ハイドラバード空港にて。
お店のキッチン丸一軒ごと100%VEGじゃないと安心 できない、
というのが、伝統的なインド人の心理で、
ちゃ んとそれに応えているのがインドの文化。
バンガロール空港のSUBWAYでも、
VEG用とNON VEG用でキッチンを完全分離しています。
そこなへんは、単にお金儲けが目当てで「インバウンド対 策」とか言っている日本人には分かりづらいようですね。
日本のベジ対応なんて、ビーフカレーのビーフをお箸でつ まんで取り除けばベジタブルカレーになると思ってんじゃ ないの?とか不信感を持ってしまいます。。
「ハラール」という表示も、動物をどう屠殺したかの表示 なので、ベジタリアンの食べ物に表示されると、アヒムサ ーベースのインド伝統文化圏の人はギョッとしていまいま す、という感覚も、「おもてなし」をお金儲けの合言葉と している人には理解してもらえませんしね。。
追記:
アヒムサー(非暴力)という価値観にもとづいたヴェジタリアンの話をしているところに、最近は、インバウンドの商機としてか、ハラールの話を絡められることが多いのですが、
正直、困惑してしまいます。
ハラールは別に、アヒムサーという価値観とは関係ないですからね。
インバウンド対策としては共通点があるのでしょうが、
アヒムサーの話をしているところにハラールを絡めてくるのは、
議論を全く無視した、デリカシーの無い、自分勝手で、
まさに肉食的な態度だと感じて、困惑しています。
これが私の感覚です。
ハラールを気にしている人も、アヒムサーに絡められても困惑すると思います。
アヒムサーを気にしているなら、ハラールかどうかではなく、ヴェジタリアンかどうかを気にしているはずですから。
何に忖度しているのか、変な方向に独り歩きしている「多文化共生!」の合言葉の為に、
こういう文化的なことを率直に話せる土壌が潰されているような気がしますね。
そういう背景をもとに、この記事では、ハラールについて、
動物をどう屠殺したかの表示、と説明したのですが、
外食産業関係者とおぼしき人から、速攻でクレームが来ました。
アルコール抜きの意味もある!というのですが、それはこの記事に関係ないし、
インドのヴェジタリアンでは、アルコールは摂取しないのは当たり前です。
クレームの主旨は、屠殺という言葉をハラールに関連付けられると、
ハラールのイメージが悪くなる、多文化共生の足をひっぱるな、
との威圧的で失礼な語調でした。
人間ってお金が絡むと倫理の一線が狂う、というのを見せつけられましたね。
動物を屠殺して食べている人達が、屠殺している、と言われて気分を害するのだったら、
それは、自業自得です。屠殺していると言われるのが嫌だったら屠殺しなければいい。
ゆえに、屠殺している本人たちは、屠殺していると言われて気分を害さない人であるべきだし、実際、そういう罪悪感を持っていない人が多いのではないかと思います。
問題は、イメージを悪くする!とクレームをつけている本人の心の中で、
「屠殺は悪い、だからハラールも悪い」と無意識的に感じているから、
ズバリ言われると、イメージ悪くなる!という反応に出るのだと見ています。
ハラールに限らず、肉食する人は、自分たちが屠殺の原因となっていることに関して、
悪いイメージや罪悪感を持っているとは限りませんし、
もし持っていたとしたら、先にも述べたように、自業自得です。
だから、クレームを付けてきた人には、自分の胸に手を当てて考えてみたら?
と諭すようなコメントをしたのですが、
まー、分かってもらえませんね!
