リシケシの商店の入り口には路上牛さん達に提供する水が置かれてあります。 |
普通の宗教の教えは、世界制覇・統合を目標とした「組織」のためにありますが、
ヴェーダは、自分というひとりの「個人」が人間として成長し、
幸せの意味を理解するための「知識」を教えるためにあります。
自分自身が、人間として生きることの意味についての知識に明るくなく、
幸せの意味について混乱したままでは、
他人が幸せになることをうまく手伝うことはできませんし、
社会がどうなれば良くなるのか、なんてことも分かりません。
まさに、混乱が混乱を生むだけです。
それが、ほかならぬ、サムサーラと呼ばれる人間社会。。。
人を助けたい、社会を良くしたい、と願うことの出来る人、
それを行動に移すことが出来る資質を持った人こそ、
ヴェーダをゆっくりじっくり勉強する機会に恵まれれば、と祈っております。
ヴェーダ、ヴェーダーンタは伝統に沿ってきちんと学んでくださいね。
ネット等で見聞きされる、タマスな思考を通したヴェーダの解釈は、
混乱が混乱を招くだけなので、気を付けてください。。
追記:
「タマスな思考を通したヴェーダの解釈」とはどういうことか?
という質問をいただいたので、以下のように回答しました。
タマスな思考を通したヴェーダの解釈とは:
ヒンドゥーを批判して植民地化したり改宗したい人達による、
あらさがしをするためのヴェーダの研究や、
真摯にヴェーダの意味を知りたくても、
グレースの足りなさと元々ある無知と混乱のせいで、
伝統の教えに出会えずに的外れな解釈にもとづく研究、
などなど、つまり、ネットや本屋やヨガのクラスで聞かされる、
的外れな解釈のことです。
もっと分かりやすく言うと、伝統的な手法に沿ったCareのある教え以外のもの全てです。
自分で見分けるには、まず自分が伝統的な手法に沿って学んでみて、
ヴェーダのヴィジョンが明らかになれなければ、見分けは付きませんよね。
プージャ・スワミジの直弟子さんのところならまず間違いはないでしょうから、
そこでしっかり伝統的手法に沿った教えを聴いていれば大丈夫です。
せっかく授かった伝統的な教えを、ネットの情報や日本語の訳本やヨガのクラスで聞かされたいろいろと、理解をこじつけようとして、ごっちゃにしてしまうと、本当に台無しになってしまいます。
ヴェーダーンタの教えに確信が持てないと悩んでいる人の話を聴くと、殆どの場合は、ヨガのクラスや本屋ウェブで見聞きした話とごっちゃにしようとしていて、辻褄が合わなくなって困っている、というパターンですね。。