私はかれこれ通算20年くらいは外国で生活しています。つまり、成人してから殆どの期間は日本国外にいるわけですが、
「ジャパン・イズ・ナンバーワン!」なんてこと、
観光客目当てのおじさんくらいにしか言われたことないですね。
そんなことを言われるような話の流れって、言葉があんまり通じてないのが前提では?
私の存在感は見るからに、そんな慰めの言葉を必要としていませんし、
私のサンスクリット語に関する経歴に関して、たまに
「さすが日本人は勤勉だね」と言われることもありますが、
「私を他人と同じにしないで!私は典型的な日本人じゃないから、
日本からはみだしちゃって、ここでこんなことしているのよ!」
と目上の人にだってきっぱりと言います、私は。
国籍や性別で一括りにされて、個人を見ようとしない姿勢が、
私は好きではありません。
外国に行ったら、「ジャパン・イズ・ナンバーワン!」って褒められた、
とか、「みんな日本人のこと好きみたいでした。日本って特別なんですね」とか、
日本SUGEE!という自尊心を外国から得た、
という感じのコメントをたまに聞かされます。
私から言わせてもらうと、そうかな?そんなことどうでもいいでしょ?
という感じですね。
正直、褒めてもらったとか子供みたいに嬉しがっていないで、
せっかく日本の外に出たのだから、その国のことをもっと知るように、
もっと語学力を磨いて、もっと深く人々を知って、その国の良いところを知って、
学んで帰って、そうやって日本や世界を良くしていけばいいのに、と思います。
私は帰国子女でも何でもないので、
大阪弁訛り?の英語+インドで鍛えられたマシンガントーク術で、
だいたい言うべきことは言えるので、
言語の壁でコミュニケーションできないフラストレーションはあまり無いですし、
(日本語でも英語でも、大阪人なりに周りに気を遣っていないふりして気を遣っているから、言いたいことをいつでも言っているわけではない、という衝撃の事実は、非大阪人には理解してもらえませんが。言いたいことを言うのではなく、言うべきことを言うのです!これば大阪人にもヴェーダの文化にも共通する美学。)
どちらかというと、人の話を聴く方、というか、
初めてあった人にいきなり本音トークをされる方でです。
昔から今まで、初めてあったような人から、長年の知り合いまで、
いろんな国の人の、いろんな立場の人から、
うわさ話や愚痴・悪口、悩みごとや政治議論まで、本音トークを、
親身になって聴くのが、私の当たり前の日常となっています。
聴いている話は、はっきり言って聞こえの良い話ではなく、
人間のドロドロした面に関する話を聴く機会に恵まれている訳ですが、
私はには苦になりません。まんざらでもない、という感じ。
人々の声に傾聴しているだけで、その人の役には立つし、
その経験は、後の傾聴で共感しやすくなる肥やしになると思うし、
日々の、世界の皆の調和と幸せの祈りがより的確になるように、
反映されていると思います。
外国生活のうちの通算3年くらいは、バックパッカーで70か国旅していた時期です。
世界放浪の旅といえば、沢木耕太郎の「深夜特急」が日本人パッカーの「バイブル」らしいですが、私のカップオブティーじゃないですね。
ちょっと読んだだけで、もうダメ、となります。
なぜかというと、主人公の語学力の無さ、というか、
コミュニケーション力の無さにイラついて、共感できないからです。
主人公と同じようにコミュニケーションができない人たちには共感できるのでしょうかね。
外国で何が起きたのか、起きているのか、調べればそれなりの情報は得られますが、
それはそれとして、でも、現地の人はどう見ているのか?という実際の本音トークが、
揺るぎのない事実であって、私の国際感覚(ほんとダサい言葉)というものは、
そいういう一次情報を土台として出来ています。
別に統計を取ったり学者になろうとしているわけではないですしね。
外国でちょっと垣間見たことを、後で日本語メディアで調べて納得する、というパターンは勿体ないし危険ですらあると思います。
先に知っていた情報を覆すくらいの変革が日々世界中で起きている訳ですから!
