既に私のクラスで勉強されている方はもちろん、まったく面識の無い方からも、
メールやメッセージなどを通して、文献に関する質問は頻繁に受けます。
ひとつひとつに個別に時間をかけて答えているのですが、
やっぱり、私が教えていない文献(特にヨガや仏教が多いですね)についての質問は、
伝統の中での文献に対する基本的な姿勢についての理解を、まだこれから、する必要があるということなので、どう答えたものか、無視するわけにもいかず、時間が取られます。
今度からは、このページを読んでいただけるよう、今日書いたお返事から抜粋してシェアしておきますね。
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ご質問は、どの文献からの引用でしょうか?
まず最初に述べておきたいのは、ヴェーダーンタの伝統では、
文献は独りで読んで、分からないところを先生に訊く、
という手法で勉強するものではありません。
自分の幸せの追求についてきちんと現実を見たいと願う人が、
先生のところに行って教えを願い、
先生が文献に基づいて、現実を見せるようにコミュニケーションするのです。
私はこの伝統の中でお世話になったおかげで、先生から真実を見せてもらいました。
ゆえに、私も伝統に敬意を表したいと思っています。
このことから、「真実を知りたい」と願う人に対して、
伝統の手法に沿って教えることのみをしたいと思っています。
つまり、その人に必要な文献を選び、伝統の手法に沿って、
その人に現実を見てもらうことだけをしています。
このように、私の伝統に対する敬意から、文献に対して正直に接したいので、
私の教えていない文献についての質問に答えることは避けるべきだと思っています。
質問は、その文献を教えた、もしくは勧めた先生が答えるべきです。
もし自分で選んで読んでいたとしても、どちらにしても、
私を都合の良いコメンテーターとして利用するのは良いことだとは思いません。
文献や伝統への背信になりますし、
質問者と私の両方の時間を無駄にしてしまいます。
दान(与えること)とयज्ञ/इष्टि(祈り)は、プンニャを得るための唯一の方法です。होमは、यज्ञの中でも、火を使った儀式です。インドのアシュラムでは毎日していますよ。事態が落ち着いたら是非見に来てください。
このような文献を勉強するための意図が、自分の本質を知る為だという見極めがついて、それには適切なアプローチがある、と分かる為には多大なプンニャが必要です。
分かる人と分からない人の違いを生む要因は、幸運のあるなしに他なりません。