先日SNSのどこかで、だいたいこんな感じの内容の投稿を見かけました。
教えの伝統の中でヴェーダーンタを勉強している人なら、
どこがおかしいか、分かるはずです。
~~~~~~~~~ヨーガの聖典であるバガヴァッドギーターは、
「自分と自分でないものを混同するな」と説いている。
例えば、自分と自分の収入、学歴、職歴、、、
でもそんなこと、ギーターに教えてもらわなくても、
自分でちょっと考えれば分かること!
~~~~~~~~~
どこがおかしいか、分かりましたか?
ウパニシャッドやバガヴァッドギーターを「勉強」している人々の中でも、
それらがプラマーナであるということ、
そもそもプラマーナとは何かということ、
をきちんと分かっている人は、なかなかいません。
聖典と呼ばれる文献は、生きた先生から生徒への「教えの伝統」と必ずセットで教え継がれています。
どんなに文献にかじりついても、この知識の伝承の中で学ばなければ、
自分勝手で意味のない解釈になってしまいます。
どこかのヨガスクールなり哲学のクラスなりで「刷り込み」されてしまったら、
後できちんとした教えを聴いても、なかなかきちんと頭に入らないものです。
だから、ヴェーダーンタを勉強する人は、インド哲学に対する刷り込みから自由な、
まっさらなマインドで聴く姿勢を持っている人が望ましいです。
さて先の文、どこがどうおかしいのでしょうか?
まず、ヴェーダーンタは「汝~するなかれ」といった、
「しろ、するな」の命令を教えるものではありません。
厳密に言うと、ヴェーダのカルマの部分でさえも、
「しろ、するな」と言っているように見えて、実は、
「こうすると、こうなるよ」という事実しか教えていません。
自分を自分でないものと取り違えている、というのは、
人間のみならず、生きているもの全てに共通する大前提です。
気づいていない人は多いですが、自分の経験に照らし合わせたら、
「ああ、言われてみればそうだ」と分かる筈です。
経験で分かることは、ヴェーダというプラマーナの対象の範囲ではあり得ません。
ヴェーダーンタ・プラマーナの対象は、
「じゃあ、本当の自分は何なのか?」
だけです。
それを知る術が、経験の中には無いからです。
自分の顔が自分で観れないのと同じです。
見たり聞いたりという感覚以外に、鏡という別のプラマーナが必要です。
そこの辺りに分別が無いので、古今東西人々は、瞑想を含めて、経験を追い求め続けているのです。それをサムサーラと呼びます。。
教えの伝統の中でヴェーダーンタを勉強している人なら、
どこがおかしいか、分かるはずです。
~~~~~~~~~ヨーガの聖典であるバガヴァッドギーターは、
「自分と自分でないものを混同するな」と説いている。
例えば、自分と自分の収入、学歴、職歴、、、
でもそんなこと、ギーターに教えてもらわなくても、
自分でちょっと考えれば分かること!
~~~~~~~~~
どこがおかしいか、分かりましたか?
ウパニシャッドやバガヴァッドギーターを「勉強」している人々の中でも、
それらがプラマーナであるということ、
そもそもプラマーナとは何かということ、
をきちんと分かっている人は、なかなかいません。
聖典と呼ばれる文献は、生きた先生から生徒への「教えの伝統」と必ずセットで教え継がれています。
どんなに文献にかじりついても、この知識の伝承の中で学ばなければ、
自分勝手で意味のない解釈になってしまいます。
どこかのヨガスクールなり哲学のクラスなりで「刷り込み」されてしまったら、
後できちんとした教えを聴いても、なかなかきちんと頭に入らないものです。
だから、ヴェーダーンタを勉強する人は、インド哲学に対する刷り込みから自由な、
まっさらなマインドで聴く姿勢を持っている人が望ましいです。
さて先の文、どこがどうおかしいのでしょうか?
まず、ヴェーダーンタは「汝~するなかれ」といった、
「しろ、するな」の命令を教えるものではありません。
厳密に言うと、ヴェーダのカルマの部分でさえも、
「しろ、するな」と言っているように見えて、実は、
「こうすると、こうなるよ」という事実しか教えていません。
自分を自分でないものと取り違えている、というのは、
人間のみならず、生きているもの全てに共通する大前提です。
気づいていない人は多いですが、自分の経験に照らし合わせたら、
「ああ、言われてみればそうだ」と分かる筈です。
経験で分かることは、ヴェーダというプラマーナの対象の範囲ではあり得ません。
ヴェーダーンタ・プラマーナの対象は、
「じゃあ、本当の自分は何なのか?」
だけです。
それを知る術が、経験の中には無いからです。
自分の顔が自分で観れないのと同じです。
見たり聞いたりという感覚以外に、鏡という別のプラマーナが必要です。
そこの辺りに分別が無いので、古今東西人々は、瞑想を含めて、経験を追い求め続けているのです。それをサムサーラと呼びます。。