大阪のヴェーダーンタ勉強会の復習会から、とても良い疑問&質問を頂きました。
回答は文面ではなく、伝統に沿ってきちんと顔を見て話すべきですが、
私が日本に帰って来るまでに、先にキーワードだけ書いておきますね。
質問1:
「タットヴァボーダにおけるअनुबन्धचतुष्टयの4つ目、सम्बन्धがはっきりわかりません。」
回答:
ヴェーダーンタの勉強に置いて、何と何がどう繋がっているのか、繋がっていないのが、という、सम्बन्ध(繋がり)を見透かすのはとても大事です。
いろいろある繋がりの中で、主要なものとして2つが挙げられます。
1.साध्य-साधन-सम्बन्धः
自分の欲しいもの(साध्य)は何か、それを得るための手段(साधन)は何か、
それらの関係、つまりसाध्य-साधन-सम्बन्धを見透かせるようにならなければなりません。
自分の欲しいものは、幸せ、つまり制限の無さなのに、
それを得るために、制限によって成り立っている経験を求めている。
साध्य-साधन-सम्बन्धに混乱があるのが、全人類共通の間違いです。
ちなみに、自分の本当に欲しかったものと、自分のやって来たこととの間の「関係の無さ」に気づくことがवैराग्यです。
साध्यが制限の無いものなら、制限が無いのですから、今ここの自分と隔たりの無いもののはずです。
なのにそれを知らない。ならば知るしかない。
知らないことだけが問題で、していないことが問題ではないと気づけたら、
साध्यを得るための手段は「する」ことではもはやあり得ず、「知る」ことでしかあり得ません。
自分が本当に求めているもの(साध्य)がニッティヤであること、
それを得るための手段(साध्य)は、
経験というアニッティヤなものではなく、
自分の本質がニッティヤであるという知識でしかあり得ない、
という関係(सम्बन्ध)、それがसाध्य-साधन-सम्बन्धです。
2.प्रतिपाद्य-प्रतिपादक-सम्बन्धः
では、知識を得るためにどうすればよいのか。
何かを知るためには、知る手段(प्रमाण)が必要です。
今ここの自分が制限の無い存在だと知るための、手段は何か?
インドを放浪すること?瞑想すること?ヒーラーに癒してもらうこと?ヨガを極めること?そこにまた混乱が極まっています。
また、「本当の自分とは何か」の答えを、体や心や無だとする教えばかりが古今東西世の中に溢れていますが、それでは、साध्यになっていない。
教えられるべきもの(प्रतिपाद्य)は制限の無い存在である今ここの自分(साध्य)でなければ意味が無い。
しかし、制限の無いものゆえに、既存のप्रमाणでは知り得ない。ゆえに、もうひとつ特別なप्रमाणが必要。
制限の無い存在が自分であると、教えるもの・見せてくれるもの(प्रतिपादक)がヴェーダーンタです。
教えられるべきもの(प्रतिपाद्य)と、それを教えるもの(प्रतिपादक)の関係(सम्बन्ध) 、
つまり、प्रतिपाद्य-प्रतिपादक-सम्बन्ध。
それが分かって初めて、ヴェーダーンタの勉強の意味が分かります。
質問2:
「サーダナチャトゥシュタヤがない人はどうしたらいいですか? 具体的に何から始めたらいいですか?」
回答:
साधनचतुष्टयを高めるために、するべきことをする。それがカルマヨーガです。
「自分のするべきことをする」ですから、具体的にと言っても、人それぞれですが、
仕事をする、家族の面倒をみる、祈る、といった行動を通して、
全ての生き物に役立ち、貢献することです。
そこには、कार्य-अकार्य-विवेकが必要ですね。
今年からは、この点について、もっと話していこうと思います。
逆の例を見た方が分かりやすいかも知れません。
自称ヨーギーな方々、自称スピリチュアルな方々によくありがちですが、
誰の役にも立たずフラフラしている、
貢献者ではなく、クレクレ精神で生きている、という生き方では、
いくらヨガ等を一生懸命していても、精神的成長は望めません。
日本基準でいわゆる普通に生きていても、
消費者としてでしか世界と関わっていない、
自分の精神的成長の無さから来る問題を、周りのせいにして自分を見ない、
という一般的な、自分と世界との関わり方は、
モークシャ云々の前に、心と世界の平和のためにも、見直す必要があります。
質問3:
「人間はアニッティヤな存在だと思います。アニッティヤの中で生きているからモークシャの理解は難しいのではないですか?」
回答:
「人間はアニッティヤな存在」というときの「人間」とは、何か?
आत्मा कः? を復習してください。
स्थूल-सूक्ष्म-कारण-शरीर, पञ्चकोश, अवस्थानत्रय のどれかで自分を認識しているから、
「人間はアニッティヤな存在」と言ってしまうのでしょう?
アニッティヤなस्थूल-सूक्ष्म-कारण-शरीर, पञ्चकोश, अवस्थानत्रयを、
ずっと変わらずに(ニッティヤ)観ている自分について話しているのです。
「アニッティヤの中で生きているから」ということですが、
「生きている」と言う時点でアニッティヤです。
ニッティヤの中で、生きたり死んだり、生まれたりも出来ません。
モークシャが難しいのは、自分が理解する準備が出来ていないから「だけ」であって、世界がアニッティヤだからではありません。
アニッティヤな世界には、ヴェーダーンタの言葉と言う、ニッティヤである自分を知らせてくれる言葉が脈々と教え継がれています。
質問4:
「विवेकのधातुですが、「विच्(7U)」「विज्(3U)」のどちらでしょうか?」
回答:
विवेक = वि + विच् + घञ्
विचिर् पृथग्भावे (7UA) to separate
一日一語で解説したいのですが、時間を見つけなくては、です。