人間一人一人の感覚は、学者の研究論文には反映されません。
ググってでてくるWikiな情報は、本当に当てにならない。
最近の日本の若い人は、話していると、SNSで出てくるネタ情報ばっかりの人がいて、
心配になります。
「ジャパン・イズ・ナンバーワン!」なんてこと、
観光客目当てのおじさんくらいにしか言われたことないですね。
そんなことを言われるような話の流れって、言葉があんまり通じてないのが前提では?
私の存在感は見るからに、そんな慰めの言葉を必要としていませんし、
私のサンスクリット語に関する経歴に関して、たまに
「さすが日本人は勤勉だね」と言われることもありますが、
「私を他人と同じにしないで!私は典型的な日本人じゃないから、
日本からはみだしちゃって、ここでこんなことしているのよ!」
と目上の人にだってきっぱりと言います、私は。
国籍や性別で一括りにされて、個人を見ようとしない姿勢が、
私は好きではありません。
外国に行ったら、「ジャパン・イズ・ナンバーワン!」って褒められた、
とか、「みんな日本人のこと好きみたいでした。日本って特別なんですね」とか、
日本SUGEE!という自尊心を外国から得た、
という感じのコメントをたまに聞かされます。
私から言わせてもらうと、そうかな?そんなことどうでもいいでしょ?
という感じですね。
正直、褒めてもらったとか子供みたいに嬉しがっていないで、
せっかく日本の外に出たのだから、その国のことをもっと知るように、
もっと語学力を磨いて、もっと深く人々を知って、その国の良いところを知って、
学んで帰って、そうやって日本や世界を良くしていけばいいのに、と思います。
私は帰国子女でも何でもないので、
大阪弁訛り?の英語+インドで鍛えられたマシンガントーク術で、
だいたい言うべきことは言えるので、
言語の壁でコミュニケーションできないフラストレーションはあまり無いですし、
(日本語でも英語でも、大阪人なりに周りに気を遣っていないふりして気を遣っているから、言いたいことをいつでも言っているわけではない、という衝撃の事実は、非大阪人には理解してもらえませんが。言いたいことを言うのではなく、言うべきことを言うのです!これば大阪人にもヴェーダの文化にも共通する美学。)
どちらかというと、人の話を聴く方、というか、
初めてあった人にいきなり本音トークをされる方でです。
昔から今まで、初めてあったような人から、長年の知り合いまで、
いろんな国の人の、いろんな立場の人から、
うわさ話や愚痴・悪口、悩みごとや政治議論まで、本音トークを、
親身になって聴くのが、私の当たり前の日常となっています。
聴いている話は、はっきり言って聞こえの良い話ではなく、
人間のドロドロした面に関する話を聴く機会に恵まれている訳ですが、
私はには苦になりません。まんざらでもない、という感じ。
人々の声に傾聴しているだけで、その人の役には立つし、
その経験は、後の傾聴で共感しやすくなる肥やしになると思うし、
日々の、世界の皆の調和と幸せの祈りがより的確になるように、
反映されていると思います。
外国生活のうちの通算3年くらいは、バックパッカーで70か国旅していた時期です。
世界放浪の旅といえば、沢木耕太郎の「深夜特急」が日本人パッカーの「バイブル」らしいですが、私のカップオブティーじゃないですね。
ちょっと読んだだけで、もうダメ、となります。
なぜかというと、主人公の語学力の無さ、というか、
コミュニケーション力の無さにイラついて、共感できないからです。
主人公と同じようにコミュニケーションができない人たちには共感できるのでしょうかね。
外国で何が起きたのか、起きているのか、調べればそれなりの情報は得られますが、
それはそれとして、でも、現地の人はどう見ているのか?という実際の本音トークが、
揺るぎのない事実であって、私の国際感覚(ほんとダサい言葉)というものは、
そいういう一次情報を土台として出来ています。
別に統計を取ったり学者になろうとしているわけではないですしね。
外国でちょっと垣間見たことを、後で日本語メディアで調べて納得する、というパターンは勿体ないし危険ですらあると思います。
先に知っていた情報を覆すくらいの変革が日々世界中で起きている訳ですから!
人間一人一人の感覚は、学者の研究論文には反映されません。
ググってでてくるWikiな情報は、本当に当てにならない。
最近の日本の若い人は、話していると、SNSで出てくるネタ情報ばっかりの人がいて、
心配になります。