先日ネット上で偶然に、偶有性(ぐうゆうせい)という言葉を発見ました。
この偶然を serendipity(セレンディピティ、偶然の幸運)と呼ぶかどうかは別として。。
ヴェーダーンタの講義の中で、スワミジは英語で、
「本質的な」を「intrinsic」という言葉で表し、
それの反対語・相対する言葉として、「incidental」という言葉を使われる。
そのまま訳すと「偶発的」となる。
これが辞書に一番に出てくる「付随する」では、
ヴェーダーンタのコンテクストはうまく伝わらない。
もうちょっと説明をつけて「その時その場所での変化するありかた」とかにしなくては。
ヴェーダーンタを市販の日本語訳を読んで「勉強してます!」というのが、
どれほど無知と混乱にまみれた結果であることか、
このようなことからも、少し垣間見れると存じます。
偶有性という言葉も、このincidentalという言葉の意味に近いな、
と思っていたら、茂木健一郎さんが愛用している言葉のようだった。
彼は、「偶有性の海に飛び込め!」とビデオまで出して発信しておられるが、
私から言わせれば、
そんなこと言われなくても、皆一様に、偶有性の海で溺れているんだって。
ってことです。
みずから偶有性の海に飛び込まなくても、
世界中を旅してまわっても、自分の部屋で引きこもっていても、
全くもって同様に、偶有性の海で溺れていることには変わりありません。
偶有性の海で表れては消える、波の形に翻弄されている。
ちなみに、敢えて「現れては」にしなかったのですよ。
偶有性の表れである、変化し続ける波や渦巻の中で、
不変である、つまり本質である水が見えているか?
本質が見えていたら、波や渦巻を鎮める必要はありません。
その本質が自分自身である。
それを知る手段が、ヴェーダーンタです。
この偶然を serendipity(セレンディピティ、偶然の幸運)と呼ぶかどうかは別として。。
ヴェーダーンタの講義の中で、スワミジは英語で、
「本質的な」を「intrinsic」という言葉で表し、
それの反対語・相対する言葉として、「incidental」という言葉を使われる。
そのまま訳すと「偶発的」となる。
これが辞書に一番に出てくる「付随する」では、
ヴェーダーンタのコンテクストはうまく伝わらない。
もうちょっと説明をつけて「その時その場所での変化するありかた」とかにしなくては。
ヴェーダーンタを市販の日本語訳を読んで「勉強してます!」というのが、
どれほど無知と混乱にまみれた結果であることか、
このようなことからも、少し垣間見れると存じます。
偶有性という言葉も、このincidentalという言葉の意味に近いな、
と思っていたら、茂木健一郎さんが愛用している言葉のようだった。
彼は、「偶有性の海に飛び込め!」とビデオまで出して発信しておられるが、
私から言わせれば、
そんなこと言われなくても、皆一様に、偶有性の海で溺れているんだって。
ってことです。
みずから偶有性の海に飛び込まなくても、
世界中を旅してまわっても、自分の部屋で引きこもっていても、
全くもって同様に、偶有性の海で溺れていることには変わりありません。
偶有性の海で表れては消える、波の形に翻弄されている。
ちなみに、敢えて「現れては」にしなかったのですよ。
偶有性の表れである、変化し続ける波や渦巻の中で、
不変である、つまり本質である水が見えているか?
本質が見えていたら、波や渦巻を鎮める必要はありません。
その本質が自分自身である。
それを知る手段が、ヴェーダーンタです。