前回の投稿はFacebookにも載せたのですが、そちらで私が書いたコメントをここでも紹介しますね。
今の日本の社会の価値観では「やるべきこと」と言われていることが、決して本人の精神的な成長や社会の貢献に役立つものではないのだとしたら、そこに問題があると思います。
行動基準に「ダルマ」という価値観がなければ、「好きか嫌いか、そうじゃなければ意味が無いか」だけになってしまうということですね。
「ダルマ」とは、ヴェーダの文献を正しく勉強して知るべき価値観ですが、簡単に言うと、与えられた状況で、ものごとの在り方に沿った行動を選び取ることです。
自分が世界を見渡すとき、「今ここでこの世界に、自分が貢献できることは何か?」というものの見方で世界を見たとき、自分が取るべき行動は、おのずと分かり、おのずと決まります。「好き・嫌い」はその判断を狂わせることも出来ますし、するべき行動を後押しし、せざるべ行動を避けやすくすることもできます。
まずダルマありきで、「好き・嫌い」がダルマに沿っているならそれをうまく使えばいいし、ダルマに反していたら、その好き嫌いを乗り越えて、好き嫌いの奴隷になって振り回されて惨めな思いをしているちっぽけな自分を卒業して大きな人間になればいい。
ダルマが忘れ去れている社会では、「好き・嫌い」しか行動基準しかないので、「好きでもないことをやってるのが時間の浪費」となってしまうのだと思いますよ。
まず、「何をするべきなのか」の判断に正しい思考が先にあるべきですね。「何でもやる」のところに、落とし穴があるように思います。
自分と他の幸福と成長の助けになるもの(ダルマ)なら、嫌でも我慢してやるべきだけれども、自分や他を傷つけたり破滅に向かわせる行為(アダルマ、ダルマの反対)なら、ノーと言って退去できる冷静で思いやりを持った判断力が必要ですね。
Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)は、これからさらに重要視されるべきものですね。
私の恩師、Dayananda Sarasvatiスワミジは、会社経営者を呼んで、ダルマについて教える機会も積極に持っておられました。株主を喜ばせるだけが経営者の仕事ではないけれども、じゃあ、何を基準に会社を成長させたらいいのか?基本的な価値観にはしっかりした軸が必要です。ダルマの国インドでは、首相や政治家、裁判官などが、スワミジのところにアドヴァイスやブレッシングを求めに来ていました。
形からだけにしても、CSRが、本当の人間の豊かさとは何かを問いかけるキーワードとして、これからどんどん注目され、充実していって欲しいです。
現代の「先進国」が個人に押し付けている「するべきこと」を、我慢してやり通しても、資本家が潤うだけで、個人や社会や環境は疲弊していくだけ、、、という例が目について来たから、そこから抜け出すために、「好きなことだけ」に魅かれるトレンドが生まれたのではないか、と見ています。
ヴェーダは、「人間らしさ」を「ダルマに沿った行動の選択」と教えますが、そのような智慧の恩恵を受けられていない人々にとっては「人間らしさ」とは「好き・嫌いの実現」になっていしまっていますね。
ダルマというヴェーダの教えの基本がすっぽりと抜けてしまったままヨーガ・スートラを勉強している最近のヨガ界の風潮が、好きなことだけすればよい、といった薄っぺらいものになってしまっているのも残念です。
今の日本の社会の価値観では「やるべきこと」と言われていることが、決して本人の精神的な成長や社会の貢献に役立つものではないのだとしたら、そこに問題があると思います。
行動基準に「ダルマ」という価値観がなければ、「好きか嫌いか、そうじゃなければ意味が無いか」だけになってしまうということですね。
「ダルマ」とは、ヴェーダの文献を正しく勉強して知るべき価値観ですが、簡単に言うと、与えられた状況で、ものごとの在り方に沿った行動を選び取ることです。
自分が世界を見渡すとき、「今ここでこの世界に、自分が貢献できることは何か?」というものの見方で世界を見たとき、自分が取るべき行動は、おのずと分かり、おのずと決まります。「好き・嫌い」はその判断を狂わせることも出来ますし、するべき行動を後押しし、せざるべ行動を避けやすくすることもできます。
まずダルマありきで、「好き・嫌い」がダルマに沿っているならそれをうまく使えばいいし、ダルマに反していたら、その好き嫌いを乗り越えて、好き嫌いの奴隷になって振り回されて惨めな思いをしているちっぽけな自分を卒業して大きな人間になればいい。
ダルマが忘れ去れている社会では、「好き・嫌い」しか行動基準しかないので、「好きでもないことをやってるのが時間の浪費」となってしまうのだと思いますよ。
まず、「何をするべきなのか」の判断に正しい思考が先にあるべきですね。「何でもやる」のところに、落とし穴があるように思います。
自分と他の幸福と成長の助けになるもの(ダルマ)なら、嫌でも我慢してやるべきだけれども、自分や他を傷つけたり破滅に向かわせる行為(アダルマ、ダルマの反対)なら、ノーと言って退去できる冷静で思いやりを持った判断力が必要ですね。
Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)は、これからさらに重要視されるべきものですね。
私の恩師、Dayananda Sarasvatiスワミジは、会社経営者を呼んで、ダルマについて教える機会も積極に持っておられました。株主を喜ばせるだけが経営者の仕事ではないけれども、じゃあ、何を基準に会社を成長させたらいいのか?基本的な価値観にはしっかりした軸が必要です。ダルマの国インドでは、首相や政治家、裁判官などが、スワミジのところにアドヴァイスやブレッシングを求めに来ていました。
形からだけにしても、CSRが、本当の人間の豊かさとは何かを問いかけるキーワードとして、これからどんどん注目され、充実していって欲しいです。
現代の「先進国」が個人に押し付けている「するべきこと」を、我慢してやり通しても、資本家が潤うだけで、個人や社会や環境は疲弊していくだけ、、、という例が目について来たから、そこから抜け出すために、「好きなことだけ」に魅かれるトレンドが生まれたのではないか、と見ています。
ヴェーダは、「人間らしさ」を「ダルマに沿った行動の選択」と教えますが、そのような智慧の恩恵を受けられていない人々にとっては「人間らしさ」とは「好き・嫌いの実現」になっていしまっていますね。
ダルマというヴェーダの教えの基本がすっぽりと抜けてしまったままヨーガ・スートラを勉強している最近のヨガ界の風潮が、好きなことだけすればよい、といった薄っぺらいものになってしまっているのも残念です。