タットヴァボーダというサンスクリット語の小さな文献は、ヴェーダーンタ(ウパニシャッド)の全体像を掴むのに適した入門書として教えられています。
タットヴァボーダで使われる語彙やその定義は全て、これからのヴェーダーンタの理解に役立つものばかりです。さらに、全体像のマッピングをするのにも適した紹介の方法になっています。「タット」とは、「それ」という、あらゆる全てのものに対して使える万能な代名詞です。「トヴァ」とは、「~であること」という意味。
あらゆる全てのものが、それとしてあること、その本質。
それの「ボーダ(知識)」が、「タットヴァ・ボーダ(全ての本質の知識)」です。
そもそも、それを知ることと、自分の幸せにどう関係があるのか?
タットヴァボーダを勉強する前に、そこをはっきりしなければなりません。
ヴェーダとは何か?人間とはどう定義できるか?幸せとは?
モークシャの可能性について、それとヴェーダとの関わり、
といったことを明らかにしておく必要があります。
(ヨガのTTCで必須だから、アーサナヨガに箔をつけるために、ヨーガを深く語るために勉強するものではありません!ヨガをやっていようがいまいが関係ありません。人間として生きていたら、誰でも、遅かれ早かれ、必然的に直面せざるを得ない「知る必要性」への答えなのです。ヨガを完成させるための綺麗なトッピングではありません。。。)
サンスクリット語は難しいという先入観を捨てて、恐れずに飛び込んでみてください。楽しく優しく手ほどきします。 |
タットヴァ・ボーダという小さな文献は、3つの部に分けて説明することができます。
1.準備の出来た人のあり方
学ぶ人の心のあり方が成長していればしているほど、その人のヴェーダーンタの学びも、より実りのあるものとなります。そのような心のあり方を学ぶことによって、日々の生活を通して得るべき心の成長とはどういったものなのか、そして何の為の心の成長なのかが明らかになります。
2.本質の分析
ここが本題です。
1)自分個人について、本質でないもの(本当に自分だと呼べないもの)と、本質(本当の自分だと呼べるもの)について (tvam)
自分の体・健康状態・持ち物・感情・認識・記憶などは全て、自分のものであって、自分ではありません。
では自分とは何か?それを知る手段として、ヴェーダーンタを使ってみるのです。
2)この世界・宇宙全体について、本質でないものと本質について (tat)
これも自分個人の場合と同様です。
特にデーヴァターの部分が重要とプージャスワミジは仰います。
ゆえに、、
3)個人である自分と、私を一個人たらしめている全てとの、同一について (asi)
という、ウパニシャッドの教えの要になります。
3.カルマと、知識を得た人とカルマの関係について
締めくくりの部分です。
結局自分はカルマから常に自由であったと理解するのがモークシャなのですから、
ここで恐怖心を煽るような教え方をしたりされたりしていたら本末転倒ですね。
プージャスワミジの心優しい教え方がいつも一番の参考になります。