今日歯医者さんで、糸切り歯が出っ張っていることの意味を教えてもらったので、
バリでは成人の儀式で犬歯を削るんですよ~という話を教えてあげたら、
「宗教って怖いですね~!」という反応が。。
バリヒンドゥーの人達は全く怖い人達じゃないし、
それどころか、めっちゃシャーンティな方達なので、
宗教だからという理由だけで「怖いですね~」と同調するのはできないな、
と思っていると、なんだか気まずい沈黙になってしまい。。
そんな中、気遣っていただいたのか、
「そういえば、ベジタリアンなんですよね?」
という別の話題を振ってもらうのだけど、
宗教つながりでベジタリアンか?と勘ぐってしまう。
私がベジタリアンになったきっかけは、
「動物を殺してまで、自分は食べ物を貪る必要は無い」
という、人間として当たり前の理性によるものですが、
もうちょっと分かり易い短い言葉でいうと、
「環境にやさしいから」ということになる。
ヒンドゥー教のベジタリアンも、全く同じ考えなので、
それを宗教的な理由としても、全く同じことなのだけど、
まぁ、普通の日本人の知識では誤解されるだけでしょうから。。
「アメリカにいた頃の論文の書き方の先生が、
ベジタリアンと環境の関係について話してくれて、、
もともと嫌いだったのが始まりですけど」
と、正直かつ分かり易い説明にしておきました。
その後私が、
「一度処置したら絶対虫歯になったり欠けたりしない
歯の薬を開発するのって、そう難しいことではないのでは?」
という質問をすると、
「そんなのあっても絶対揉み消されます!
歯医者もそれに関わる人も仕事がなくなってしまいますから!」
という、経済至上主義的お約束なお返事。
でもさ、そっちの方が怖くないですか?
これはもちろん、歯医者さんに限ったことではなく、
世の中の産業全てに言えることです。
私の通っている歯医者さんはとってもいい人達なので、
たとえ例え話でも、こんなことを書くのは嫌ですが、
より多くの歯を削ってより多くのお金を稼ぐのは、
歯医者としては、経済的には、それで成功なのだけど、
人間として成功したと言えるのか?
より多くの人間が、歯の問題なんかに関わらない方が、
患者の時間も、医者の時間も、無駄にしなくて済むのに?
でもそれって、金儲け以上の「何か」に価値観を見出している人にしか言えないことです。
不必要にに需要をつくり、不必要な消費をさせ、
そのために不必要な時間と労力を使って、不必要に稼いだお金で、
不必要な消費をしているのが、あなたたちの幸せの形なの?
不必要だらけなら、人生の大切な限りある時間と労力を、
本当に必要なことに使えていない、ということですよね?
生存すること以上のもので、 何が不必要で、
何が本当に人間として大切なものか、分別がついていますか?
もう、何が必要で、何が無くてもいいものなのか、
そこの分別も失なわれているようです、思考ストップ型現代社会の価値観は。。。
人間、本当の意味で進化したら、
本当に人間にとって大事なことを見つけ、
経済は単なる手段に過ぎず、
経済活動に費やす時間も労力も資源も、ミニマムにすることを善しとするはずです。
本来なら知識人がそのような価値観を提唱して、
政治・経済・民衆を引率するべきなのですが。。。
本当に怖い価値観、本当に怖い宗教って、
現代社会の「当たり前」として、国や企業からプロパゲートされている、
価値観・ライフスタイルではないでしょうか?
