祈りとは行為なので、その意味が説明できなくても、
毎日していることに意義があります。
祈りの意味を正しく理解すること自体に、祈りが必要です。
その理解をさらに深めるには、祈りのある生活が必要です。
ゆえに、たとえ祈りの意味を知らなくても、形から入って始めることに問題はありません。
アヒムサーの実践(ベジタリアンであること等)、
ダーナ(一歩踏み出して、時間や優しさを与えること)や、
タパス(エーカーダシーなど)にも、同じことが言えます。
これらは全てカルマ(自由意思を使った行為、つまり人間が人間らしくあるための行為)なので、
知っているだけでは意味が無く、知らなくても実践していることに意義があります。
自分の本質については、既に在る事実を正しく知るだけなので、
既にあるものを実践して達成することはできず、する必要もありませんが、
それを正しく知るための準備された心は、
祈りのある生活の実践でしか成し得ません。
いつか、このお祈りの言葉の意味を教えてくれる先生に出会えますように。
いつか、この祈りの言葉の意味が、正確に、明瞭に、理解できる日がくるよう、
この祈りによって、私の心が成長しますように。
サンスクリットの祈りの言葉は、人間によって、文法に沿って、
理解されるべき意味を伝えています。