インド人がインド人に私を紹介するとき、
いつもこういう台詞を聞かされる。
「彼女はパンディット(伝統的な学識者)なんですよ!」
「いや~凄いね~。じゃあサンスクリット語で喋ってみてよ」
もういい加減こういうのはやめて欲しい。
謙遜しているのではなくて、
私という変わった存在を、
既知の箱に押し込めようとするのはもうやめて、
自分達の文化の理解の為にも、
何が起きているのか、既知の箱から飛び出して考えられるようになって欲しい。
私が人生の健康寿命を呈してサンスクリット語文法を教えているのは、
パンディットになるためではありません。
当たり前だろ!?そんなことも分からないの?ほんと馬鹿じゃない??
インドの豊かな文化の継承の為のセーヴァーに、残りの人生を呈している、
と言えるように頑張っているのです。
私がプージヤスワミジから教えてもらったセーヴァーに対する姿勢への理解は、
プージヤスワミジの教えに深く触れた人でないと分からないのだと思います。
そして、
サンスクリット語の会話力のみで、私の知識を計ろうとする、
その幼稚な認識から、そろそろ卒業しましょうよ。。
会話とかいう語学を勉強しているのではありません、私は。
インドの伝統的な文献を勉強している人は、
サンスクリット語文法の言語学的側面にもっと意識を向けるべきです。
さらに、言語学の体系を、メタ言語で教えている、
スートラというシステムに、脳みそをアラインさせるべきです。
サンスクリット語を勉強している人の中でも、
スートラの勉強の価値を理解している人は、ほんの一握りですね。
スートラを勉強している人達も、ヴリッティを丸暗記するという、
思考停止をさせる勉強法に陥っているという惨状です。
私みたいな外国人女性が、サンスクリット語文法を教え、
教科書を何冊も書き連ねている中で、何を伝えようとしているのか、
インド人達よ、目を開けて認識してよ!