自分とは、この世界とは、本質的に何なのか?
という人間の根本的で最終的な問いは、
永遠の謎でもあります。
なぜなら、それを知る由が無いからです。
色形を知るには目という知る手段が与えられ、
味を知るには味覚という知る手段が与えられ、
知覚を元に推測をするという論理的思考も与えられていますが、
この身体と心を対象化して見続けている、自分という存在にが何なのか、
それを知る手段は、この身体と心には備わっていません。
だから、自問自答しても、雲を掴むような、
答えになっているのかいないのか分からないものしか得られず、
「凡人には知り得ないのさ~」でお茶が濁されます。
ヴェーダーンタは自分の本質を知る手段であり、
自分の本質とは、自分が求めているものの全てだった、と教えています。
それってどういうこと?それって本当?
本当だったら、これ以上いいことは無いんだけど、
なんか、全然しっくり来ない。。
じゃあ、完全にしっくり来るまで、
しっくり来ない原因である混乱した現実観を気長に解きほぐしていくのが、
ヴェーダーンタの学びです。