自分の本質が、幸せの本質である、
というヴェーダーンタの教えは、
知り、理解する為にあるもので、
感じる為にあるものではありません。
というヴェーダーンタの教えは、
知り、理解する為にあるもので、
感じる為にあるものではありません。
幸せや不安な感情など、心の中でのあらゆる出来事は、経験の対象物であって、
自分の本質ではないのです。
自分の本質ではないのです。
大切な人のことを思って不安になったりすることは、とても美しいことです。
この人に何かあったら、とお互いに不安な気持ちになれる人に恵まれていることは、
人間としてとても幸運なことです。その気持ちは大事にしてくださいね!
ヴェーダーンタの教えは、不安な気持ちを変えようとするものではありません。
不安でも喜びでも、いろいろな感情を感じられるのは、
不安でも喜びでもない、それらを対象化している、
あらゆる感情から制限されていない、感情から自由な、
自分の本質である、意識という存在があるからです。
感情は、感じるべきものです。
あらゆる感覚を静観している自分の本質は、知るべきものです。
それらは根本的に次元が違うものだ、
と知っているのが、ヴェーダーンタの知識です。
「どんな悲しみの中にあっても、その悲しみを感じている私の本質は、
悲しみの中の存在ではなく、
悲しみをも支えている、意識という無限な存在である」
ヴェーダーンタが教えている、この自分の本質とは、
知るべき事実であり、感じるべき対象物ではありません。
悲しみの中には無い、悲しみから自由である、自分の本質を知っていれば、
より自由に悲しむことができるのです。
悲しんだり、不安に感じることから、恐れる必要がなくなるだけです。
なぜなら、自分の本質を正しく知っているからです。
祈りを込めて。。。
Medha みちか
祈りを込めて。。。
Medha みちか