バガヴァッドギーター・ホームスタディコース第5巻154ページより
スワミジの英語のティーチングの一部を訳してみました。
スワミジの言葉は本質を明確に表しているので、こうやって書き留めたくなることが毎日あります。
If you analyse what a chair is, you find that the chair does not have any existence of its own; only the wood out of which the chair is made has an existence.
椅子とは何かを分析すると、椅子というものはそれ自体の存在を持っていないことが分かります。そこから椅子が造られた、木材が存在を持っています。
And, if you analyse the wood, you find that it also has no existence; only the pulp from which the wood is made has existence.
そして、木材を分析すると、それ自体が存在を持っていないことが分かります。木材を構成している繊維のみが存在を持っています。
Similarly, the particles that form the pulp has existence, whereas the pulp does not.
同様に、繊維を構成している素粒子が存在を持っていて、繊維は存在を持っていません。
If you keep on shifting in this way, you find that existence always remains.
このように(視点を)シフトし続けると、存在が常に在り続けることに気付きます。
Only that which is self-existent can be called existence, satya, which is nothing but consciousness, caitanya.
それ自体で独立して存在するもののみが、存在(サッティヤ)と呼ぶことができます。その存在とは意識(チャイタニヤ)に他なりません。
Consciousness alone is self-evident and everything else is evident to the self.
意識のみが明白な存在であり、それ以外の全ては、意識に対して明白になる存在です。
スワミジの英語のティーチングの一部を訳してみました。
スワミジの言葉は本質を明確に表しているので、こうやって書き留めたくなることが毎日あります。
If you analyse what a chair is, you find that the chair does not have any existence of its own; only the wood out of which the chair is made has an existence.
椅子とは何かを分析すると、椅子というものはそれ自体の存在を持っていないことが分かります。そこから椅子が造られた、木材が存在を持っています。
And, if you analyse the wood, you find that it also has no existence; only the pulp from which the wood is made has existence.
そして、木材を分析すると、それ自体が存在を持っていないことが分かります。木材を構成している繊維のみが存在を持っています。
Similarly, the particles that form the pulp has existence, whereas the pulp does not.
同様に、繊維を構成している素粒子が存在を持っていて、繊維は存在を持っていません。
If you keep on shifting in this way, you find that existence always remains.
このように(視点を)シフトし続けると、存在が常に在り続けることに気付きます。
Only that which is self-existent can be called existence, satya, which is nothing but consciousness, caitanya.
それ自体で独立して存在するもののみが、存在(サッティヤ)と呼ぶことができます。その存在とは意識(チャイタニヤ)に他なりません。
Consciousness alone is self-evident and everything else is evident to the self.
意識のみが明白な存在であり、それ以外の全ては、意識に対して明白になる存在です。