回答:
無くても大丈夫です。
サンスクリット語は、原文の語順に頼らなくても、
1)名詞の格を頼りに、
2)全体の意味を知っている先生を頼りに、
文章の中の単語をつなげて理解すること(アンヴァヤ)ができます。
日本語でも、単語の順序がある程度バラバラでも、
一つの文章としてまとまって理解することができますね。
それと同じことです。
例えば:
私は 昨日 カレーを 食べた。
昨日 私は カレーを 食べた。
昨日 カレーを 私は 食べた。
カレーを 昨日 私は 食べた。
カレーを 私は 昨日 食べた。
全部同じ状況を表していますね。感じ方に差は生じますが。
「食べた」も、どこにあっても、意味は通じますが、
一番後ろにないと、不自然な文章になりますね。
サンスクリット語の場合は、動詞の「食べた」がどこに来ても大丈夫ですが、
それでもやっぱり、分かり易い語順というものがある。
読みやすい語順に並べ替えることを、アンヴァヤと言います。
その語順は、日本語の自然な語順と、ほぼ同じです。
良かったですね。
これは、日本語を母語とする人が、サンスクリット語を勉強する上での、
唯一のアドヴァンテージだと思います。
ヒンディーやタミルなどのインド語の多くも、語順の並び方は同じだそうです。
西欧言語を母語とする人には、語順というものが文章読解の命綱です。
しかし、アンヴァヤに使われる語順は、自分たちの慣れている語順とは違うから、
アンヴァヤに使われる語順をいちから学びなおさないといけなくなるのです。
ゆえに、西欧言語を母語とする人たちにアンヴァヤを教えるのは大変ですが、
日本人やインド人にアンヴァヤを教える時には、ほぼ何も説明しなくて済むので、
学習者にも教える側にも、都合が良いです。
サンスクリット語の散文は、ほとんどアンヴァヤが要りませんが、
韻文の場合はアンヴァヤが無ければ理解不可能、というものは少なくありません。
特に、
同格同数の名詞が多くある場合、それらの名詞間の関係を読み解かなければならない。
例えば、形容詞と形容されている名詞の関係や、因果関係(AゆえにB,ゆえにC)など。
また、動名詞にはそれぞれの名詞がつながるので、アンヴァヤが必要。
例えば、「母が 作った カレーを、お父さんが 作った スプーンで テレビを 見ながら 食べた。」 のような場合、どの名詞がどの行動に繋げるかが、アンヴァヤによって変わってきますね。
「お父さんが スプーンで 作った テレビを 食べた」のようにならないためにも、正しいアンヴァヤが必要です。
無くても大丈夫です。
サンスクリット語は、原文の語順に頼らなくても、
1)名詞の格を頼りに、
2)全体の意味を知っている先生を頼りに、
文章の中の単語をつなげて理解すること(アンヴァヤ)ができます。
日本語でも、単語の順序がある程度バラバラでも、
一つの文章としてまとまって理解することができますね。
それと同じことです。
例えば:
私は 昨日 カレーを 食べた。
昨日 私は カレーを 食べた。
昨日 カレーを 私は 食べた。
カレーを 昨日 私は 食べた。
カレーを 私は 昨日 食べた。
全部同じ状況を表していますね。感じ方に差は生じますが。
「食べた」も、どこにあっても、意味は通じますが、
一番後ろにないと、不自然な文章になりますね。
サンスクリット語の場合は、動詞の「食べた」がどこに来ても大丈夫ですが、
それでもやっぱり、分かり易い語順というものがある。
読みやすい語順に並べ替えることを、アンヴァヤと言います。
その語順は、日本語の自然な語順と、ほぼ同じです。
良かったですね。
これは、日本語を母語とする人が、サンスクリット語を勉強する上での、
唯一のアドヴァンテージだと思います。
ヒンディーやタミルなどのインド語の多くも、語順の並び方は同じだそうです。
西欧言語を母語とする人には、語順というものが文章読解の命綱です。
しかし、アンヴァヤに使われる語順は、自分たちの慣れている語順とは違うから、
アンヴァヤに使われる語順をいちから学びなおさないといけなくなるのです。
ゆえに、西欧言語を母語とする人たちにアンヴァヤを教えるのは大変ですが、
日本人やインド人にアンヴァヤを教える時には、ほぼ何も説明しなくて済むので、
学習者にも教える側にも、都合が良いです。
サンスクリット語の散文は、ほとんどアンヴァヤが要りませんが、
韻文の場合はアンヴァヤが無ければ理解不可能、というものは少なくありません。
特に、
同格同数の名詞が多くある場合、それらの名詞間の関係を読み解かなければならない。
例えば、形容詞と形容されている名詞の関係や、因果関係(AゆえにB,ゆえにC)など。
また、動名詞にはそれぞれの名詞がつながるので、アンヴァヤが必要。
例えば、「母が 作った カレーを、お父さんが 作った スプーンで テレビを 見ながら 食べた。」 のような場合、どの名詞がどの行動に繋げるかが、アンヴァヤによって変わってきますね。
「お父さんが スプーンで 作った テレビを 食べた」のようにならないためにも、正しいアンヴァヤが必要です。