Uninhibited knowledge is all knowledge.
制限されていない知識は、全知識です。
All knowledge is also consciousness, which is सत् चित् आनन्द.
全知識は、意識でもあります。それはサット(存在)チット(意識)アーナンダ(幸せ)です。
And small knowledge is also consciousness.
そして、限られた小さな知識も、意識です。
Small knowledge, naturally, is inhibited all knowledge.
限られた小さな知識は、当然、制限された全知識です。
Therefore, we are only removing ignorance.
ゆえに、私達(個人)は無知を取り除いているだけなのです。
In the wake of knowledge, ignorance goes.
知識が起きたら、無知が去るのです。
Being inhibited by ignorance, आवरण, one has to learn.
無知に制限されていることから、個人は学ばなければなりません。
One has to have minimum knowledge.
最低限の知識を持っていなくてはなりません。
As a human being, faculty is given.
人間として、(知る為の)能力は持たされています。
You are entitled to gain this knowledge.
あなたはこの知識を得る資格を有しているのです。
And you are driven by yourself to gain this knowledge because you move from pillar to post to find out where you can just relax in yourself, even though people don’t really understand.
そしてあなたは、この知識を得るために、自分自身によって駆り立てられているのです。なぜなら、自分に関してただリラックスできる場所を見つける為に、あちこち飛び回っているからです。それを人々は良く理解していませんが。
They are motivated by their own self-non-acceptance.
人々は、自分自身の「自己不受容」によって駆り立てられているのです。
And self-non-acceptance is because alienation from ईश्वर, the sense of alienation.
そして、この「自己不受容」は、イーシュヴァラから離れているという感覚、つまり世界からの疎外感を原因としています。
Therefore it is one thing to have individuality and it is quite another to feel that I am alienated.
ゆえに、個人としての認識を持っていることと、「自分は孤立している、全てから離れた存在だ」と感じるのは、全く違うことです。
It is entirely due to ignorance, आवरण.
それは、完全に無知によるものです。
There is absence of alienation. This is what we are trying to understand.
孤立の不在というものがあります。それが、私達が理解しようとしていることです。
2013年 リシケシュ 「Only God」キャンプより ある日のクラスの冒頭を訳しました。