ヴェーダーンタはどんな人の為にあるのか?
全ての人の為にあります。
毎日忙しく働いている中で、少し立ち止まって見て、
何の為に頑張っているのか、そもそも頑張っているのは誰なのか、
真正面から正直に考える準備の出来ている人の為にあります。
ゴールなんて人それぞれ、
自分の意味なんて、それこそ人間の数だけあるじゃない、
と普通の人は思って、そこで思考はストップしますが、
あと5秒だけ考えてみてください。
ゴールも自分の意味も人それぞれ千差万別、
あなたのゴールは私のゴールと違うし、
あなたの自分という意味と私の自分という意味は違うもののはずなのに、
どうして今、
「ゴール」という言葉で、
「自分」という言葉で、
ゴールや自分を認識できたのでしょうか?
私は私という意味で「自分」という言葉を使ったのに、
あなたは私という意味ではなく、あなたという自分の意味で、
「自分」を認識しましたね?
なぜでしょうか?
あなたと私の中で、何が共通しているのでしょうか?
これは、あなたと私の間だけではなく、
どの国でも、どの時代でも関係なく、
職業や、性別や、国籍や、宗教や、
価値観や、思想なども関係なく、
「ゴール」や「自分」という認識は、
それとして共通して認識されています。
この、全人類にのみならず、全生き物、
それらも超越して、
全存在に普遍に共通する、「自分」って何?
(と、もう「ゴール」まで来てしまったようなもの。。)
ということを真正面から根本的に問い直すのが、
ヴェーダーンタの勉強です。
(なぜここに来てまで「勉強」という言葉を使うのかは、
勉強していくうちに分かります。)
しかし普通の人は、「自分」や「ゴール」に付随している、
あれこれ多様な属性の違いばかりに目が行って、
人それぞれ!違いを認める!多様性!と言い続けて、
自分の本質を見逃したまま、一生を終えるのです。
自分の本質を見逃したまま、一生を終えるのです。
多様性を多様性として認識できるのは、
不変で普遍な自分がいるからです。
多様性の一部としての自分ではなく、
不変で普遍な本当の自分の話をしているのです。
何となく分かってきました?
ここまで考えるのに何秒かかりましたか?
何分かかかったかも知れません。
しかし、たったそれだけの時間を惜しみながら、
人間は皆、一生を終えるのです。
文字通り自分を見失いながら、
自分以外のものを見て、自分以外のものを追いかけながら。。
ヴェーダーンタに必要なのは、ただただ客観的な思考能力のみです。
客観的な思考は、自分の好き嫌いや、既成概念に染められ、
歪められてしまっています。
とくにヨガ等の哲学や変なスピリチュアリティーの主観性に染められていると、
どんどんヴェーダーンタは難しくなっていまいます。
今まで積み上げて来た思考の歪みを、客観性によって、ひとつひとつ取り除いていける、
オープンさ、正直さ、勇気を持っている人の為に、
ヴェーダーンタはあります。