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すっかり遅れてしまいましたが、先日の東京での勉強会を終えての感想を皆さんとシェアしたいと思います。
始まりのない頃から、インドの地において、本当にこの知識の教えを望む、ほんの一握りの人々へ、静かに、しかし確実に、脈々と教え継がれてきたこの知識を、
21世紀になって、遠く離れた日本で教えるというのは、私が教えていただいていたインドの伝統的な環境とは大きく異なることから、正直、かなり勇気のいることです。
この知識は本当に願う人にのみにしか教えても意味がないどころか、余計に無駄な混乱を招くだけなので、日本でももちろん、頼まれなければ教えません。
真摯に知りたい人にはもちろん個人的にでも教えますが、他にも真摯に知りたいと願う人が複数いるならその人達の為にも、ということで、自分が勉強したい個人が、他の人のことも思って、勉強会の開催をしてくださっています。(私のエージェントとか思っている人もいるようですが、違います。クラスの開催をしてくださっているのは皆、このような寛大な志を持った個人の方々です。)
このようにして、アシュラムやグルクラムのない日本という土地でクラスの開催が行われる中で、インドの教えの伝統がどの程度守れるのか?
日本ならではにアジャストしていかないといけないこともあれば、譲れないこともあります。
その中で、最も大切なことのひとつが、「学ぶ姿勢を学ぶこと」です。
経済至上主義的な現代社会では、教えることもビジネスのひとつとなっているゆえに、教えてもらう側も「お客さん的」になったり、教えてもらうことの「権利を主張する」という態度になったりしてもおかしくありません。しかし、そうなってしまうと、その人は何を聴いても正しく理解することは不可能になってしまいます。
私の心配をよそに、日本では、パランパラーの先生方のグレースのみならず、主催者の方々の心遣いが隅々にまで行き渡っているおかげで、この「学ぶ姿勢を学べる環境」が着実に育っているように感じます。
特に今回の勉強会では、オンラインクラスでも毎週勉強し、コンスタントに出席されている方々が多いせいか、主催者の方を中心に、参加者の皆さん、そして参加できなかった皆さんも力を合わせて、皆が勉強しやすい環境を作り上げているように協力し合ってくれているということが、クラス開催決定からのプロセスにおいても、会場での至るところにも、感じられました。
勉強会の後に、主催者の祐子さんが参加者に送ったメールの中の文章が、私が感じているこのクラスのあり方をよく表していると思ったので、以下に引用しますね。
ちなみに、勉強会の告知ページで祐子さんが書いてくださった文章も、とても感銘を受けるものでした。機会があれば、多くの人に読んで頂きたいと思います。。
引用ここからーー
開催初日は朝早くから多くの方にお集まりいただいて、会場の設営をしていただきました。祭壇を設置して、お花やフルーツやお菓子を祭壇に美しくお供えしてくださる方や、先生が喉を痛めずにお話しできるようにとの配慮から、加湿器を持って来てくれた方。先生が快適に座れるようにとの配慮のもとで、美しく整えられた教卓。マイクの音響は、みんなが聞きやすいよう音量調整をしてくださる方。密にならないようにと配慮をしながら、安心してみんなが座れるように設置された椅子。みんなの机もひとつひとつきれいに拭いてくださった方もいます。アンナダーナのお名前をホワイトボードに毎回記入してくださる方。窓側の方は教室の換気にも努めてくださいました。中会議室のポットに、毎回、水を補充してくれる方。中会議室でみんなが向かい合って顔が見えるようにと、机を向かい合わせにしてくれた方もいます。事前に全員分の時間割を印刷してくれた方。ギーター15章の後にチャンティングするシュローカを、全員分印刷してきてくれた方。教室内の備品を、100円ショップに買いに行ってくださり準備してくれた方。広告の紙で入れ物を作ったものを持って来てくれた方。クラスが始まる5分前には必ず着席していて、ギーターディヤーナムのチャンティングを毎回リードしてくださる方もいました。お昼ご飯を取りに行き、配布してくれる方。お供え物のおさがりを全員分袋に詰めてくれる方。相談室のカギの返却・中会議室のカギ閉め。ペットボトルやお菓子の大袋などのかさばるゴミを持ち帰りしてくださる方。忘れ物の履物を梱包して配送をしてくれると申し出てくれた方。ここには書ききれないほどのことを、皆さんが率先してお手伝いいただき、真実を知りたいとの思いのもと滞りなく全てのクラスが受けられるように、との一心で皆さんご協力してくださったと思っています。
