西欧の植民地時代の学者や、
そのスピリットを受け継いだ日本の研究機関に頼らずに、
インドのヴァイディカ達から直接勉強し、
できるだけそのままで多くの人とシェアしている私のような存在は、
既存のサンスクリット研究者から妬まれるのでしょうか。
縄張り荒らしをしているように思われるのかな?
と思ってしまう反応を受けることがあります。
文献に対する姿勢も、向かっている方向も、根本から違うので、
全く関係ない人達だと思って無視しているのですが、
公の場で、口角泡を飛ばして、
いわれもないことを糾弾されたまま放置しておくのも、
いわれもなき誤解を招くのかな~と思い、
長い間放置していたレヴューに夜な夜な返答を書いてみました。
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そのスピリットを受け継いだ日本の研究機関に頼らずに、
インドのヴァイディカ達から直接勉強し、
できるだけそのままで多くの人とシェアしている私のような存在は、
既存のサンスクリット研究者から妬まれるのでしょうか。
縄張り荒らしをしているように思われるのかな?
と思ってしまう反応を受けることがあります。
文献に対する姿勢も、向かっている方向も、根本から違うので、
全く関係ない人達だと思って無視しているのですが、
公の場で、口角泡を飛ばして、
いわれもないことを糾弾されたまま放置しておくのも、
いわれもなき誤解を招くのかな~と思い、
長い間放置していたレヴューに夜な夜な返答を書いてみました。
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著者です。
何が誤りで、何が正しいのかの基準・根拠は本書に明記してある通り、
基本中の基本の、पाणिनीयशिक्षा です。
इचुयशानां तालु । ऌतुलसानां दन्ताः । वकारस्य दन्तोष्ठम्। など、
パーニニ・スートラを学習している人なら誰も知っていることです。
サンスクリット語ですから、時間や地域の幅は広く、
どんどん差が出てきて、調音点もずれて来ている。
本書は、ずれた調音点で発声している人達を研究対象にした
西欧学者の残した比較研究を基準とはしておりません。
インド人でさえも、何が何だか、と言い出している時代なので、
今でも基準とされているパーニニを基準として設定することにより、
学習者が安心して、祈りのことばを唱えたり、
文献の学習に進むことが出来るように願って本書を著しました。
本書でも示唆しているように、先生について勉強している場合は
本書と食い違っていても、それはそれで、ずれはずれで、伝統があるのだから、
それに従うように、としたつもりです。
私は南インドの正統的なヴァイディカ(主にクリシュナ・ヤジュール・ヴェーディー、
サーマヴェーディー)達に囲まれて毎日生活しておりますが、
彼らの ヴェーダのチャンティングは、パーニニの文法システムからは外れていません。
(低いレヴュアーの方たちが「現在には無い!」と断言されているのを聴くと、
日本との距離を感じます。)
何世代も続く厳格な生活様式に沿ったヴァイディカ達から、
舌の位置まで細かく何年も何年も指導を受けて来て、
私の疑問にも沢山答えてもらって得た知識を本書でシェアしたまでです。
本場ヴァイディカに伝わる知識を、外の人に「それは違う」と言われても、
わたくしは、「ああ、広い世界には、さまざまな基準を持つ人達がいるのだな」と感じるのみです。
繰り返しますが、本書は地域比較研究書ではありません。
また、討論好きで、ヒンドゥー潰しに加担している、
シュラッダーの無いアカデミーに向けたものでもありません。
パーニニを基準として設定することにより、学習者が安心して、
祈りのことばを唱えたり、文献の学習に進むことが出来るように願って書いたものです。
これを読む人の心に平和がありますように。
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レヴュアーの人の逆鱗に触れなければいいけど。。。
あと、「音源が無い!」ということで、低く評価された人がお二方おられますが、
音源のリンクは、本書内に書いてあります~~!!!
ちゃんと読んでからレヴューして~!!
ということで、
改訂時に、表紙に音源がウェブ上にある旨を記しました。
何が誤りで、何が正しいのかの基準・根拠は本書に明記してある通り、
基本中の基本の、पाणिनीयशिक्षा です。
इचुयशानां तालु । ऌतुलसानां दन्ताः । वकारस्य दन्तोष्ठम्। など、
パーニニ・スートラを学習している人なら誰も知っていることです。
サンスクリット語ですから、時間や地域の幅は広く、
どんどん差が出てきて、調音点もずれて来ている。
本書は、ずれた調音点で発声している人達を研究対象にした
西欧学者の残した比較研究を基準とはしておりません。
インド人でさえも、何が何だか、と言い出している時代なので、
今でも基準とされているパーニニを基準として設定することにより、
学習者が安心して、祈りのことばを唱えたり、
文献の学習に進むことが出来るように願って本書を著しました。
本書でも示唆しているように、先生について勉強している場合は
本書と食い違っていても、それはそれで、ずれはずれで、伝統があるのだから、
それに従うように、としたつもりです。
私は南インドの正統的なヴァイディカ(主にクリシュナ・ヤジュール・ヴェーディー、
サーマヴェーディー)達に囲まれて毎日生活しておりますが、
彼らの ヴェーダのチャンティングは、パーニニの文法システムからは外れていません。
(低いレヴュアーの方たちが「現在には無い!」と断言されているのを聴くと、
日本との距離を感じます。)
何世代も続く厳格な生活様式に沿ったヴァイディカ達から、
舌の位置まで細かく何年も何年も指導を受けて来て、
私の疑問にも沢山答えてもらって得た知識を本書でシェアしたまでです。
本場ヴァイディカに伝わる知識を、外の人に「それは違う」と言われても、
わたくしは、「ああ、広い世界には、さまざまな基準を持つ人達がいるのだな」と感じるのみです。
繰り返しますが、本書は地域比較研究書ではありません。
また、討論好きで、ヒンドゥー潰しに加担している、
シュラッダーの無いアカデミーに向けたものでもありません。
パーニニを基準として設定することにより、学習者が安心して、
祈りのことばを唱えたり、文献の学習に進むことが出来るように願って書いたものです。
これを読む人の心に平和がありますように。
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レヴュアーの人の逆鱗に触れなければいいけど。。。
あと、「音源が無い!」ということで、低く評価された人がお二方おられますが、
音源のリンクは、本書内に書いてあります~~!!!
ちゃんと読んでからレヴューして~!!
ということで、
改訂時に、表紙に音源がウェブ上にある旨を記しました。