ヴェーダーンタの伝統を知り、それを正しく教えられる先生は、
聞いている「あなた」がグレートであると、
言葉の使い方にグレートなケアをしながら教えられる先生です。
プージャ・スワミジは、伝統的でない教えのことを、
「ケアの無い教え方」と定義しておられました。
聴く人の既成概念を否定できないどころか、間違った既成概念を植え付けるような教え方のことです。
自分のことを『俺は悟ったんだ、グレートだ』と宣伝して、自分のフォロワーは自分ほどグレートでは無いという前提のもとに、そのようなグレートなアイドルを必要してる「フォロワー・サイコロジー」にしがみついている「先生もどき」は、世の中に多くいるということは、この前のクラスの質問からもよく分かったと思います。。
自分がつまらない存在であることの解決を、自分の認識の間違いに見つけようとせずに、自分以外のグレートな存在にフォローすることで救ってもらおうとしているから、『自分はグレートだ』と謳う先生や宗教を必要とするのです。
そして、そのような生徒の存在を必要としている精神的に自立出来ていない心の成長の無い人間が、『俺はグレートだ』と宣伝するのです。
知るということを、何か特別な到達すべき『状態』『ステージ』『悟り、解脱、エンライトメント?』だと勝手な思い込みをしている人は多いですが、そのような認識を根気よくあの手この手で否定するのが先生の仕事です。
しかし、世間一般では、生徒に『自分はダメで、先生はグレート』という認識を植え付ける先生「もどき」の方が大多数であるのが現実です。私が受ける質問の多くは、この現実を反映しています。
(そもそも、質問の多くは、クラスで聴いた話とは別に、どこかで聞いたり読んだりした話をごっちゃにしようとして辻褄が合わなくなって混乱したところから来ています。)
『自分こそがそのステージに達したものだ、偉いんだゾ』と宣伝している人がいるのは勝手ですし、そのような人にホイホイとついて行って真面目に話を聞いて鵜呑みにするのも自由ですが、私がいつもお話しているヴェーダーンタのクラスとごっちゃにしても、もともとの混乱を混乱だったと認めて手放さない限り、混乱した土台の上に何を積み重ねても混乱しかありません。
以前のブログにも書きましたが、スワミジのお言葉の引用です。
I tell you one secret.
A guru is one, who is not great, (but) who makes you see your greatness.
「秘密を教えましょう。グルとは、グレートな人ではなく、あなたがグレートであることを見せてくれる人です。」
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「スゴイ先生探し」をしている人は多いですが、自分が探していたのは、「本当はスゴイ、本当の自分」だった、
と教えてくれる先生に出会い、その教えを理解しなければなりません。