もっと怖いのは、この「当たり前」を疑おうとしない、
考えない、考えられない、思考ストップ脳です。
せっかく素晴らしい可能性を持った思考力を与えられているのに、
それを理性的にきちんと使えなくさせられているのが、いわゆる洗脳です。
知性を使っていても、理性を意識して使っていなければ、
人間として生まれた意味がない。
ヴェーダの言葉でいうと、
アルタとカーマのふたつしか無い価値観です。
人間が人間として、良心という言葉の意味として、
本来知っているはずの、ダルマという価値観も、
ダルマという価値観の価値を教えられる大きなヴィジョンが無い限り、
アルタとカーマのトレード・オフで、いとも簡単に妥協されてしまいます。
それが日本のスタンダードであり、
つまり世界の「先進国」 とやらのスタンダードなのです。
アルタとカーマのみを追求して自滅への道を闊歩している面では先進国ですね。
バリでは成人の儀式で犬歯を削るんですよ~という話を教えてあげたら、
「宗教って怖いですね~!」という反応が。。
バリヒンドゥーの人達は全く怖い人達じゃないし、
それどころか、めっちゃシャーンティな方達なので、
宗教だからという理由だけで「怖いですね~」と同調するのはできないな、
と思っていると、なんだか気まずい沈黙になってしまい。。
そんな中、気遣っていただいたのか、
「そういえば、ベジタリアンなんですよね?」
という別の話題を振ってもらうのだけど、
宗教つながりでベジタリアンか?と勘ぐってしまう。
私がベジタリアンになったきっかけは、
「動物を殺してまで、自分は食べ物を貪る必要は無い」
という、人間として当たり前の理性によるものですが、
もうちょっと分かり易い短い言葉でいうと、
「環境にやさしいから」ということになる。
ヒンドゥー教のベジタリアンも、全く同じ考えなので、
それを宗教的な理由としても、全く同じことなのだけど、
まぁ、普通の日本人の知識では誤解されるだけでしょうから。。
「アメリカにいた頃の論文の書き方の先生が、
ベジタリアンと環境の関係について話してくれて、、
もともと嫌いだったのが始まりですけど」
と、正直かつ分かり易い説明にしておきました。
その後私が、
「一度処置したら絶対虫歯になったり欠けたりしない
歯の薬を開発するのって、そう難しいことではないのでは?」
という質問をすると、
「そんなのあっても絶対揉み消されます!
歯医者もそれに関わる人も仕事がなくなってしまいますから!」
という、経済至上主義的お約束なお返事。
でもさ、そっちの方が怖くないですか?
これはもちろん、歯医者さんに限ったことではなく、
世の中の産業全てに言えることです。
私の通っている歯医者さんはとってもいい人達なので、
たとえ例え話でも、こんなことを書くのは嫌ですが、
より多くの歯を削ってより多くのお金を稼ぐのは、
歯医者としては、経済的には、それで成功なのだけど、
人間として成功したと言えるのか?
より多くの人間が、歯の問題なんかに関わらない方が、
患者の時間も、医者の時間も、無駄にしなくて済むのに?
でもそれって、金儲け以上の「何か」に価値観を見出している人にしか言えないことです。
不必要にに需要をつくり、不必要な消費をさせ、
そのために不必要な時間と労力を使って、不必要に稼いだお金で、
不必要な消費をしているのが、あなたたちの幸せの形なの?
不必要だらけなら、人生の大切な限りある時間と労力を、
本当に必要なことに使えていない、ということですよね?
生存すること以上のもので、 何が不必要で、
何が本当に人間として大切なものか、分別がついていますか?
もう、何が必要で、何が無くてもいいものなのか、
そこの分別も失なわれているようです、思考ストップ型現代社会の価値観は。。。
人間、本当の意味で進化したら、
本当に人間にとって大事なことを見つけ、
経済は単なる手段に過ぎず、
経済活動に費やす時間も労力も資源も、ミニマムにすることを善しとするはずです。
本来なら知識人がそのような価値観を提唱して、
政治・経済・民衆を引率するべきなのですが。。。
本当に怖い価値観、本当に怖い宗教って、
現代社会の「当たり前」として、国や企業からプロパゲートされている、
価値観・ライフスタイルではないでしょうか?
もっと怖いのは、この「当たり前」を疑おうとしない、
考えない、考えられない、思考ストップ脳です。
せっかく素晴らしい可能性を持った思考力を与えられているのに、
それを理性的にきちんと使えなくさせられているのが、いわゆる洗脳です。
知性を使っていても、理性を意識して使っていなければ、
人間として生まれた意味がない。
ヴェーダの言葉でいうと、
アルタとカーマのふたつしか無い価値観です。
人間が人間として、良心という言葉の意味として、
本来知っているはずの、ダルマという価値観も、
ダルマという価値観の価値を教えられる大きなヴィジョンが無い限り、
アルタとカーマのトレード・オフで、いとも簡単に妥協されてしまいます。
それが日本のスタンダードであり、
つまり世界の「先進国」 とやらのスタンダードなのです。
アルタとカーマのみを追求して自滅への道を闊歩している面では先進国ですね。