これからの世界をつくる仲間たちへ
落合陽一
著者にも、多くの人にも届きますように、
と祈りながら、感想文を書きますね。
感想文のタイトルも「これからの世界をつくる仲間たちへ」 にしたいと思います!
「これからの時代に、コンピュータに負けずに、
人間としての価値観を活かして、どうやって生き延びるか?」
といった感じの内容が本書の大半を占めています。
しかしこれでは、パラダイムは変われど、
生存競争に人間の心が汲々としていることに、
何の変わりもないじゃないか!
人間は、何で生き延びないといけないのか?
何のために生きているのか?
人間に与えられた「生きる」という課題は、
何を達成して果たされたことになるのか?
といったことをもっと掘り下げて欲しい。
って本当にそんなとこばかり掘り下げていたら、
ITとかどうでもよくなって、本の主旨が変わってしまうけど、
実際、ITだのどうのって、人間の本質には関係ないのだから、
ITの最先端に関わる人にこそ、哲学してもらって、
そんなの関係ない!って言って欲しいなぁ。
先日新幹線の駅で、「お金2.0」という黒と金のカバーの、
いかにも欲にまみれてギトギトした感じの本を立ち読みしました。
大半はビットコインだのブロックチェーンだの、これからこうだ!
みたいな感じで、私にとってはつまらない内容なので読み飛ばしていたのだけど、
終盤では「お金なんてツールに過ぎない」と言い切り、
本当に豊かになったのなら、愛とか真実とか宗教とか、
人間にしか追求できないものに突き進まな意味ない!
といった、まさかの展開で終わっていて、それは嬉しい驚きでした。
落合君にも、そこまで、そしてその先まで、ぶっ飛んで欲しいです。
この本でも、最後のほうにちょっと、彼自身の哲学が出てきていたので、
よし行け!もっと揉まれて、もっと考え抜いて!
と応援したくなりました。
彼が本書で議論していた、
「この世で一番幸せな人は誰か」という問いですが、
その答えとして、
「それは今の自分だ!今ここにいる、この自分だ!」
と言い切れる人のみが、本当にいちばん幸せな人なのですよ。
それが完全無欠な自己肯定だからです。
彼の答えのように、
「ブータンの山奥でビジネスモデルを作っている人」
になること、が幸せだったら、それは完全な自己肯定ではありません。
~になること、というのはつまり、今の自分は、幸せな未来の自分像から、
時間や空間、質や属性によって、隔てられているからです。
何かにならないといけない。
何かになり続けることを、サムサーラと呼ぶのですよ!
「何が、どんな障害物が、
今ここにいる自分を、世界で一番幸せな存在にしていないのか?」
という、根本的な問いかけに気付いて、突き詰めて欲しいなぁ。
「結局、夢見ているときが幸せ」なんてのは、考えが足りないですよ。
「実現しちゃうと、夢から醒めちゃう」ような幸せは、
いつまで経っても追いかけ続けている幸せです。
てことは、いつまで経っても幸せじゃない。
彼は「技術の発展にともなって、人間の幸せも発展している」
という大前提で話を進めているかのようですが、
有史以来、人間はいろいろ発見して発明して発展しているけど、
幸福もそれに伴って増えている訳ではない、
というのは古典を知っていたら分かるず。
幸福って何なのか、
完全なる自己肯定って何なのか?
