さらに「शेमुषीमुष् [śemuṣīmuṣ]」という言葉もあり、
直訳すると、「無知を盗む者を盗む者=混乱」ということになります。
शी + विच् 3.2.75 अन्येभ्योऽपि दृश्यन्ते । ~ विच्
शे 7.3.84 सार्वधातुकार्धधातुकयोः । ~ गुणः
शे अम् + मुष् + क (वा. in 3.2.5) मूलविभुजादिभ्यः उपसङ्ख्यानम् ।
शेमुष + ङीष् 4.1.41 षिद्-गौरादिभ्यश्च । ~ ङीष्
शेमुष् + ई 6.4.148 यस्येति च ।