スワミジが使われる「リアリティ」 という言葉の説明は、辞書に載っている言葉の意味では理解できない言葉の代表のうちのひとつですね。ヴェーダーンタが扱う主題ですから当たり前なのですが。
私は文脈によって日本語の使い方も変えます。
現実、現実性、あるものについて「それがどれくらい本物なのか」という自分の理解、本質、本当にあるもの、など。
スワミジの教えるヴェーダーンタを知らないと、この英語だけを読んだら、何でこんな日本語訳になるの??となると思いますが、
ヴェーダーンタの講義で使われる「リアリティ」 という言葉の理解に役立てるような日本語の文章だと思います。
私は文脈によって日本語の使い方も変えます。
現実、現実性、あるものについて「それがどれくらい本物なのか」という自分の理解、本質、本当にあるもの、など。
スワミジの教えるヴェーダーンタを知らないと、この英語だけを読んだら、何でこんな日本語訳になるの??となると思いますが、
ヴェーダーンタの講義で使われる「リアリティ」 という言葉の理解に役立てるような日本語の文章だと思います。
Reality is what you understand. There is no object called reality. “This is real.” “This is unreal.” “This does not exist.” These are the words of reality revealing our understanding.
You are your understanding, your understanding of reality.
What you consider real that alone you are after.
What is the real? Your way of looking at a thing.
“This is something real.” That sets you up. Thus how you look at thing is important. There is no such thing as reality, except your understanding.
リアリティ(現実性、本当にあるもの)とは、あなたの(何かの存在に対する)理解です。リアリティ(現実性)という物体があるのではなく、(あるものに対して、)「これは本物だ」「これは本物ではない」「こんなものは存在しない」というのが、(あるものが、どれだけ本物なのかを表す、つまり)リアリティ(現実性)を表す言葉で、私達の(あるものの存在に対する)理解を明らかにしています。
あなた(の存在が何なのか)とは、あなたの理解であり、あなたのリアリティ(自分も含めたこの世界の現実性)の理解です。
あなたが本物だと思うもののみを、あなたは追いかけます。
本物とは何でしょうか?それは、あなたのものの見方です。
あなたが「これは本物だ」と理解するものを、あなたは(人生をかけて)追いかけます。
ゆえに、ものの見方が重要になります。自分の理解以外に、リアリティというものは無いのです。
~~~~~
禅問答のようなミスティック(神秘的?)な(つまり無責任な)表現にならないように心がけましたが、こういうものはきちんとクラスで直接聞いて学ぶものなので、これだけで理解したつもりにならないでくださいね。いつもクラスを聴いていて、しっくり来ない人には役立つかなと思いました。
このような言葉は、きちんと理解されるまで、きちんと説明されるためにあり、ヴェーダーンタのクラスとは、そのようなコミュニケーションの為にあります。
「禅問答のようなミスティック(神秘的?)な」と言いましたが、
「追いかけるのを辞めたとき、全ては手に入るのです」的な、それだけだと誰でも何とでも取れるような、無責任な言葉を放つヨガティーチャーや宗教家は本当に多いですね。
(それに納得できなくて、私のところに来られる方も多いのですが。)
言っている本人の理解が無いから、きちんと説明できずに、言いっぱなしになるのです。
質問されても答えられないから、「頭でっかちではダメだ」とか「実践した人・体験した人になら分かる」とはぐらかすのです。
聴く側がきちんと理解できるまで、きちんとコミュニケーションを続ける。
互いに知的に正直であることに専念している。
それがヴェーダーンタのクラスです。
You are your understanding, your understanding of reality.
What you consider real that alone you are after.
What is the real? Your way of looking at a thing.
“This is something real.” That sets you up. Thus how you look at thing is important. There is no such thing as reality, except your understanding.
リアリティ(現実性、本当にあるもの)とは、あなたの(何かの存在に対する)理解です。リアリティ(現実性)という物体があるのではなく、(あるものに対して、)「これは本物だ」「これは本物ではない」「こんなものは存在しない」というのが、(あるものが、どれだけ本物なのかを表す、つまり)リアリティ(現実性)を表す言葉で、私達の(あるものの存在に対する)理解を明らかにしています。
あなた(の存在が何なのか)とは、あなたの理解であり、あなたのリアリティ(自分も含めたこの世界の現実性)の理解です。
あなたが本物だと思うもののみを、あなたは追いかけます。
本物とは何でしょうか?それは、あなたのものの見方です。
あなたが「これは本物だ」と理解するものを、あなたは(人生をかけて)追いかけます。
ゆえに、ものの見方が重要になります。自分の理解以外に、リアリティというものは無いのです。
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禅問答のようなミスティック(神秘的?)な(つまり無責任な)表現にならないように心がけましたが、こういうものはきちんとクラスで直接聞いて学ぶものなので、これだけで理解したつもりにならないでくださいね。いつもクラスを聴いていて、しっくり来ない人には役立つかなと思いました。
このような言葉は、きちんと理解されるまで、きちんと説明されるためにあり、ヴェーダーンタのクラスとは、そのようなコミュニケーションの為にあります。
「禅問答のようなミスティック(神秘的?)な」と言いましたが、
「追いかけるのを辞めたとき、全ては手に入るのです」的な、それだけだと誰でも何とでも取れるような、無責任な言葉を放つヨガティーチャーや宗教家は本当に多いですね。
(それに納得できなくて、私のところに来られる方も多いのですが。)
言っている本人の理解が無いから、きちんと説明できずに、言いっぱなしになるのです。
質問されても答えられないから、「頭でっかちではダメだ」とか「実践した人・体験した人になら分かる」とはぐらかすのです。
聴く側がきちんと理解できるまで、きちんとコミュニケーションを続ける。
互いに知的に正直であることに専念している。
それがヴェーダーンタのクラスです。