最近の日本では、「頑張らない」が合言葉になっているように見受けられます。
必要な時には必要な程度に正しい方向で頑張らないと、何も達成できないのに?
頑張ることに問題があるのではなく、
そもそも、「頑張る方向」と「頑張り方」が根本的に間違っていて、
その間違いに気づかずに頑張って消耗していることに、問題があるのです。
「でも、日本の社会では、頑張って勉強して大学に合格して、
頑張って長時間残業して、ローンで家と車を買って、頑張って、、、
という風に教育されているから、他の生き方が分からない」
というのなら、自分の考えの根底を成している社会の価値観から考え直す必要があります。
「頑張る方向」と「頑張り方」について、
立ち止まって、自分の頭で、正しく考えてみる。
世の中誰でも皆それなりに考えていて、考えていない人などいませんが、
下手の考え休むに似たりですから、
賢明で正しい考え方に導いてくれる、智慧が必要となります。
ヴェーダの教える伝統文化では、
社会のありかたとは、
「個人皆それぞれの幸せの追求」 の為のインフラを提供すること
に徹底しているので、
そのような社会での価値観において、
「今ここで自分がするべきこと」とは、
宇宙の在り方と調和していて、すなわち、
自分の幸せと社会全体の幸福度に繋がっているものです。
しかし一方で、現在の日本や世界において、社会のシステムは、
「一部の資本家に富が集中する為の仕組み」になっているので、
普通に学校に行ってテレビを見て、広告とプロパガンダに洗脳されながら、
みんなと一緒の価値観で生きていたら、
普通に思いつく、「社会人として、家庭人として、個人として、するべきこと」とは、
一部の資本家が得をすることに繋がっているのではないのか?
自分の幸せの追求に貢献しないどころか、
社会にも、あらゆる生き物にとっても、誰にとっても、良くない事なのでは?
といった疑いを持って、一から自分の頭で考え直す必要があります。
どんな言葉でもそうですが、
みんなが言っているから、そのまま自分も「頑張らない」と言ってしまうのではなく、
「本当にこれば頑張らなければならないことなのか?」
「頑張らなくていいことに、頑張ってきたのではないか?」
「その間に、頑張るべきことに、頑張らなかったのではないか?」
「今自分がするべきことは何か?それは自分も含めた全ての生き物の幸福に貢献するものか?」
「その為に、何に向かって、どの程度頑張るのか?」
といったことについて、毎日、都度都度、考える癖をつけていれば、
そもそも、変な頑張り方をして消耗・疲弊することもなくなるので、
「頑張らない」という言葉も必要なくなりますね。