日本に帰って来て、耳に入った言葉で、違和感のあった表現。
「みんな違って、みんないい」
私は皆とは違うけれども、誰からも「それでいい」なんて許可を得る必要はありません。
私が私であることに対して、誰かに「あなたはそれでいいのよ」なんて言われたら、
私なら、「あなた何様?」と、不思議に思いますね。
全ての個体は唯一であり、それは単なる事実です。
78億人いたら、78億通りにみんな違っていて、それは当たり前の事実。
太陽は東から昇るもので、その事実を 「いい」とも「わるい」とも言えません。
同様に、みんながそれぞれ違っているという事実は、いいとか悪いとか、ジャッジする対象ではありえません。
カエルもトカゲも蝶々も、みんな違うから、それぞれの名前があるわけで、
それぞれの個体もそれぞれ唯一である、というのも単なる事実で、
それを 「いい」とか「わるい」とかジャッジするのは馬鹿げています。
そして、「いい」と言われて喜んでいる日本人の心理には、
「みんなと違ってたらダメだ」という概念が、日本人全般にあるということが前提となっているわけで、それが一番恐ろしい。
癒された気持ちになって、あ~良かった、で終わるのではなく、
きちんと、トータリタリアニズム教育によって植え付けられた脅迫概念に対して、
自分がそれを基準にものごとを見ていたという恐ろしい事実に気づき、
次の世代に受け付けないように努力することが大事なのでは?
と、私は思いました。。