また、毎日、全員分の和菓子をお供え物として持ってきてくださった方もいます。朝早めに家を出て、ご家族の協力のもと車でお店に行き、その後、会場まで和菓子を持ってきてくださいました。朝ごはんを食べていない方のためにとの配慮から、いなり寿司やかんぴょう巻きまでもお持ちくださり、おかげで手作りの出来立てほやほやの美味しい朝ごはんを連日いただくことができました。(毎日の和菓子もいなり寿司等も参加者個人の方からのお供えものになります。)また、最終日のクラス終了後に先生から参加者全員に一つ一つお渡しいただいたお菓子の詰め合わせのギフトボックスは、別の参加者の方、個人からのお供え物になります。原材料からこだわって丁寧に作られた心のこもったギフトボックスを、なんと全員分準備してくださいました。箱にはリボンがかけられて、箱の上にはお供え物の美しいお花がのせられていました。勉強会に参加するみんなのことを考えて準備いただいたこと、その方の細やかな心配りとあらゆるものに対する丁寧さと心配りが、箱からもお菓子からもにじみ出ていました。こんなにも丁寧にみんなのために準備していただけるなんて、そのお気持ちに本当に感動しました。
私が知っている以外のところでも常に誰かが勉強会がスムーズにいくようにと全体のことを考えて動いていて、そのような皆さんの協力のおかげで無事にギーター第13章を集中して学ぶ環境が作られ維持されながら、全日程を終えることができました。
私自身、主催者をやらせてもらってから気づいたことなのですが、またもや共有させてください。(長いです。)
最初は、主催者の役割からみんなのためにと思ってやっていたこともありましたが、好き嫌いの判断基準ではなく、その時その状況で自分ができるベストな行いは何か。と常に考えて行いを続けていくことで、こんなこともできるんじゃないか、あんなこともできるかもしれない。と思うようになっていって、できることを些細なことから少しずつ広げていってみると、次第に自分の大きさにも気づくことになっていって。そのうちに、みんなから切り離されていた不安な個人という自己認識から、自分自身がすでにみんなの方に含まれていたという事実をも認識させてもらう機会になっていきました。満たされない不足感いっぱいの気持ちによって常に何かいいことはないかと欲しがる消費者目線から、このような勉強会やインドキャンプのセーヴァーやアンナダーナの機会を通して、自分の伸びしろをどんどん発見させてもらう機会を与えてもらい、自分にも何かできることはないか、とそっちに意識を向けて考えることのできるブッディを養わせてもらう機会を、主催者という役割を通して経験させてもらいました。(初めてインドキャンプに参加した時には何をどのようにセーヴァーしたらいいのかわからなかったのですが、以前キャンプに参加した方や勉強を続けている方のセーヴァーを一緒に手伝わせてもらうなどして、学ばせてもらいました。勉強会の主催についても、以前主催をされた方に手とり足とり教えていただいたおかげで、こうしてやらせてもらえています。)
引用ここまでーー
いつも参加者からの捧げものでいっぱいの祭壇。 クラスの終わりにプラサーダ(神様からのおさがり)として皆さんで分配されます。 |
参加者が何の心配もなく勉強出来るよう、 皆さんが休憩コーナーを常に食べ物と温かいお湯で満たしてくださっていました。 |
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最終日の祭壇 |
お昼ごはんを作ってくださっているベジキッチンでお手伝いされている 近所の親切なインド人の方からの大量のバナナのお供えものがあった日の祭壇。 |
飯能の生徒さんが参加者の人数分以上に作って捧げてくださっていた、
ヴィーガンのクッキー詰め合わせセットと、
毎日多くの方が持ち寄ってくださった捧げもののお花。
今回はギーターの第13章を勉強しました。
このような感じで、ギーターの全章とウパニシャッド、そしてブランマスートラも、生きている間に残された時間で、マックスに勉強していけたらと願います。。
尚、私のクラスでは全てそうしていますが、いただいたダクシナーは、皆さんがより勉強を続けて行きやすい環境が実現し続けますように、という願いを込めて、インドのアシュラムやグルクラムはもちろん、私がお世話になっている先生方や、インドの伝統文化や価値観を守るための活動をしている団体への寄付に充てています。
皆が安心して、目いっぱい勉強できる環境に、恵まれ続けますように。。
शुभं भूयात् ।