ノンベジを食べようとしている時にも、
「そこまでして食べたい?」と自分自身に訊いてみて、
YesかNoか、自分の判断で決めている、
ということを自覚することが大切です。
状況のせいにしたり、科学的なデータや人の言葉を引用して正当化しようとしても、
正当化するという行為自体、間違っていることが前提なので、正当ではありません。
自分はノンベジを食べなくても十分生きながらえれるのに、
それでもノンベジを食べる行為を選んでしまう人間だ、
と自覚して、プラーヤスチッタ・カルマ(いわゆる穴埋めとして、
貢献する行為をすること)をするのがいいですね。
パンチャ・マハー・ヤッグニャ(また今度説明します。)のコンセプトも同じようなものです。
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タイトルの意味ですが、
自分の価値観の優先順位を変えていきたい、
というフレキシブルな姿勢で相談されたなら、いくらでも付き合いますが、
「自分はノンベジがどうしても食べたいから正当化しないと」
という答えが先に決まっている場合の「ノンベジ正当化論」は、
向けられても、不毛なので議論はしません。
、
ということが書きたかったのだけど、それだけでは本当に不毛なので、
生産的なことを書いてみました。