テンプルの前でうろつく立派な牛さん。牛さんのいる日常が恋しい。
全ての生き物の幸せを祈ることを、自分の日課の基本とすること。
動物も尊敬し世話をすること。
人間として当たり前のことが、インドの当たり前。
でも日本では、祈りは馬鹿にされ、動物を食べるのが当たり前。
みんながそうだったら、生き辛くなるのも当たり前だと思います。
自分も含めた皆の幸せを祈り、
自分の全ての行動を祈りに変えていくことは、
つまり「貢献者として成長すること」は、
人間の心の健康的な安定と、人間としての成長に繋がります。
それは、世界中、生まれも資格も関係なく、誰でも出来ることです。
レールに乗って競争に勝った人だけが「成功者」という価値観では、
生き辛い人が大量生産されるのも当然です。
貢献することよりも、勝つこと、消費すること、所有することが、
日本人の成功の価値観になっていますね。
競争に勝つことが成功ではなく、
自分が人間的に成長することが成功であり、
その手段が祈り、生きていることそのものを祈りとすることです。
それは、レールに乗っていてもいなくても、
生まれ育ちが何であれ、誰にでも出来ることなのです。
それがヴェーダの教えなのに、
誰でも自分の立場で祈って貢献できる→カースト差別として歪められ、
祈ること自体も、呪術だとして、西洋の学者さん達によって歪められた知識が、
日本人の常識になってしまっていますね。。。
自分の全ての行動を祈りに変えていくことは、
つまり「貢献者として成長すること」は、
人間の心の健康的な安定と、人間としての成長に繋がります。
それは、世界中、生まれも資格も関係なく、誰でも出来ることです。
レールに乗って競争に勝った人だけが「成功者」という価値観では、
生き辛い人が大量生産されるのも当然です。
貢献することよりも、勝つこと、消費すること、所有することが、
日本人の成功の価値観になっていますね。
競争に勝つことが成功ではなく、
自分が人間的に成長することが成功であり、
その手段が祈り、生きていることそのものを祈りとすることです。
それは、レールに乗っていてもいなくても、
生まれ育ちが何であれ、誰にでも出来ることなのです。
それがヴェーダの教えなのに、
誰でも自分の立場で祈って貢献できる→カースト差別として歪められ、
祈ること自体も、呪術だとして、西洋の学者さん達によって歪められた知識が、
日本人の常識になってしまっていますね。。。