今朝のウパニシャッドのシャンカラ・バーシャのクラスで繰り返されていた言葉、
गोत्व [gotva] =牛(go)であること(tva)を日本語で説明していて気付いたのですが、
gotvaというのは「牛とは(何たるかの定義)」とも言えますから、
サンスクリット語の接尾辞 त्व [tva] は、日本語の「とは」の語源なのかも?
と思いました。。
初めて見る「何か物体」でも、それが牛なら、「これは牛だ」と認識できるのは、
先にあなたが「牛とは=गोत्व [gotva]」という、
牛という「種(जाति [jāti])」の知識を持っているからで、
「個体(व्यक्ति [vyakti])」を見た時に、
それが、種の知識=定義に適っていたら、
「これは牛だ」と分かるのです。
、、というのが前提とあって(シャンカラ・バーシャではこんなこと当たり前すぎて説明されていません)
この宇宙の全ては、このような「~とは=~त्व [~tva]」というものを持つものですが、
例えば「Aとは」は「A以外のものとは」に制限されています。
このように、宇宙にある全ての多種多様な存在は、
互いに制限し、否定しあっています。
しかし、それら全てと離れていない存在である、、と続きます。。
続きはまたウパニシャッドのバーシャを勉強するに至るようになった時にでも。。
ちなみに、日本語や中国語の「~的」というのも、西欧語の「~tic」から、日本語に取り入れられ、その日本語から中国語に取り入れられた、という説を読んだことがあります。
サンスクリット語には同様の接尾語に「इक [ika]」というものがあります。