「生きとし生けるもの皆の幸せを祈る」ということです。
願い事は何であれ、祈りの最後に、自分が皆と一緒に幸せであることを祈ることが大事です。
自分の知ってる人も、知らない人も、敵も味方も、好きな人も嫌いな人も、
人間以外の動植物も、自然現象を動かしている神々も、私達を見守るご先祖様も、そして自分自身も、
皆が幸せに、それぞれの立場でのすべきことを喜びと誇りを持って遂行できて、
皆が皆を幸せにしあえる世界となりますように。
このようなヴィジョンを持つことが大事です。
ヴェーダの文化は、このようなヴィジョンを持てる人となるように、数々の祈りの言葉を教えています。
लोकाः समस्ताः सुखिनो भवन्तु [lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu]
सर्वे भवन्तु सुखिनः [sarve bhavantu sukhinaḥ]
सर्वेषां शान्तिर्भवतु [sarveṣāṃ śāntirbhavatu]
皆の幸せを祈ることを日課としている人は、聖人です。
あなたは今日から、自分の自由意志ひとつで、気持ちひとつで、聖人となれるのです。
あなたは今日から、自分の自由意志ひとつで、気持ちひとつで、聖人となれるのです。
ヴェーダは、あなたが自分の自由意志を正しく使って、聖人へと成長できる様々な方法を教えています。
ヴェーダにとって人間の成功とは、お金や地位や天国のことではなく、
人間として成長することだからです。
ヴェーダにとって人間の成功とは、お金や地位や天国のことではなく、
人間として成長することだからです。
一方で、誰かの不幸を願うことは絶対に避けるべきです。
実際この社会を見ていても分かるように、憎い相手の不幸を祈るために宗教を使っている人々には、混乱と戦乱しかありません。どれだけ支援をしてあげても、誰かの不幸を祈る人々には、落ち着きも幸せも訪れることはありません。相手の不幸を祈ることによって、互いに幸せに共存するヴィジョンを持つことを、自ら否定しているからです。
嫌がらせをしてくる人は、幸せでは無い人です。その人が幸せに落ち着くことができれば嫌がらせをすることはなくなるでしょうから、その人の幸せを遠くから祈りましょう。
一緒に手を取り合って仲良くすることは難しくても、それぞれに離れたところで幸せに暮らすことは可能です。
そうして、嫌な相手にさえも幸せを祈れるように教えるのが、サットヴァな宗教のあり方です。
そうして、嫌な相手にさえも幸せを祈れるように教えるのが、サットヴァな宗教のあり方です。
「皆が幸せでありますように」というヴィジョンを持って祈るということは、何よりも大事なことなのです。