ハラールとか言って、文化に理解があるふりをしても、
しょせん、金儲けをしたい人にとっては、モラルも文化も関係ないのです。
ということが、日本のハラール商売関係で絡んできた人たちとのやり取りの中で分かりました。
イスラム思想研究者の飯山陽さんも、日本のハラール認証ビジネスに疑問を呈しておられます。
私はイスラムがどう、ということではなく、金儲け主義の人に、
ヴェジタリアンもハラールも一緒くたにされるのが、
アヒムサーという価値観への冒涜に他ならないと感じますし、
それを反論した時に、多文化共生の意識が低い、みたいなこと言われると、
ほんと、拝金主義に歪められた大義名分を聞かされているようで、悲しくなりますね。
お店のキッチン丸一軒ごと100%VEGじゃないと安心
というのが、伝統的なインド人の心理で、
ちゃ
バンガロール空港のSUBWAYでも、
VEG用とNON
そこなへんは、単にお金儲けが目当てで「インバウンド対
日本のベジ対応なんて、ビーフカレーのビーフをお箸でつ
「ハラール」という表示も、動物をどう屠殺したかの表示
追記:
アヒムサー(非暴力)という価値観にもとづいたヴェジタリアンの話をしているところに、最近は、インバウンドの商機としてか、ハラールの話を絡められることが多いのですが、
正直、困惑してしまいます。
ハラールは別に、アヒムサーという価値観とは関係ないですからね。
インバウンド対策としては共通点があるのでしょうが、
アヒムサーの話をしているところにハラールを絡めてくるのは、
議論を全く無視した、デリカシーの無い、自分勝手で、
まさに肉食的な態度だと感じて、困惑しています。
これが私の感覚です。
ハラールを気にしている人も、アヒムサーに絡められても困惑すると思います。
アヒムサーを気にしているなら、ハラールかどうかではなく、ヴェジタリアンかどうかを気にしているはずですから。
何に忖度しているのか、変な方向に独り歩きしている「多文化共生!」の合言葉の為に、
こういう文化的なことを率直に話せる土壌が潰されているような気がしますね。
そういう背景をもとに、この記事では、ハラールについて、
動物をどう屠殺したかの表示、と説明したのですが、
外食産業関係者とおぼしき人から、速攻でクレームが来ました。
アルコール抜きの意味もある!というのですが、それはこの記事に関係ないし、
インドのヴェジタリアンでは、アルコールは摂取しないのは当たり前です。
クレームの主旨は、屠殺という言葉をハラールに関連付けられると、
ハラールのイメージが悪くなる、多文化共生の足をひっぱるな、
との威圧的で失礼な語調でした。
人間ってお金が絡むと倫理の一線が狂う、というのを見せつけられましたね。
動物を屠殺して食べている人達が、屠殺している、と言われて気分を害するのだったら、
それは、自業自得です。屠殺していると言われるのが嫌だったら屠殺しなければいい。
ゆえに、屠殺している本人たちは、屠殺していると言われて気分を害さない人であるべきだし、実際、そういう罪悪感を持っていない人が多いのではないかと思います。
問題は、イメージを悪くする!とクレームをつけている本人の心の中で、
「屠殺は悪い、だからハラールも悪い」と無意識的に感じているから、
ズバリ言われると、イメージ悪くなる!という反応に出るのだと見ています。
ハラールに限らず、肉食する人は、自分たちが屠殺の原因となっていることに関して、
悪いイメージや罪悪感を持っているとは限りませんし、
もし持っていたとしたら、先にも述べたように、自業自得です。
だから、クレームを付けてきた人には、自分の胸に手を当てて考えてみたら?
と諭すようなコメントをしたのですが、
まー、分かってもらえませんね!
ハラールとか言って、文化に理解があるふりをしても、
しょせん、金儲けをしたい人にとっては、モラルも文化も関係ないのです。
ということが、日本のハラール商売関係で絡んできた人たちとのやり取りの中で分かりました。
イスラム思想研究者の飯山陽さんも、日本のハラール認証ビジネスに疑問を呈しておられます。
私はイスラムがどう、ということではなく、金儲け主義の人に、
ヴェジタリアンもハラールも一緒くたにされるのが、
アヒムサーという価値観への冒涜に他ならないと感じますし、
それを反論した時に、多文化共生の意識が低い、みたいなこと言われると、
ほんと、拝金主義に歪められた大義名分を聞かされているようで、悲しくなりますね。