正しい知る手段を使って、真実が見えたなら、
この宇宙で最大のWOW!は自分自身なのだけど。
आश्चर्यवत् पश्यति कश्चिदेनम् आश्चर्यवद्वदति तथैव चान्यः ।
āścaryavat paśyati kaścidenam āścaryavadvadati tathaiva cānyaḥ |
आश्चर्यवच्चैनमन्यः शृणोति श्रुत्वाप्येनं वेद न चैव कश्चित् ॥
āścaryavaccainamanyaḥ śṛṇoti śrutvāpyenaṃ veda na caiva kaścit ||
भगवद्गीता 2.29
bhagavadgītā 2.29
ある人はこれ(自己の本質)を、驚嘆を持って見ます。
またある人はこれを、驚嘆を持って話します。
またある人はこれについて、驚嘆を持って聴きます、
そしてある人は、聴いたにも関わらず、知ることが出来ません。
バガヴァッド・ギーター第2章29節
本書で彼が繰り返しているキーワードである、
「自己肯定」や「何のために生きるのか」「モチベーション」
というのは、そのまま、サンスクリット語でいう
「プルシャ・アルタ(人間が求めているもの)」ですから、
コンピュータではなく、人間にしか求められないもの、
究極的なもの、すなわち、絶対的に普遍的なもの、
それは何か?というのを突き詰めて欲しいですし、
暗中模索に終わらないよう、それを正しくアシストするための、
ヴェーダの文化を利用できる高徳も積んで欲しいですね。
自己肯定とは、結局、
自分が自分をどう見ているのか、
すなわち、自己認識に、完全に依存しています。
この身体や心といった有限のもので自己認識するのが
一般的な自己認識です。
それは、ちょっと問いかけると、頓珍漢も甚だしい、
あり得ない間違いだと分かることなのですが、
落合君はこのあり得ない自己「誤」認識を、
自分のツイッターアカウントにまで拡張しているのですから、
それが人間の発展なのか?と皮肉に思えます。
論理的に言語化する能力は、正しい思考に欠かせません。
親が子供と話すとき、論理的に言語化する能力を高めてあげられるよう、
必要な助け舟を、相槌のように入れてあげるのが大切、
というのは、さすが落合信彦の息子さんですね。
そのような会話力をつけるための講座が全国にあれば、
親子はもとより、あらゆる人間関係は、
意味のあるものへと向上すると思います。
これは世界中の人の考えを良い方向に変える、
とても効果的な働きかけだから、是非彼や彼の仲間にやって欲しい。
「この社会で何をすれば役に立てるか?」という利他的な視点から自分探しを勧めているのは良いことですね。
それは、ヴェーダの文化がずっと教えていることなのですけどね。
あと、本書に出てくるウナギトラベルの話ですが、
私は昔(2003年公開、準備はもっと前)、
itravelforyou.comというサイトを立ち上げて、世界旅行をしていました。
旅に出れない、全世界の人に向けて、「私が代わりに旅します!
行きたいところと撮って来て欲しい写真があれば教えてください!
気に入ればドネーションしてね!」というコンセプトを発しました。
(2年以上旅行して、もらったのは50ドルくらいかなぁ。)
今のような便利で華やかなブログ・サービスがまだ無かった時代ですから、
自分でプログラムを書きました。phpとmySQLです。
写真を一括でアップして、データベース化し、
バックオフィスでコメントをつけて、
表側で写真とコメントのレイアウトを自動生成するプログラムです。
今でいう、インスタやFBのようなインターフェイスです。
当時はそのようなサービスは無かったので、
自分の書いたプログラムはうまいことマーケティングすれば売れるな、
とは思っていたけど、旅行することの方が楽しかったので、
そのまま時代は過ぎ、今ではそんなことが誰でも無料で、
当たり前に出来るようになりました。
そんな時代もあったな、と珍しく思い出話でした。
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昨年末に日本に帰ってきてから、
隙間時間に、日本語の本を精力的に読んでいます。
良い日本語の表現を学べるもの、哲学系もちょっと、
現代の日本人が共有している感覚が読み取れるもの、
という本を主に選んでいます。
ヴェーダーンタに出会って以来、
何を読んでも、何を見ても、
根本的な問題に辿り着けているか、
それにどうアプローチしているのか、
という観点でしか見れなくなっています。
ゆえに、何を読んでも、何を見ても、
「ああ、惜しいねぇ」という、
同じような感想しか持てないのですが、
その「もがいている様」を見るのは勉強になります。
とっても上から目線で恐縮ですが。。
著者達自身のもがき様と、
著者達から見た世間一般のもがき様を、
それぞれのスタイルで言語化されているのを読むのは、
とても勉強になります。
それを勉強するために読書していると言っても過言ではありません。